恋は一方通行
山間を縫って、女の悲鳴が響き渡る。
その声が大気に溶け消えると、今度は馬蹄の音が響きだした。
戦後処理に追われていた片倉小十郎は、聞こえてきたそれらの音の出所を探り、付近の小山を仰ぎ見る。
保護なされたか
悲鳴は聞こえなくなったが、馬蹄の音は断続的に続き、且つ次第に大きくなってくる。
この音の発生源に、小十郎は心当たりがあった。
己が主、伊達政宗が、小山へ分け入っていたのだ。
逃亡した敗戦国の姫を保護する為自ら馬を駆っており、頃合いから考えれば姫との接触も為された事だろう。
ただ、無事に姫を保護したにしては、少しばかり様子がおかしいようにも感じられた。
穏便に事が進んでいれば、悲鳴など発される筈がないからだ。
年若く当主となった政宗は、才気はあれど若いが故にやや強引な所もある。
そこに惹かれ従う者も多いのだが、その力強さが利点となるかは時と場合による。
敗戦国の、しかも姫を相手とするならば、言葉選びや接し方にも細心の注意を払わねばならないだろう。
いやいや、よもや政宗様に限って。
年若いとはいえ一国主である政宗を疑った己を恥じたが、連鎖反応というのは次々と起こるもので、
一つ疑念が生じてしまうと止めどなく「思い当たる節」が浮かんできて、小十郎は思わず頭を抱えた。
馬蹄の音が近くなる。
振り返るのが何となく怖いが、主の帰還は迎えねばならない。
恐る恐るといった体で音のする方を向いた時。
小山の木々の合間を縫って、小十郎の視界に飛び出してくるものがあった。
「帰ったぜ小十郎!」
棹立ちした馬の嘶きが響く中、はっきりと聞こえた声。
器用に手綱を操り速度を殺した馬の背に、日を照り返す弦月の前立を設えた兜を召した人影を見留める。
蒼の羽織、鍔を用いた眼帯。
小十郎が主、伊達政宗その人であった。
「お帰りなさいませ、政宗様」
迎えの言葉をかけ側へ寄った所で、政宗の腕に娘が抱かれている事に気が付いた。
「政宗様、そちらが…?」
「ああ、探してたprincessだ。丁重に扱えよ?」
「それは勿論…しかし、どうされたのですか」
小十郎の目には、政宗の胸に縋り付く姫の尋常ではない様子が映り込んでいた。
身を竦ませて小刻みに震えている。
何かに怯えているのが明らかだが、その何かとは。
一抹の不安を抱えながら、問いを口にする。
「行きたくないと駄々をこねてたんだが、馬に乗せて崖を越えた所で大人しくなった」
「…まさか、いつもの調子で飛ばれたのでは」
「当たり前だろ。その方が早い」
返された答えの、さも当然と言わんばかりの声色に、小十郎は眉間を押さえた。
予感的中とはこの事か。
先程遠く聞こえた女の悲鳴は、恐らく政宗が崖から飛んだ時のものだろう。
抱えられた姫には、今まで決して味わった事のないであろう浮遊感に為す術もなかったに違いない。
城を落とされたばかりでなく、崖から飛び降りるという体験を強いられる。
一日で何度命の危機を感じた事だろうか。
城を攻めた当事者ではあるが、彼女の身の上には同情せざるを得ないものがあった。
「政宗様…姫君は度胸試しのような事は慣れていないのです。接し方には注意をして頂かないと」
「OK,分かった分かった。へそ曲げられても後が大変だからな」
へその問題ではなく、伊達軍の調子に付き合わせると姫があまりに哀れだからなのだが。
思ったものの、それをいうと今度は政宗の方が面倒くさいことになりそうなので口にはしない。
「まあ、もう国はねぇんだ。大人しくしてりゃ悪いようにはしねぇ。縋られるのも悪くなかった」
姫に言い聞かせながら、長い髪を一房指で弄ぶ。
姫の肩がぴくりと跳ねた。
「…悪いようにはしないですって…?」
聞こえたのは女の声だったので、ここへ来て初めて姫が言葉を発したと知る。
俄に顔を上げた姫の、その眼差しの強さに政宗が目を丸くする。
「訳の分からない言葉を言いながら追い掛けてきて、無理矢理馬に乗せて、挙げ句崖から飛び降りて!
あれだけ怖い思いをさせておきながら悪いようにはしないなんて、どの口が言うのっ!?」
「お、おい暴れるな!落ちるぞ危ねぇっ」
「もう十分悪いようにされてるわよ!離してっ!!」
支えていた政宗の腕を振り払おうと、姫が暴れ出す。
突如始まった馬上の小競り合いに危険を感じ、小十郎は馬へ駆け寄る。
その時、何度目か振り払った拍子に、姫の体がぐらりと傾いだ。
「炒り豆に当たって死んでしまえ!!」
落馬の恐怖を上回ったか、怨嗟の声を発して姫の体が馬より離れていく。
政宗が伸ばした手は間に合わず、そのまま地面へと叩き付けられるかと思われた刹那。
「おっと…危ねぇ」
間一髪、小十郎が駆け付ける方が早く、落ちた姫の体を下から抱き留めていた。
小さく悲鳴を上げ、驚いて縋りつく姫を安心させようと、しっかりとその体を支えた。
衝撃をやり過ごし、縋る力が緩んだ頃を見計らって、姫の体を慎重に地へ下ろす。
「お怪我はないようですね」
「あ…貴方は…?」
「伊達家家臣、片倉景綱と申します。が息女、姫様には、我が主に続き度重なる非礼を心よりお詫び申し上げます」
馬に揺られていたせいか、姫は足に力が入らないようで、立つ姿がどうにも頼りない。
故に、不可抗力で体に触れてしまっている事をまずは謝罪した。
言われて初めて支えられている事に意識がいったようで、はっとした様子で自分の体をきょろきょろと見回している。
状況は理解出来た筈だが、それでも姫は身を引かなかった。
ややあって戻ってきた眼差しは、小十郎への関心に彩られていた。
「度重なる…という事は、貴方の主が私にした仕打ちも知っているのですね?」
「政宗様は未だ年若く、勢いで突き進んでしまう所がおあり故、恐ろしい思いをした事でしょう。
…しかし、招き方が手荒だったとはいえ、姫様を丁重に御迎えする心積もりに偽りはございません。
国を失われ、御身一つでは何かと不自由がありましょう。
国を滅ぼした張本人の我々が言うのも烏滸がましいですが、どうか我らの招きに応じてはいただけませんか」
紡ぐ言葉が真である事を証すように語りかける。
姫の丸く開かれた目は、そんな小十郎の様子をじっと見つめている。
敵国の掌中にある事に加え、こちらの意思を伝えるより先に無体を働いてしまった状況で、どこまで受け入れてもらえるか。
出方を窺うように、或いは姫の眼差しに応えるように。
小十郎もまた、ひたと眼差しを交わらせる。
遠くに帰り支度を始める喧騒と、近くでは風に弄ばれる衣擦れの音。
一瞬の静寂。
ふと、姫が小十郎の胸元へ顔を埋めてきて、互いの視線は離れた。
「姫、どうなさいましたか」
具合でも悪くなったかとかけた声へ、
「…貴方は…優しい、土の匂いがしますね」
胸元に落とされた囁き。
聞き返すよりも早く、姫の身が離れた。
一度は逸れた眼差しが再び小十郎を捉えた時には、もうそこに探るような色は無くなっていた。
「片倉様、と仰いましたね。貴方様から土の匂いがします。何かされていますか?」
「土」
不意に問われ、小十郎は僅かに眉を顰める。
何を思って姫がそんな事を訊いてくるのか分からなかったが、隠す事でもないので正直に答えた。
「武士としては珍しい事でしょうが、自前の畑を持っております」
畑を持っている。
そう答えた途端、姫の表情がぱっと輝いた気がした。
そして、ふわりと微笑まれる。
頬を僅かに赤らめて、笑いかける顔から滲む嬉しげな色に、哀れみばかりであった姫への印象が、この時少し変わるのを小十郎は感じた。
「片倉様、貴方を信じます。伊達の保護を受けましょう」
「誠でございますか」
あれ程警戒や不信の色が露わだった意思を覆す返事が、姫よりもたらされた。
思わず念押しのように続けてしまった小十郎の言葉へこくりと頷き、姫は更に言葉を続けた。
「可能であれば、貴方様の畑仕事を、時々手伝わせて頂けると嬉しいのですが」
「は…」
「我が城にも畑があって、日々の世話を行っておりました。故に少しはお役に立てると思います」
少しはにかみながらの申し出に、そういえば城の検分に入った時に畑の畝があったな、と思い出した。
攻城により荒れ果ててしまっていたが、あの畑に姫が手を加えていたのか。
伊達の許へ降っては、もう自分の畑の世話は出来ないから、代わりに小十郎の畑を手伝わせて欲しいという事らしい。
これは姫が提示した伊達に降る為の条件であろうか。
自らの畑を引換に出され、小十郎は一瞬返事を躊躇う。
ふと随分と大人しくしている未だ馬上の主を仰ぎ見た。
己の領域に踏み入られるのは多少抵抗があるが、主命があればある程度踏ん切りがつく。
指示を仰ぐつもりで仰ぎ見た政宗は、
「炒り豆…」
そんな罵声を浴びせられたのは初めてだ…So cool。
何故か感銘を受けたように姫に熱い眼差しを向けていた。
どうも政宗の意識は、炒り豆発言以来姫にばかり向けられて、その後の会話は耳に届いていないようだった。
政宗の眼差しは姫へ、そして姫の眼差しは小十郎へ。
小十郎の目は政宗へと向けられているので、どの眼差しも交わることはない。
何とない不毛さを感じながら、小十郎は政宗の指示を仰ぐ事を諦めた。
小さく息を吐き、馬上の政宗から正面の姫へ視線を落とす。
かち合った視線の先で、姫の頬にぱっと朱が散った。
「実際に手入れをするのは危ない事もあります故、水遣りなどで良ければ」
自分からやると言い出したとはいえ、姫に畑仕事をさせるのは気が引けた。
且つ自己申告のみでどれだけ作物の世話が出来るのか分からない人間に、自分の畑を弄られるのには少なからぬ抵抗があった。
故に考えた末の、小十郎なりの折衷案がそこであった。
いかがですかと目で問えば、姫はやや物足りなげな目をしたが、お願いしますと答えた。
「貴方様のお手伝いが出来るなら、何だって構いません」
にこりと笑いかける花の
随分と気に入られたもんだな
何が姫の琴線に触れたか、小十郎を気に入った事で伊達に降る決意をしたと言っても過言ではなさそうだ。
ひとまずは姫を迎え入れられただけで上々。
小十郎は恭しく、姫を乗せる駕籠までの先導に立った。
ちらりと政宗に視線を遣ると、相変わらず姫を見つめ呆けている。
こちらも何が琴線に触れたか、姫に男としての興味を引かれたらしい。
血気盛んなばかりであったので良い変化だとも言えるのだが、果たしてこの調子で大丈夫だろうか。
姫を連れて来た時とはまた別種の不安に駆られながら、小十郎はの姫を迎える事が出来たのだった。
政宗→夢主→小十郎の一方通行が書きたかったお話。
もう一話続くかも。
戯
2013.8.29
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