大きなデスクと幾つかの椅子が並ぶ、会議用の一室。
彼女の姿を見た気がして、虚空に散っていた意識がにわかに像を結ぶ。

慌てて辺りを見回すが、目が届く範囲の何処にも、見た筈の姿はなく。
ただ、己が吐き出した紫煙が霧消するばかり。

「どうした、ポルナレフ。ぼーっとして」
「ん?ああ、何でもねーぜ」

傍で資料に目を通していた承太郎が、訝しげな視線を向けてきた。

気にするな、という意思を込めてぱたぱたと手を振る。

僅かに眉を顰める表情は、『何でもないようには見えないが』とありありと語っていたが、
こちらにそれ以上語る気のないことを悟ったのだろう。
しばらくじっと据えられていた眼差しは、やがて手元の資料へと戻っていった。

「気を抜くのもいいが、資料はちゃんと読んでるのか?ある程度現地の状況を頭に入れとかなきゃ、要らん面倒事に巻き込まれるぜ」
「読んでるぜ?けどよ、どうも事務的で目が上滑りしちまってなあ。頭に入ってこないっつーか」
「来週には発つんだろう」
「それまでには読んどくよ。最悪飛行機の中でも読める」

掲げて見せたのは紙の束。
承太郎が読んでいるものと同じ、資料の冊子。
折り目も少なく綺麗な状態のそれを、ばさばさと音を立てて示してみせれば、

「やれやれだぜ」

承太郎は呆れたように小さく首を振る。
その反応を軽く笑い飛ばして、銜えたままだった煙草を一息吸った。

腰掛けていた椅子の背もたれに体重を預け、肺に溜めたものを天井に向かって吐き出す。
ゆっくりと空気中に広がり消えていく様を眺めながら、あれはやはり錯覚だったのだと己に言い聞かせる。

これから自分が赴く場所は決して安全ではない。
共に行動したとして、何かあったら守れる保証はないからと、一人残し置いてきた愛しい者。
二度と会えない未来も踏まえて、覚悟とけじめはつけてきたつもりだったのだが。

どうやら自分で考えていた以上に、未だこの心には、彼女への未練があるようだ。
虚空を烟らせる紫煙の中に、その姿を夢想してしまう程に。

(会いてえなあ……)

密やかに、口の中で呟いた一言は、承太郎には届いていない。

ぱらりと資料をめくる音が時折聞こえる静かな空間。
煙草の先から立ち上る一筋を眺めながら、ポルナレフはもう一度煙を吐き出す。

空調の気流に乱され掻き消される紫煙の中に、彼女の姿はもう見えなかった。





【煙々羅】










妖怪モチーフで幾つか書きためようと思ったけどこれ書いて手詰まり。
エジプトの旅を終えて、矢の調査にイタリアへ行く直前ナレフのイメージで。



2016.1.26
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