リスクランクSのギア。
そのギアは野放しにしておくには膨大すぎる戦闘力を持ち、今現在も活動を続けている。
処分しようと動こうにも、その力の前にはそれなりに名の通った腕利きの賞金稼ぎさえ歯が立たない。
それを放置するのは危険な行為だ、と考えられて然るべきである。
が、対象となるそのギアに関してのみ言えば、ギアの本能とも言える破壊衝動の発露が、今の所見られない。
よって、人々の保全の職務を担う警察機構でも、かの者への措置は保留となっていた。
一つ所に定住し、住処に侵入してくる輩を追い払う程度にしかその力を使わない。
当人に害意はないようだが、突然の暴走が懸念されるのがギアという生き物。
定期的にその様子を確認しておく事が、現在そのギアに対する最低限の処置だった。
てのこう
そうしてカイは幾度目かの査察に、禍々しき呼称を持つその森を訪れた。
一歩足を踏み入れれば、視界いっぱいに広がる緑の深さ。
静けさと清浄さを併せ持つこの場所が『悪魔の棲む地』などと呼びなわされているとは、
「休暇でない事が少しばかり恨めしく思えますね……」
少なからず本音のこもった声でカイが呟く。
警察機構の長官という地位に就いた今となっては、休暇などなかなか取る機会がない。
仕事の合間にはきちんと休憩を入れるが、それとこういった自然に触れる事とは全く別の問題だ。
そうして無意識に張り続けていた気を、この地は緩やかに解きほぐしてくれる雰囲気を有している。
穏やかな時間を過ごすのは好きだ。
だからこそ、このような場所にあって素直に安らげないでいる状況が口惜しい。
聖戦の忌まわしき爪痕も忘れさせてくれるような場所であるというのに。
いや、一つだけあるか。
カイは心の内で様々な思いを馳せながら、目的地に至るまでの緑の回廊を、ゆっくりとしたペースで歩いた。
短く限られた時間の中で、出来うる限りこの時間を味わおうと思い、歩き続けるカイの前方。
不意に、緑以外の色合いが現れていた。
「こんな所に人……?」
彼……ではないですね、と一人確認するように口の中で呟く。
頭に思い描いた人物と比べて、前方に現れた人影は随分と小さく思えた。
髪の色は脳裏に浮かんだのと同じで黒いが長さが違うし、纏う衣服も『彼』が着るには少々可愛らしすぎる。
薄桃色の、風を孕んで膨らむゆったりとした上着。
大半が木々の緑で埋め尽くされた視界の中で、その薄桃色がよく映えて目に留まった。
一瞬、その可愛らしい上着を着た彼の姿を想像しかけ吹き出しそうになったので、慌ててその映像を振り払った。
不謹慎な。
心の中で自分を叱咤すると、未だ違う方向を向いていてカイに気付いていないその人物に近付き、声をかける。
「このような場所に一人でいるとは。危ないですよ、お嬢さん」
なるべく驚かせないように声をかけたつもりであったが、それでも驚かせてしまったらしい。
反射的に振り返った相手……娘の目が大きく見開かれ、カイを捉える。
右目を藤色の布で覆っている。
そちらの目に何らかの障害でも持っているのだろうか。
「……どちら様ですか?」
小首を傾げ問う娘の面差し。
黒髪黒目に東洋的な顔立ち。
チャイニーズだろうか、と推測するが、しかし断言するには纏っている雰囲気が違う気がする。
幼げな顔に浮かぶきょとんとした色。
ふと、カイに朧気な記憶を呼び覚まさせる。
いつだったか訪れたあの場所。
あそこにいた人々から感じた雰囲気と、娘の持つ雰囲気が交差する。
それはひどく曖昧模糊として不確かな感覚だけれど。
「あなたは……もしや、ジャパニーズですか?」
コロニー。
その答えに行き着いた途端、カイは名乗る前に問いを口にしていた。
見知らぬ相手の勢い込んだ様子に娘は少したじろいだようだが、間を置いて首が上下に振られる。
自らジャパニーズであると認めた。
それならば話は早い。
「でも」
「ジャパニーズなら、何故こんな所に?コロニーから脱走したんですか?」
「いや、そうじゃなくて」
「そうでなければ攫われ売られたのか未登録か……何にしろ、あまり良くはありませんね」
「……あの、私の話聞いてもらえますか?」
「ええ、勿論お話を聞かせて頂きますよ。しかしその前にこの森を出ましょう。
ジャパニーズでなくとも、あなたのような女性がいるには少し危険だ」
にっこりと微笑むことも忘れず、娘の手を取り踵を返す。
ジャパニーズの、それもこのような娘が、無防備にも一人でこんな所にいる事実。
ひとまず本来の目的は横に置いて、せめて警察機構の目が届く所まで娘を連れて行かなければ。
女性を危ない目に遭わせてはならないという思いと己の義心に則って、娘を森の外へ連れ出そうと手を引く。
そこへ、想像だにしていなかった娘の抵抗が起こった。
「ちょっ、ちょっと待ってっ!」
手を掴まれて引かれる体を、足を踏ん張って必死にその場に留めている。
コロニーからの脱走者か、人身売買組織に攫われ売られたか、はたまた聖戦も集結した今頃になってまだいた未登録のジャパニーズか。
はて、先程挙げた例に当てはめてみるには、この様子は少しおかしい。
何故だ、と思っていた矢先、俄に足下に生じた気配。
いち早く察知したカイは、娘の手を放して素早く身を退いた。
途端、直前までカイが立っていたその位置に急な勢いで木が生え、娘の姿をその後ろに隠してしまった。
急で不自然な出来事に驚かされつつも、そこは実践で培った経験が物を言い、すぐに我を取り戻し冷静に場を分析する。
人の顔のように洞の出来た、奇怪な姿をした木。
カイは記憶の中に、これと同じ形をした木を見つけた。
「近頃の警察機構は、職務遂行の為には咎のない者も強制連行なのかな?団長殿」
「テスタメントさん!!」
一定時間経ち地中へと戻っていった木の向こう側。娘の傍ら。
竦めた小さな肩を抱え、音もなくそこに現れていたのは、黒髪に黒衣の青年。
「え、テスタメントの知り合い?」
「少しな」
カイが青年の名を呼んだのに瞠目した娘が隣を見上げながら問うのに、青年……テスタメントは答える。
敵意と、少しばかりの怒りも含んだ眼差しをこちらに向けたまま。
「して、質問の答えはいかがか」
「……あなたが今までそちらの女性を保護して下さっていた事に関しては感謝します。
しかしその方には、もっと適した居場所がある」
彼女はジャパニーズ。
彼は高額の賞金も懸けられているギア。
彼を目的に森を訪れた輩が彼女を見つけ、邪念を抱かないとも限らない。
そのような事態を未然に防ぐ意味も含め、やはり彼女はこのような場所にいるべきではないのだ。
娘にとってもコロニーで保護されている方がより心強い筈である。
剣呑なテスタメントの問い方に自然と眉を寄せつつ、カイは律儀に答える。
そうして説明し終わった彼の目に映り込んだのは、少し困ったような表情の二人。
様子を見ている限り、彼らは随分と親しい間柄のようだ。
そこでいきなり引き離されるような事を言われれば、困惑して当然ではあるが。
何故だろう、二人の表情から酌み取れるものは、カイが推測する理由とは少し違うように思える。
間違った事は言っていない筈だが、と少し戸惑った。
そこへ、テスタメントの傍から離れた娘が近付いてくる。
そしてカイの戸惑いに答えを与えた。
「団長さん……ですか?これ、見て下さい」
呼称に迷い、ひとまず先程テスタメントが称した『団長』という言葉でカイに呼びかけた娘の手が、動く。
彼女自身の頭、その後ろへ。
何やら後ろでごそごそと手を動かし、やがて後頭部を離れた両手には眼帯の両端が握られていた。
眼帯を外したのだ。
そして露わになった娘の右目へ吸い寄せられるようにカイの視線が動き。
俄に、息を飲む。
「その目…!!」
「はい、この目です。色々あって、片方だけですけど」
後方から娘を見守っているテスタメントと同じ赤い目が、そこに在った。
驚いたカイに説明を付け加えた口調からも明白な、事実。
娘が、テスタメントと同じく人を素体にしたギアであるということ。
「テスタメントに助けてもらってから、ここでお世話になってるんです。
こんな体だからコロニーなんて頼れないし……だから、ごめんなさい」
「あ……」
本当に申し訳なさそうに下げられる頭を上げるよう促している内に初めて思い当たる、考え。
先程から彼女が言おうとしていたのはこの事だったのではないか。
コロニーにいないジャパニーズは、コロニーにいられないジャパニーズ。
類を見ないケースだけにその考えに至らず、先入観だけで話を進めて彼女の言おうとする言葉を遮っていた。何たる失態か。
ほんの僅か頬に朱を上らせ、カイは慌てて娘に頭を下げた。
あなたが悪いのではない、早合点してしまった自分がいけないのだ。
そのせいであなたに要らぬ気遣いをかけさせてしまった、申し訳ない、と。
そうして頭を下げたままでいると、今度は娘の方が慌て始め、頭を上げるよう促してきた。
その声に導かれるように頭を上げれば、すぐ傍に娘の姿。
自分の慌てた様がおかしかったのか、少し困ったような色を含ませつつも、娘は屈託なく笑っていた。
ギアであり、人としての意識を保っているのだから、これまで辛い事もあっただろうに。
こちらが容易く推し量れる辛苦を全て無に帰してしまうような笑顔を見せる娘に。
カイは少しだけ見惚れた。
近付いてきたテスタメントが問う。
「今日は査察に来たのだろう?」
「ええ。ですが、この方を見ていても、問題ないという事が十分分かります。
来て早々ですが、戻って異常はないとだけ報告しておきますよ」
答えつつ、傍でこちらを見上げてくる娘に微笑んだ。
「……あの、団長さんって一体……?」
「申し遅れました。私はカイ=キスク、国際警察機構の長官を務めています。聖戦時には聖騎士団団長を任されていました」
「あ、あー!だから団長!」
「はい。納得して頂けた所で、あなたの名前をお聞きしても?」
「はい!=と申します」
『団長』の謎が解明された娘……の顔に、今度こそ純粋な笑顔が宿る。
思わず弾んだ「よろしく」という言葉と共に差し出された手を握り、そのまま引き寄せ手の甲にキスを一つ落とす。
親愛のしるしのつもりだったが、はきょとんとしていた。
ジャパニーズにはこうした挨拶の習慣が無いと聞いていたのは、どうやら本当らしい。
途端に感じる、咎めるようなきつい眼差し。
テスタメントの赤い双眸が鋭さを増し、こちらを見ていた。
「の事はどう報告するつもりだ」
「今回報告する気はありません。こんな事例は初めてですから断言は出来ませんが……
さんは『ギア』でありながら『人』として活動しているようなので」
紅と黒のオッドアイと、彼女の状態から立てた推論だが、あながち間違ってはいないように思う。
この目が両方とも赤く染まった時は、その時こそ報告する必要性があろう。
しかしそうなるまでは、が今のでいるならば、無闇に事を荒立てるつもりはない。
ギアでありながら人の意識を保ち続ける男がいるのだ。
彼が守る限り、滅多な事での中の『ギア』が目覚め、暴走する事などないだろう。
後々危険因子になり得るものを放っておくのは己の好む所ではないが。
をそれに分類し、然るべき処置を施すのは、どうにも間違っているような気がした。
彼女なら大丈夫だと信じさせられる何かが、この短い間に芽生えていたようだ。
今はそれよりも。
「次に来る時は、紅茶の葉でもお土産に持ってきますよ。お詫びも兼ねて」
「本当ですか?お詫びは要りませんけど……楽しみにしてますね!」
彼女の屈託ない笑顔が欲しかった。
去っていく後ろ姿を、は見送る。
コロニーへ連れて行かれそうになった時はどうなるかと思ったが、悪い人ではなさそうなので安心した。
それに右目を見た後でも態度を変えずにいてくれた事が、にとっては大きい。
これからもっと仲良くなれればいいななどと心躍らせつつ、笑顔を浮かべて己の手を見る。
カイと握手をした手だ。
挨拶に唇を落とされたのには驚いたが、それも親しさの証だと思えば嬉しさが増した。
その眺めていた手を横合いから掴むのは、自分より一回り大きな手。
「どうしたの?テスタメント」
「……」
問いかけても、テスタメントは眉を顰めの手を見つめたままだ。
どうしたものかと、見上げた彼の次の行動を待つの前で。
後に、起こされた行動。
「テ、テスタメント?」
ごしごしごしごしと。
嵌めた手袋の布地を使って、掴まえた小さな手の甲をおもむろにこすり出す。
少し痛いと感じる程の力で、それはもう念入りに。
訳が分からなくてそのまましたいようにさせていると、やがて気が済んだのか。
こする手を止めると、その箇所をそっと彼の指先が撫でた。
「……今日は違ったが、実際に連れ去られそうになる事もあろう」
身の振り方を考えねばな、と口にするテスタメントは、妙な心持ちだった。
何故こんな事をしているのだろうと。
はただカイの挨拶を手の甲に受けていただけなのに。
「ただそれだけの事」が妙に心に引っかかり、気付けばカイの唇が触れた箇所を拭ってまでいた。
本当に、何故こんなことをしているのだろう。
己の行動と、そうしてしまった己の心境に戸惑い、テスタメントはごまかし逃げるように踵を返す。
置いて行かれたは、急に不機嫌そうになったテスタメントに驚き呆気に取られる。
何故急に機嫌が悪くなったのかと不思議に思いながら、今まで彼が握っていた自分の手を眺めた。
カイに口付けられた手の甲。
「………あれ?」
そこをこすり、撫でていったテスタメントの指先。
あれー……?
思い返しつつ、己の頬に手を当てる。
面白いぐらいに頬が上気していた。
手の甲に触れた、テスタメントの指の感触、その時の表情。
触れられて恥ずかしがるなら、指よりも唇の方が断然恥ずかしい筈なのに。
が反応したのは、カイよりも、テスタメントの行動。
「何で?」
頬と、少し早くなった鼓動を抑えようと胸に手を当て。
先を行くテスタメントが、いつまで経ってもついてくる気配の無い事を不思議に思い戻ってくるまで。
は一人、その場で四苦八苦するのだった。
すごい久しぶりのギルティ夢更新です……!!
オフ会のお誘いがあったのがきっかけだったのは間違いない。
書きたい書きたいとは思っててもなかなか鉛筆持たなかったもんなぁ……。
カイはフランス人だから挨拶にキスの一つでもかますだろうという思い込みの下に成った作品。
手の甲にキスーはフランス人じゃなくても別に良いです。
まだまだ純情(笑)な彼でもこのぐらいはするんじゃないだろうかな。挨拶だし。
で、その挨拶にちょっとした嫉妬みたいなものを覚えるテスたん。
二人がちょっとだけお互いを意識し始めるきっかけのお話でした。
戯
2006.8.29
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