触れた温み
いつもの何気ない世間話だと思っていた。
互いの気心も知れている為、顔を向けずとも話は出来る。
だからこの時も三成は、部屋を訪ったの話を、刀の手入れの片手間に聞いていたのだ。
「嫁ぐことになりました」
何度目かに訪れた沈黙の後、ふと紡がれたその一語を、三成は聞き逃しそうになった。
そうか、と答えかけ、一拍遅れて内容の重大さに気付き、磨き粉を振っていた手の動きを止める。
「御家の同盟の為…ひいては豊臣の為、どこにでもこの身を置く覚悟」
首だけ巡らせて友を見遣る。
開け放たれた戸から差し込む光を受け、眩しそうにしながら庭の景色を眺めるその横顔。
見た事もない穏やかな表情をしていて、これは果たして己が知る者だろうかと一瞬疑う。
「…なんてね?」
けれど、三成の視線に気付きこちらを向いた時には、いつも見慣れた笑みが浮かんでいた。
覆い隠されるように失せた表情の理由を問う機会は、それで失われた。
何かを言おうとして開きかけた唇が音を失い、所在なく閉じた。
ほんの僅かな間の事だったが、目敏く見留めたは小首を傾げる。
「どうしたの?」
「…今日は別れの挨拶に来たのか」
「うん。今まで世話になったから」
「そうだな…。嫁げば会う機会も少なくなろう。豊臣の御為に、務めを果たして来るが良い」
己が何に戸惑っているのかも分からなかったので、場を取り繕うように口をついたのはそんな言葉。
違う。
に掛けたかったのはそんな言葉ではない。
しかし、では何を言いたかったのかと自問しても、見つける前に見失った言葉を拾うのは至難の業で。
「うん。任せてね」
探しあぐねている内にに答えられてしまい、再び言葉を失った。
気安げに笑いかけてくる、その顔を見ていられなくなり、三成は手元の刀へ視線を戻す。
手入れを再開したが、が現れる前の凪いだ精神状態に何故か戻れない。
集中できない事に焦れ、焦れる己にまた焦る。
視界に映らない所にいるからの視線を感じる。
挨拶を済ませたのではなかったか。
嫁ぐまでには諸々の手順があり、ここで油を売っている暇などない筈だ。
さっさと帰れば良いものを、いつまでも留まっているものだから、精神のざわつきが静まらないのだ。
消えてしまえ。
この部屋から。
私の視界から。
胸の内から。
「…本当はね。」
ふと、真後ろから声がした。
これ程まで接近されて気付かないとは、余程思考の深みにはまっていたらしい。
ただ、気付くと同時に三成の思考は止まった。
強制的に止められたと言っても良い。
背後から肩に手を置かれ、後頭部に触れているのは恐らくの額。
衣に焚き染めた香の匂いがふわりと鼻をくすぐる。
友とはいえ、これ程の距離に近付いた事はあっただろうか。
「豊臣の為なんかじゃない。貴方の為よ、三成。貴方は味方が少ないから。
貴方には刑部殿がいるけれど、あの人だけでは有事には足りないわ。だから私が、貴方の味方を作りに行くの。
私だからこそ出来る方法よ。大名家の娘として、必ず貴方の役に立ってみせる」
間近で吹き込まれる言葉は、三成に聞かせるようでいて、その実自身を奮い立たせているようだった。
それに対し、三成は返す術を持たなかった。
の温もりが離れるその瞬間まで、ただ口を噤み受け入れるしかなかった。
「貴方の友になれた事は、私の誇りでした。…息災でね、三成」
その言葉を最後に、の気配が離れて行く。
背が自由になった事で、ゆるゆると顔を向ける。
去るは、三成を振り返る事はなかった。
背筋を正し、部屋を後にするその姿からは、一大名家の姫としての風格を漂わせていた。
三成にはあまり見せた事のない面であった。
小姓上がりの三成に対しは、大名家の姫である事を意識しない接し方をしてきた。
それが、小姓上がりであるが故、豊臣の武将から快く思われていなかった三成への配慮だと今なら分かる。
公の場で見かける時のは、三成の前で見せるそれとは違い、堂々たる姫の振る舞いであったからだ。
今、三成の前から去ろうとする、その後ろ姿のように。
追おうとは思わなかった。
それが大名家の姫に生まれたの使命であると思うと出来なかった。
最後に触れたのは、それがなりの決別だったのだろう。
その覚悟を無下にするような行いを誰が出来よう。
のいなくなった部屋で、手の感触の残る肩に触れる。
「…そうか」
独り呟き、天井を見上げる。
今更気付いた。
気付いた所で、最初からどうする事も出来なかったのだが。
私は、友である新の事を好いていたのだ。
ツイッターお題より。
『お友達設定で悲恋な三成夢を書きます』
戯
2013.8.15
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