鬼と貴




「撃てぇーー!!」

 鋭い指図を経、間を置かず轟音が大気を震わす。
指差す先に上がった火柱を見て、長曾我部元親は隻眼を爛と光らせた。
勝利の確信でも攻撃性の発露でもなく、ただ油断なく、目の前で起こる事の成り行きを見守っていた。


初めは小競り合い程度で事が済むものだと思っていた。

どこからか流れ着いた船の乗員が、海に程近い土地に住み着いたと報告を受け、
その様子を探る為に家臣を遣ってみると、成程粗末ながら居を構え、人が生活している気配がある。

四国をまとめる身としてはこのままのうのうと住まわせておく訳にはいかず、まずは文を遣って恭順・帰属の意を問うた。

返書は悪くない反応であった。
定住を約束してくれるなら長曾我部に従うし、然るべき税を納める事を自分達も約束する、と。
元親はそれをよしとし、誓紙を交わす為に使者を立てた。


そこで、事態が急変したのである。


といって、互いに相手を騙そうだとか害意があった訳ではない。
順調にいけば誓紙は問題なく交わされ、長曾我部の領地に集落が一つ増えていた筈なのだ。

それが破綻してしまったのには、長曾我部側にとっての誤算があったからであった。


轟々と燃え盛る火は、少しの事では鎮まりそうにない。
生じた炎の壁の向こうで、焼ける物の陰が揺らぎ…その揺らぎが不自然な動きを見せたのに元親が気付いた時、
それは長曾我部軍の前に転がり出てきていた。


「来るぞ!!」


兵らに呼び掛ける間に、炎の塊となったものが素早く距離を詰めてくる。
得物を構え元親が応じる姿勢を取ると、それは火の塊を投げ付けてきた。
突如眼前を覆うように広がった物を咄嗟に払い除けてから、それが火が燃え移った着物であると知った。

そして開けた視界の先に浮かんだ、一つの物体。

体を丸めた人であったと気づくには一拍を必要とし、認識が及んだ時には既に、眼前の人は体を伸び上がらせており。


「破っ!!」
「っぐ…っ!!」


払った得物を引き戻すより速く、揃えられた相手の両足が元親の胸を蹴り抜いていた。

がら空きとなっていた胸への攻撃に、思わずたたらを踏む。
が、然程に痛みはない。速さはあれど、攻撃に威力がないのだ。
軽い。

僅か仰け反った体を引き戻し、飛び蹴りを入れた相手を睨み据える。


「やってくれるじゃねぇか…」


既に着地し、地にしゃがみ込む相手が、ゆるりと顔を上げる。
燃え盛る炎から飛び出して来たせいか煤に汚れた頬の上。
位置良く並んだ目に宿る物は、炎の如き怒りだ。


「先に手をだしたのはそちらでしょう。こちらは従う意を示したのに」


反故にしたのはそちらだと、言う声は凛と涼やか。
豊かな黒髪を頭の高い位置で束ね、下着の如き薄着であるのも意に介さず、元親を威嚇してくるのは。

女、であった。

元親に対峙しているこの者だけではない。
今は姿を隠している、この地に住み着いた船の乗員全てが、女であったのだ。

それこそが、長曾我部側の誤算であった。


長曾我部の使者を応対したのは、船の頭目と思しき女…恐らくは今、元親の眼前にいるのがそれである…であった。
涼やかな態度、恭順の意を示す無抵抗な姿勢に、その時使者の心に出来心が生じた。

そちらの誠意次第で、税の軽減を口添えしてやる、と。
はっきりと口にはしなかったが、使者の言わんとした事は明らかに「女として己に従え」という主旨だった。
少なくとも自分はそう受け取ったとは、戦端が開かれる前に女が主張してきた事だ。


「乱世の倣い、家を失う事は覚悟の上。しかしその後の身の振り方が、男の下にしかないのは我慢がならぬ」

朗々と言い切る女の強い眼差しを真っ向から受けながら、元親は少しだけ使者を気の毒に思った。
元親も男であるから、眼前の女に対する使者の気持ちも分からないではない。

身なりを整え、落ち着いて座していれば、良家の姫君とも見紛う気品があった。
それがひとたび逆鱗に触れるや、穏やかささえ伴う品性は凄絶さを帯び、怒りの対象を徹底的に攻め立てる。

一晩世話に、とも思わずにはいられない魅力を持つ女が一転、鬼の如き様相で体術を繰り出してくるのだ。
さぞ胆を潰した事であろう。


「我々に求めるものが女としてのそれであるなら、我々は従わぬ。この地を立ち去りましょう。…爪痕を残した上で」


手を水平に薙ぎ、頭上へ掲げたのを合図に、物陰から女達が姿を現した。
警戒を怠っていた訳でもないのにいつの間に回り込んだものか、層は薄くとも長曾我部の軍を取り囲むように配置している。
その手に火縄銃を携えて。

向けられた銃口の数をかぞえて、元親は僅か目を細めた。
次いで銃を構える女達の姿勢と表情を観察し、口の中で小さく感心してみせる。

終いに正面の女へと視線を戻し、苛烈な眼差しと真っ向から対峙する。
出方を窺っているのか、感情に任せて手を振り下ろすような愚行にも走らず、ひたと見据える女の目に。

元親は、豪快な笑い声を上げていた。


「いいじゃねえか、面白ぇ!」


大将の様子の急変に、「野郎共」は呆気に取られているだろう事が振り返らずとも分かる。
だが構わない。
今は部下よりも、目の前の女、それが率いる者達の方こそ興味深い。

これは、ただの女の寄せ集めではない。


「使者の非礼は詫びよう。アンタは礼を尽くしたってのに、その返事が「抱かせろ」じゃあ怒るのも無理はねぇ。悪かった」
「ならば詫びに不心得者の首を私にくれますか」
「そういう訳にゃいかねぇ。魔が差したとはいえ、あいつは優秀な部下だ。諦めてくれ」


女の目が僅かに細められるだけで、伝わってくる怒りが層倍にもなる。
それに対し「怖いねぇ」と肩を竦め受け流しながら、元親はなおも言葉を続けた。


「首はやれねぇ。が、他の物をやろう。…アンタ達、俺に仕えてみねえか」
「女としてなら御免被る」
「違ぇよ、この騒ぎ起こされて誰がそんな提案するか!俺が言いてぇのは部下としてだ!コイツらと同等の立場でだ!!」


今にも飛びかかってきそうな気配を慌ててかわし、後ろに控える「野郎共」を指し示す。
どよめきが上がったのは、こんな所で例に挙げられるとは思っていなかったからだろう。

その声の中に、幾つか悦びの色が隠れていたのを、元親は聞き逃さない。
女も同じだったようで、元親の背後を見遣る目に不快と怒気が滲んでいる。

この怒り、早く逸らさなくては。

今まで生きてきた人生で数度あるかないかの速さで頭を働かせ、女を鎮める言葉を選ぶ。


「アンタら、ただの野盗の類いとは違うようだな。その火縄の数、扱い、そして組織力。全部引っくるめて長曾我部に欲しい。
ウチの野郎共がアンタらに手ぇ出すような事のないようちゃんと言っておくからよ」


な、と背後に同意を求めると、多く賛同の声が上がった。
中にはあった不満の色は、周囲の奴が拳でたしなめるのに任せるとしよう。
その少数の声のせいでこの集団を手に入れ損ねるのはあまりに惜しい。


「火薬の量も馬鹿にならねぇだろ?その分を俺が工面してやる。税は払わなくていいし、給金も出す。
悪い話じゃねぇと思うんだがなァ」


一歩距離を縮め、手を差し出す。
女はこの手を取るか否か。

既に女の目から怒りは消え、元親の心の底を探る様子に変わっていた事には気づいていた。
信を置けるか否かと、目で投げられる、音のない問い。
それは詰まる所、信を置こうとしている証。

元親は待った。
女の中で答えが導き出される時を、静かに待った。

果たして。


「……約を違えたその時は、どうしてくれるのです」
「んな事はさせねえ。俺の面子に賭けてな」
「…言い切ったその言葉、信じましょう」


女の口の端に、ふと笑みが宿る。


「同等の扱いをしてくれる間、我々は長曾我部の為に力を尽くしましょう。
約を違え、その首落とされる事のないよう、努お気をつけ下されますよう」


頭上に掲げられた手がゆるりと下ろされ、元親の手に重ねられる。

己よりもずっと小さな手を握り返した時、下ろされた銃口が照り返す陽の煌めきを視界の端に捉えた。

敵意が臣従へと変わる瞬間。
長曾我部は世に珍しき、女性のみで構成された鉄砲隊を手に入れたのである。








と名乗った頭領の率いる女性鉄砲隊は、長曾我部に対し目覚ましい成果をもたらした。
そもそもが統制の取れた集団である。
戦地へ赴けばその力は遺憾なく発揮された。

の指揮の下、敵に向け弾を雨のように降り注がせる。
狙いも精確なもので、彼我の距離の測り方などは雑賀にも勝るものではないかと、元親は思っていた。

何より、戦場で指示を出すの声、姿。
凛々しい若武者とも見紛う身の振り方に、いつしか新を見る長曾我部の兵の目は変わり、
「女」というよりも頼りになる「同朋」として接するようになっていった。
女性性を意識させない、の普段からの立ち振舞いもあろう。

今やの立ち位置は、彼女の望んだそれになりつつある。




某日、馴染みの商人からある話を耳にし、元親はの元を訪ねていた。
住み着いた当初の粗末な造りよりましになった、されど小ぢんまりとした建物。
もっと城に近い所へ移る事を提案したが、海に近いここがいいのだと言って動かなかったの邸。

玄関を通り過ぎ壁面に沿って進むと、海に面した所に縁側が作られてある。
そこには腰を下ろし、海へ目を向けていた。
高く結い上げ晒された首筋がうっすら汗ばんでいるのは、一隅に巻き藁もある事から、鍛練でもしていたのだろう。

ちらりと視線が向けられ、元親の訪いに気付いたと知れる。
片手を挙げて挨拶の代わりとし、元親は今日訪ねる理由となった事を口にした。


「馴染みの商人に聞いたんだが、ある小国に、女だけで編成した鉄砲隊があったんだとよ」


それは海の向こうにある小さな国の話。


「そこの姫っつーのがやたら勇ましい奴で」


姫を慕い集った女達で自然と隊が形成され、姫の指導者としての才も相まって、国有数の部隊となった。
領主の意向で他国に攻め入る事はなかったが、守りに徹した時の強さは並外れていたと。
今は亡き国の昔語りを、元親は聞いていた。


「国を亡くした姫の行方が未だ知れないそうでな、商人が随分と心配してたぜ」


語る間、元親はの表情を観察していた。
初めちらりと向けられた視線は、今はまた海へと向けられ、聞いているのかいないのか、
瞬き以外に動きを見せない為、ふと生きているのかすら疑わしく思えてしまう。

あまりの反応のなさに、元親は己の中に生じた一つの答えに自信が持てなくなった。
居たたまれなさを覚えて、手慰みに頭を掻きつつ、


「その姫の名前ってのが」


商人から聞いた、姫の名前を口にする。


「何か心当たりはねぇか?…。」


潮の音が耳につく。
一瞬そちらに意識を取られ、逸らした目を再びに戻した時。


「さぁ」


かち合った眼差しの、穏やかな事といったら。


「今は亡き国の話でしょう。行方の知らぬ姫の事など、私には関わりのない事です」


緩く微笑んだきり、がこの話題に関して、それ以上口を開く事はなかった。




















最後の何となくふんわりした終わりが書きたくて書いた話。
短編の割には夢主の設定細かいし続き書こうと思えば書ける感じ。

ところでタイトルセンスないのどうにかなりませんかね



2012.4.26
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