御為に
時刻は午睡の頃。
遠くに誰かの鍛錬の声を聞きながら、は自室で本を繰っていた。
寒も緩んでくるこの頃、こうしてゆったりと文字の羅列をただ追っているというのも良い物である。
ゆったりとしすぎて眠くなってきてしまうのが困りものではあるのだが。
は先程から繰り返していた欠伸をもう一つ漏らすと、光を取り入れる為に開け放しておいた障子の向こうに目をやった。
暖かさを孕んだ風が、花をつけた庭の木々をさわさわと揺らしている。
その視界の中を、幸村が横切っていった。
庭に目を向けるに気付いていない様子で、面持ちは何だか嬉しそうだ。
そのまま目を閉じて眠ってしまいたい程に重かった瞼を持ち上げ、口を開く。
「幸村殿」
「ん?おぉ、殿!」
声を掛けると幸村の目がぱっとこちらを向く。
の存在に気付くや、すぐに笑みを浮かべて進行方向を逸らし近づいてきた。
応える様に、も目を通していた本を閉じ縁側へと寄り。
「嬉しそうですね。何か良い事でも?」
「む…顔に出ているのか。そんなつもりは無かったのだが…」
「自分で思っている以上に分かりやすいですよ、幸村殿は」
そうであろうか…と独りごちながら顔をぺたぺたと触っている姿が微笑ましくて、くすりと笑う。
すぐに幸村に見つかってしまったが、隠すつもりもなかったので気にしない。
寧ろ笑われたと知って気を落としている姿が可愛くて、更なる笑みを誘われる。
しかしあまりからかっているのも不憫なので、表面的には笑みを押さえる。
そして元々しようとしていたものにに軌道修正してやろうと、は再度何が嬉しいのかと問うた。
項垂れていた頭が勢いよく持ち上がる。
再びに向けられたのは、きらきらと輝かんばかりの顔。
先程まで落ち込んでいたのは何処へやら。
「それが、近頃城下で評判の団子屋があってな。お館様にも召し上がって頂きたくて、これから買いに行こうとしていた所なのだ」
を前にしてはいるものの、語る幸村の表情は尊敬するお館様に向けるそれ。
信玄の為に動こうとしているからこその顔だったかと、はそこで納得した。
それならば堪えきれず喜色が外に出てしまうのも仕方がないだろう。
そしてそれを理解してしまえる自分がいる。
とて、信玄に喜んで貰えるようなことがあるならそれの為に動くだろう。
詰まる所、も幸村と似た者同士の面を持っているという事。
幸い、今日は暇を持て余す程にする事がない。
「幸村殿、それに私も連れて行ってくれませんか」
「殿も?」
「私もお館様に、そこの団子を召し上がって頂きたくなりました」
目的の団子屋は、達が辿り着いた頃には長い行列が出来ていた。
人の列は店の裏側に回り、それでもまだ続いていて最後尾が表まで出てきてしまっている。
ぼやぼやしているとまだまだ人が並びそうな気配だったので、慌てて最後尾に加わる。
「これは日暮れまでに買って帰れるだろうか……」
「何の!お館様の御為、某は何としてもここの団子を買って帰るぞ!」
の心配も何のその、幸村の頭の中には信玄の事しかない。
…… 否 それだけではないか
幸村の隣で横顔をちらりと見やり、すぐに考えを改めた。
まだこの目で見た事はないが、幸村は茶に砂糖を入れる程の甘党だと佐助に聞いた事がある。
その甘党の彼が今並んでいるのは評判の団子屋。
信玄に食べて貰いたいという思い以上に、自分が早く口にしたいという思いもあるのだろう、と思う。
少しずつ列が進むに連れ輝きが増していく表情がそれを如実に物語っている。
内心の思いが初めて音として表されたのは、ようやく自分達の番が回ってきた頃。
「殿!お館様に召し上がって頂く物の『味見』をいたしませぬか?」
店先に一点集中していた幸村の目が久々にの方を向いたと思ったらその言葉。
横顔もそうだったように、こちらを向いた表情はやはりきらきらと期待に満ちたものだ。
ぴんと立った耳とぱたぱた振られる尻尾が見えるようである。
「本当に甘い物が好きなんですね……」
「?何でござるか?」
「…いえ、聞き取れなかったならそれで。そうですね、お館様に買っていく物の味見もしないまま差し上げるというのも何だし…」
「では!!」
「お館様より一足先に頂いてしまいましょうか」
ぱっと宿った笑顔につられ、くすりと微笑む。
こうまで素直に喜ばれると、何だかくすぐったいような嬉しいような不思議な気分になる。
文句を言いながらも佐助が幸村の世話を焼いてしまうのも、こんな一面があるからなのかも知れない。
彼程苦労はしていないが、ほんの少しだけ佐助の身になれた気がした。
そして信玄には心の中で「お先に頂きますごめんなさい」と断ってから、多めの注文をする。
しばらく待って受け取った包みの大きさにやや驚いたものの、ひとまず当初の目的は達成した訳である。
包みを抱えてほくほく顔の幸村の横に並んで、は屋敷への帰路につく。
時刻はそろそろ夕刻へ向かおうかという頃だった。
頭に付いた一玉を、大きく口を開けてぱくり。
歩きながら食べるという少々行儀の悪い格好になっているが、口にした団子の味はそれすら忘れる程であった。
「あ、美味しい」
「まことでござるな!これなら胸を張ってお館様に召し上がって頂ける!!」
噂に違わぬ味加減に、思わずの顔も綻ぶ。
幸村に至ってはを遙かに凌ぐ程のご満悦ぶりだ。
物を食べているのでのんびりとした足取りだが、運びは自然と軽くなる。
口の中の物を嚥下して、更にもう一口。
ぱく。
ぱくぱく。
ぱくぱくぱく。
「……………………………幸村殿」
「?何でござるか?」
「早いです。」
団子の消費が。
の目が幸村の手元を食い入るように見つめる。
が団子を一串食べている間に、幸村の手には某六爪流使いが如く、寂しくなった串が計六本。
しかもまた新たに包みから二串団子を取り出しているではないか。
とて甘い物は嫌いではないが、ここまで行くと見ているだけでご馳走様の気分だ。
この早さと胃袋の底知れなさ、一体彼はどれだけ甘党なのか。
気圧されたかのようにしばらく呆けていただが、はっとして幸村から包みを奪い取る。
「あぁ、殿何を!」
「幸村殿に任せているとお館様の分が無くなってしまいそうで心配なので、私が持ちます」
「そんな、女人に荷を持たせる訳には!!」
「荷の為にも私が持ちます!!」
それが一番安全である。
このまま幸村の手が届く所に団子を置いておいたら、気付いたら全部無くなっていたという状況にもなりかねない。
そんな事になったら、一体自分達は何の為に長い事並んだのだろう、という話になる。
少なくとも幸村の胃に収める為では無い筈だ。
荷物持ちを巡ってしばし攻防が続いたが、の強硬な姿勢が勝負の決着をつける。
「殿、何だか佐助みたいでござる………」
少しだけ怯えたような顔をして、最終的に幸村が折れた。
その際呟かれた言葉が気にならないでもないが、とりあえず今は包みを守り抜いた達成感でいっぱいだ。
がっちりと包みを抱いて幸村から遠ざけた姿勢で、は会心の笑みを浮かべた。
その鼻先に、一粒の水滴。
軽い刺激に空を見上げると、いつの間にやらどんよりと滞った厚い雲がかかっている。
日暮れが近いせいで薄暗いのだと思っていたが、どうやらそればかりでは無かったようだ。
「…雨?」
再び、今度は頬に刺激がぽつり。
空を映す視界に細い雨粒の線が幾筋も走り始め、次第にその量が増していく。
これは本降りになるなと、空模様を見て判断する。
「これはいかん……殿、ひとまずそこの軒先を借りよう!」
同じように空を見上げていた幸村も、下した判断はと一緒らしい。
示された提案を受け入れ、二人は近くの建物の軒下へと身を寄せんと小走りに近寄った。
「止みませんね……」
「止みそうにないな……」
軒先から眺める空は相変わらずの鉛色。
ずぶ濡れになってしまう前に避難できたはいいものの、今度は本格的に降り出した雨により身動きが取れなくなってしまった。
お互いぽつりと漏らした言葉は現状確認だけで何の解決にもならない。
「日暮れまでに止むでしょうか……」
「この調子だと難しいのでは……」
実際雲が晴れそうな気配はなく、太陽が傾き出す時刻に合わせ重苦しさを増していくようである。
さてどうすべきか、とは考えを巡らせた。
ここでじっとしていても迎えが来る訳ではない。
雨が止むまで待とうにも、幸村の言う通り、この調子ではいつ止むのか分かったものではない。
出来ればなるべく早い内にこの団子を信玄に食べて貰いたいものだが、それを叶えるには。
「…やはり雨の中突っ切るのが一番早かろう」
まとまった考えをが口にするよりも早く、幸村がそれと同じ事を音にした。
少なくとも包みの団子が濡れなければ良い話なのだ。
たとえ自分達がずぶ濡れになろうと、待つよりは動いた方が当然早い。
幸村は考えるより行動した方が良いという理念に基づいてそう判断したようだが、結果としてはも同意見である。
だから素直に頷くのを、幸村が目で確認しにこりと笑う。
そしてにわかに幸村が起こした行動を見て、は目を点にした。
「それでは殿、某の上着を!」
「……………………はい?」
「やはり殿を雨に打たせる訳にはいかぬからな。某の上着を雨避けに使って下され」
少し短いかも知れぬが、と良いながら、袖を通していた赤い上着を脱ぐ。
そしてそれをの頭からかぶせたのだ。
満足げに笑顔を浮かべる幸村をきょとんとした顔で見つめながら、状況を理解するのに暫し。
はそっと、自分を覆う幸村の上着を取った。
「……折角の厚意ですが……これは幸村殿が着ていて下さい」
「何を遠慮する事がある!某は濡れても構わぬ。これは殿にお貸しいたす」
ああもう そうではないのに
上着を持って差しだした手を押し戻してくる幸村に、意思疎通が上手くいかない歯がゆさを感じる。
確かに幸村の身を案じて上着を返したというのも理由の一つにはある。
しかしそれ以上に半裸でいて欲しくないという思いの方が強かった。
元々薄着である所で上着を脱いでしまえば、上半身に纏っている物は胸当てと精々六文銭ぐらいだ。
普段意識に上らないとは言え、幸村とて一人の武人。
その鍛え上げられた体を露わにされて、意識しないというのが土台無理な話だろう。
だから上着を着ろと言うのに。
中々お互いに上着を受け取らない状況に先に業を煮やしたのは幸村であった。
が押しつけてくる上着を奪い取ると、問答無用でその頭にかぶせる。
いきなりの事で驚いたが何をするのかと抗議しようとして。
「連れ立って出かけた以上、某には殿の身を守る義務がある。風邪を引かれたら大事だからな」
先程までの笑みが失せた幸村を正面から捉える事になる。
戦場でなければ可愛いとさえ思えてしまう時がある幸村の、真剣な表情を見て。
不覚にも、胸が一つ高く鳴った。
「……?何だか顔が赤うござるが……どうされた?」
「……っ何でもないです!」
「あ、殿!?」
彼にしてみれば単なる義務感から来る発言だったのだろう。
だからこそ、彼の言葉で顔が火照る自分が恥ずかしい。
その恥ずかしさを紛らわせる為に、敢えて自分から雨の中に身を躍らせた。
幸村の上着はその際に投げ返している。
団子の包みは長い袖の部分で巻き込み雨から厳重に防御。
ぱたぱたと強く打つ雨の中、は未だ軒下の幸村に笑いかける。
「私とて、幸村殿だけが体調を崩されでもしたら嫌です。それならいっそ、二人で雨に打たれて帰りましょう?」
ずぶ濡れになって帰った所で、二人揃って信玄に怒られるのだ。
雨の下に飛び出したに最初こそ驚いていた幸村だが、にっこりと笑いかければ驚きも苦笑に変わる。
仕方がないな、と呟きながら、幸村も軒下から出てきた。
雨の下幸村を待っていたの傍に立ち、あっという間に水が滴る程に濡れてしまったお互いを見合い、笑みを交わす。
信玄の事を思う二人が揃えば、信玄に叱られる事も怖くない。
と幸村は共に並び、雨の中屋敷へ向かって走り出した。
「ワシの為に出かけてくれたのは嬉しい。が、それで風邪でも引こうものなら元も子もなかろう」
濡れ鼠で帰った二人を待っていたのは、予想通り信玄のお叱り。
しかしそれも自分達の身を心配してのものなのだから、反省しつつも嬉しさの方が勝る。
注意しながらもどことなく嬉しそうな目を向けてくる信玄の前で、と幸村はちらりとお互いを見やり。
それはそれは満足げに笑い合うのだった。
はい!一周年記念アンケート第3位の幸村夢でした!
佐助夢で不完全燃焼だった「武田に愛されヒロイン」をこちらでも挑戦!
……つか「武田を愛するヒロイン」?まぁ良いか!(こら
お館様の為に団子を買いに行くだけの話なんだけど、幸村にちょっとときめくヒロイン。
多分幸村は天然でいい男です。自覚してない分ある意味佐助より質が悪いやも。
でも同じくらいワンコ属性だきっと。主に甘い物目の前にした時とか絶対尻尾生えてる。
そしてお館様への愛で溢れてるんだ。
いちゃこいてるっていうより仲良しーな幸村夢でした!
戯
2007.4.2
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