花に風
「が拐かされたじゃとッ!?うっ…!!」
声を張り上げた途端に腰を襲った激痛に、一瞬三途の川が見えた気がした。
何処からか風のように現れた忍、風魔小太郎が支えてくれなんだら、頭の一つでも打っていた所だ。
風魔の処置で腰の痛みも和らぎ、何とか気を持ち直す。
やれやれ、一安心。
「ぢゃないわーッ!!ワシの可愛いがっうぐぅッ…!」
安心している暇などない事に気付いた瞬間腰二回目。
これまた風魔の処置でどうにか落ち着くと、三度はやらかさないように深呼吸。
すうはあすうはあ。
「おのれぇ…どこの誰かは知らぬが、に傷一つでも付けたらこの北条氏政が許さんぞ!」
多少冷静になった所でぎりりと歯噛みする。
関東一円を治める北条氏政が溺愛する、可愛い可愛い孫娘。
齢八つになるその姫が、外出した隙に何者かによって攫われたと報告があったのだ。
この大家の姫を拐かすなど、北条気に宣戦布告するのと同義。
どこの国の者だ、豊臣か、織田か。
どの国の仕業であろうと許すまじ!
北条家を敵に回した恐ろしさを身に染みて分からせてやるわ!
激高する感情のまま、傍らの風魔を振り返る。
「風魔よ、の救出を命じる!一刻も早くを見つけ出し、無事に連れ帰るのぢゃ!」
任務は必ず成功させる、風魔を信頼しきった上での命令。
風魔はこれに軽く頭を下げると、黒い羽根だけを残して姿を消した。
遠くでは城の者が捜索隊を準備する慌ただしい音が聞こえている。
あちらは息子の氏直に任せておけば大丈夫だろう。
ちらりと耳で確認をして、一番近い窓辺へ寄り空を見上げる。
ああ、あの雲が可愛い孫の笑顔に見えてきた。
「心配ぢゃのう…早う元気な顔を見せておくれ、よ…」
堪らえきれず滲む涙を袖に吸わせ、氏政は風魔の帰りを待ち侘びた。
その後、幾ばくかの時が過ぎて、姫は無事に風魔の手で保護された。
震える手で風魔にしがみつき、気丈にも泣かずにいた小さな姫。
それが氏政の姿を認めると、緊張の糸が切れたように大きな声で泣き出した。
風魔から受け渡された姫を抱いてやると、小さな手で縋り付いてくる。
愛おしい孫娘が無事であった安堵感に包まれ、そっと目を細める。
風魔の姿はいつの間にか消えていた。
後の調べで、を拐かしたのは小者の人攫いで、北条家の姫と知らずに犯行に及んだと分かった。
国家間の衝突という事態は避けられ、北条家はしばらく平和な時を過ごすのであった。
姫誘拐事件から幾日か過ぎた、ある晴れの日。
「こんにちは、おじいさま!」
風呂敷を携えて訪ねてきた孫に対し、氏政の表情は終始弛みっぱなしであった。
「よく来たのうや。もう元気になったかの?」
「はい、もうすっかり!ご心配をおかけしました」
利発そうにぺこりと頭を下げてから、照れたように笑う孫。
誘拐事件の直後は鬱ぎ込んだりもしていたようだが、本人も言う通り無事に持ち直したようだ。
の笑顔はこの老人の何よりの活力になる。
この笑顔が戻ってくれて本当に良かった。
一人感慨に耽り、うんうんと深く頷く。
と、が何やらきょろきょろと辺りを見回している事に気が付いた。
「あの、おじいさま」
「んん?何じゃなよ」
「今日は、風魔さんはいますか?お礼を言いたいのですが」
「な、何と!」
世話を受けた者へ礼を出来るようになったか!
予期せず触れた孫の成長に嬉しい衝撃を与えられ、ついつい涙が滲む。
いかんいかん、が見ておる前で涙は見せられん。
の前では常に威厳があり格好良く優しいお祖父ちゃんでありたい。
ジジイ心理が働き、泣くのは何とか堪え、涙を飲み込みにっこり笑う。
「おお、ちゃんとお礼を言えるとは偉いのう。よしよし、ちと待っておれ、今呼んでやるからの。おおーい、風魔!風魔はおるか!」
姿は見えないが、必ず何処かに控えている筈だ。
そんな確信もあって、空へ向かって声を張り上げる。
声の余韻が空気へ溶け消える、それと入れ替わるように、今度は風の音が聞こえ出す。
それが一際大きくなり、ふつりと音が失せた時。
そこには舞い散る黒い羽根と共に、風魔が姿を現していた。
「風魔よ、が先日の礼をしたいそうじゃ。聞いてやってくれんか」
簡単に説明をすると、僅かに風魔の視線が動く。
氏政の隣にいる小さな姿を見つけると、その場に膝をつき目線を低くした。
聞く心積もりがあるようだ。
その様子に満足し、今度はすぐ傍のを見遣る。
どこからか沸くように現れた風魔に、目を丸くして見入っている小さな姫。
驚いた顔もまたかわゆいのう。
祖父馬鹿を惜しみなく発揮しながらも、促すようにの背を押す。
「さ、よ」
「は、はい…」
大丈夫じゃ、よ。
風魔は無口でちょっと怖いかも知れんが、子供を苛めるような奴ではない。
頑張るのじゃ!
おずおずと足を進める小さな背を見守りつつ、心の中で声援を送り続ける。
やがて風魔の前まで歩み出てからももじもじとしていたが、意を決したように顔を上げた。
「あの、風魔さん、先日は助けていただき、本当にありがとうございました」
「……」
「怖かったけど、風魔さんが来てくれたから安心できました」
「……」
「…おじいさま…」
風魔さん返事してくれない。
若干泣きそうな顔で振り返るに、慌てて目で「大丈夫だ」と伝える。
泣かずとも大丈夫じゃ、風魔はちゃんと聞いておる。
その一念が届いた為かは分からないが、は何とか風魔に向き直った。
「あの…大したものではないですが、これをもらってくれませんか?」
「……」
「お礼の気持ちです。忍者の風魔さんには、薬草とかの方が良かったかも知れませんが…」
そう言って、ここに来た時から手に持っていた風呂敷包みを抱え直し、結び目を解く。
中から現れた物を、氏政も後ろから覗き込んで、驚いた。
「おお、綺麗な花が沢山じゃのう!」
小さな野の花が一抱え分、風呂敷の上に広がっていた。
風魔に向かって差し出している、のその小さな手で懸命に摘んだものであろう。
風魔への礼を自分なりに考えて花を選んだ、その光景を想像して微笑ましい気分になる。
反面、お祖父様には贈り物はないのかのー、と妙にそわそわした。
相変わらず風魔は無言であったが、兜の下の目は花に向けられているようだ。
やがて伸ばされる風魔の手。
受け取ったかと思った瞬間、突風が起きた。
「わあっ!」
「ッ!」
風に煽られよろけたを慌てて支える。
氏政にとっては馴れたものだが、初めての上に体の小さいには驚き以外の何物でもないだろう。
風魔がなにがしか行動をする時に発生するつむじ風が、そこに生じていた。
風の中心にいるであろう風魔の姿は砂塵に紛れよく確認できない。
砂からを庇い様子を見守っている内に、その場に留まり続けた風の渦は消え、
「…それ……」
「……」
明らかとなった風魔が、何かを手に携えそこに佇んでいた。
「花冠?」
氏政の腕から顔を出してが呟く。
たった今、からもたらされた花々が、小さな花冠に変わって風魔の手に握られていたのだ。
無言のままに風魔がへと近づき、そっとその頭へ花冠を乗せる。
自分の頭に飾られた花に触れ、
「…ありがとう、風魔さん!」
事態の変化に追い付けず呆然としていた顔が、見る間に花の綻ぶような笑顔に彩られる。
花冠に彩られた北条の花の姫。
もう眩しすぎて見ていられない。
よくやったぞ風魔、あとで金一封ぢゃ!!
愛らしすぎる孫の姿にお祖父様は昇天しそうになっていると、
「ねえ、おじいさま」
くいくいと袖を引っ張り、が弾んだ声を掛けてきた。
「ん?何じゃなよ」
「風魔さんをわたしに下さいな!」
「おお、そうかそうか風魔が欲し…ん?」
屈んで合わせた目線の先で、かまされた衝撃発言は何かの聞き間違いか。
否、この氏政がの言葉を聞き違えるなどありはしない。
ならば、では、まさか、もしや。
「何ぢゃとおおっ!?」
お祖父様絶叫。
比喩ではなく実際に昇天しそうになる氏政にも気付かず、は輝く瞳を向けて、
「今すぐじゃなくていいんです、大きくなったら風魔さんのおヨメにしてください!」
「……!?」
何とか魂を体に戻した所で、氏政は必死に考えた。
孫は可愛い。
の頼みであれば何でも叶えてやりたいし、欲しい物は何でも揃えてやりたい。
しかし北条の家と風魔の関係を考えるなら、このおねだりは到底叶えられるものではない。
あくまで雇用の上に成り立つ主従関係であるし、忍を北条の家に迎え入れるなど。
というかそもそもを嫁にやるなど早過ぎるわ!!
だが年端のいかぬ子供にそんな事を伝えたとして、聡い子だとはいえ理解できるだろうか。
頭ごなしに駄目というのも可愛い孫に出来る仕打ちではない。
でも、けれど、されど。
脳内議論はぐるぐる回る。
一人小田原評定に困った困ったとぶつぶつ呟いていると、見上げてくるの眼差しに気付いた。
「…駄目…ですか…?」
しょんぼり、がっかり。
そんな表現がぴったりの顔を向けられてしまうと、お祖父様はもう。
「お…大きくなっても風魔に嫁ぎたいと思っておったら、考えてやらんでもないぞい」
「……!?」
「本当!?ありがとうおじいさま、わたし頑張る!」
「ほ、ほっほ…いいんじゃよ、頑張りなさい」
「はい!」
「……!?!?」
すまん風魔、孫の可愛さにワシは勝てん。
喜びのあまり風魔の足に飛び付く。
言葉はなくとも、言いたい事がいっぱいあるだろうと分かりすぎる程に動揺の色を見せる風魔。
雇用先の姫を振り払う事も出来ず、助けを求める風魔の視線から逃げる。
願わくば成長と共に、の思慕が他の何者かへ向きますように。
どうかの感情が、恩人へ向けられた一時の憧れで終わりますように。
祈りながらも、嬉しそうなの笑顔を見るに付け、一割程は「これでも良いか」と思ってしまう氏政なのであった。
風魔にはいい迷惑という話。
書き終わってから我に返りましたが、助けられて恋に落ちるとかこれただの鶴ちゃんやないかい(一人ツッコミ
戯
2014.1.15
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