対の子
二槍で切り裂いた大気に流れが生まれ、その余波が頬を撫でていく。
天気に恵まれ温んだ空気では、火照った体を冷ますには至らなかった。
鍛練の為据えた巻藁に一通り技を叩き込み、真田幸村は詰めていた息を吐き出す。
首筋を伝う汗のこそばゆさに、一旦鍛練の手を止めそれを拭う。
巻藁を叩く乾いた音が止んだ、その一瞬の隙を見計らったように、ふとどこからか細い悲鳴が聞こえてきた。
反射的に雲一つない空を振り仰ぎ、次いで幸村の目は館の方へ向けられる。
「今回は長引くな…」
ぽつりと独りごち、踵を返す。
声の主の予想はついている。
手近な所へ二槍を立て掛けると、幸村はその人がいる部屋へと向かい歩き出した。
一室の前に佇み、声をかける。
「姉上」
返事は無かったが、人の気配はする。
入りますと一声かけてから、相手の了承を待たずに戸へ手をかけ、引き開けた。
昼間だというのに閉じきった室内は薄暗く、空気が澱んでいた。
その部屋の中央、小さく体を丸め蹲る人がいる。
幸村はその傍へ寄り、
「今は何処に居りますか」
普段は張る事しか知らぬ声を低め、そっと問いかける。
幸村の問い掛けに顔を上げる事こそ無かったが、その人はゆるゆると腕を持ち上げ、部屋の一隅を指し示した。
薄暗い室内の、日が届かず更に陰の色濃い部屋の角である。
幸村は示された先を目で追い掛けると、ここに来る前に厨へ立ち寄って拝借してきた塩の袋を手に動いた。
部屋の角へ壁を向いて立ち、虚空をしばし眺めた後、おもむろに袋から塩を掴み出し壁へと投げ付ける。
小分けに何度か振り撒き、最後に一隅へと塩を盛った。
手についた残りを払い落としてから蹲る人の元へ戻り、先と同じく静かな声音で語りかける。
「塩で清めました。まだ見えますか」
添えた手の下で身動ぐのを感じる。
緩慢な動作で体を起こしたその人は、伏せていた目をそっと開き、恐る恐るといった様子で室内を見渡した。
「姉上」
見えますか、と重ねて問う。
宙をさまよっていた眼差しが、やがて幸村を捉える。
「見えません。いなくなったようです」
安心したのか少しだけ笑みを見せた事に、幸村にも安堵の思いが湧いた。
「それは良かった。気分は悪くありませんか。白湯を持ちましょうか」
「それには及びません。いつも有難う、幸村」
ついつい過ぎる程に気にかけてしまう幸村へ、その人…対の姉であるは、幸村に良く似た顔で微笑みかけた。
幸村と対で生まれたは、人には見えないものが見えてしまう体質の人間であった。
戦の後には幸村には見えない「何か」に怯え、その時には塩で場を清めてやっている。
「代わって差し上げられればどんなに良いか…」
此度の戦は近年では大きなものだったせいか、いつもなら戦後数日で収まる症状の訴えが未だに続いている。
を苦しめているそれは、己が戦場より敵兵の恨みや無念を連れ帰ってしまっているからではないか。
その推測は、幸村の中では最早確信であり、だからこそ主因である己がの恐怖を分かちあってやれない事が歯痒かった。
この思いは、これまで何度となく繰り返し味わってきている。
この両の手は、武田の為に振るう事は出来ても、身近な人の役には立たない。
悔しさに膝の上で手を握り締めると、そこにの手が重ねられる。
己の内に沈んでいた思考がそれにより引き戻された。
「幸村」
名を呼ばれ顔を上げる幸村の目に、たしなめるようなの表情が映る。
己とは違う、燻した銀のような色の目が、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「貴方が戦場にて槍働きをするように、これは私の戦いと心得ています。貴方は私の戦場に、踏み入れてはなりませんよ」
「姉上…それでは苦しいままではありませぬか」
苦しみを少しでも和らげてやりたいのに。
反論の言葉は、が頭を振る事で押し留められた。
「そうでもありません。幸村、貴方がいるだけで、彼等は傍に寄れないのですよ」
それだけで、私は十分救われます。
胸の前で祈るように手を組み、ふわりと微笑む。
心労から少し窶れてしまっているが、それでも笑顔からは辛苦を感じられない。
覚悟の程がその態度に表れているようで、幸村は言葉を続けられなかった。
「館ではこうして迷惑をかけてしまいますが…、貴方は、槍働きに専念しなさい」
役目のある弟に心配をかけたくない気持ちも、一度決めたら揺るがない意志の強さも。
対で生まれた間柄故に、自分の事のように理解出来た。
だからこそ下手に押し留めも出来ず、ただ今は一時でも苦しみが遠ざかるように、幸村はの背を抱いていた。
そのままで良い。
二人のいる部屋の天井裏で、梁に寝転び耳を
は幸村が光である為の影である。
戦にて敵を斬れば、少なからず被るであろう恨みを、幸村はという人柱がいるお陰でそれを免れている。
対で生まれたが為に、陰陽の気が二つに別たれたか。
陽の気は男である幸村へ、陰の気は女であるへ。
負の気は陰へと惹かれやすく、故にに障りを引き起こす。
このまま放っておけば、は遠からず負の気に当てられて死ぬだろう。
それで良いと佐助は思う。
を人柱にして幸村が守られるなら、他言せず己の胸にしまい込もう。
主以外の者にかける慈悲など持ち合わせてはいないから。
いずれ
「それまでは精々、対象を守って頂戴よ、姫さん」
薄暗い闇の中、佐助はそっと笑みを浮かべた。
ツイッターお題より。
『ホラー設定で双子な幸村夢を書きます』
ホラーの定義って何ですかね
最後の近親婚匂わせ文は、かつて双子は前世で一緒になれなかった男女の生まれ変わりで、
片方を養子に出して将来的に結婚させてたってツイッター知識から。
養い親の所から引き取られ、夫婦になる猶予期間の話、みたいな。
戯
2013.10.9
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