「当主ともなろう者が戦を怖がるなど……おかしな話だと、お前は笑うだろうな」
「そんなことありませんよ。そもそもそういう性分なんだって事ぐらい分かっておりますし」
戦が怖いなら、私があなたの代わりに戦いましょう。
なんなら私が娶って差し上げますよ、姫若子様?
遠征に出ていた元親が帰還したとの報せを受けた。
勝利の行方は元親方に軍配が上がったとのこと。
近頃の戦でよく聞くようになった長曾我部軍勝利の報。
だが、聞き慣れたそれも今回ばかりは特別な意味を持つ。
城にて帰りを待っていたは、報せを聞くやいなや即座に城門の方へと走り出していた。
片手に木刀を携えて。
城門近くで元親を見つける。
言葉を交わしていた将と別れたばかりの彼は、今は一人。
そこへ出来る限り音を立てないように近寄って。
「長曾我部元親、覚悟!」
踏み込み、振り下ろした木刀は。
「甘ぇんだよ。」
「あ」
ひょい、と軽くかわされる。
振り抜いて無防備となった所に腕が伸びてきて、気付けばがっちりと捕縛の様相。
片腕で軽々と抱き竦められて、背中に密着する相手へ、は僅かに首を捻って視線を投げかける。
「……新しい技を覚えましたね」
「はっはー!毎回防いでばかりじゃ能がねぇからな」
「ふむ、じゃあ今度から足払いとか連続技を仕掛けて来い、という事ですか。御意。」
「……おいおい、まだ懲りねぇつもりか?」
私の楽しみですから、と言って笑いかければ。
不意を打つのを楽しみにすんのはお前位のもんだ。
と、呆れた調子で返された。
互いの返答に、互いに顔を見合わせて。
そして、にっと不敵に笑いあった。
長曾我部家に仕える者、の娘、。
教養を早くから身に付け武芸も嗜み、幼少より父に付き城への出入りが許されていた。
城に入れば元親と自然と知り合い、歳も近い二人が親しくなるのは必然。
成長し、互いが異性だという認識が芽生えても、その違いを越えた親交は変わることなく今も続いている。
多少変化が見られても良いのでは、という周囲の焦燥や呆れも何のその。
「それはそうと、四国平定おめでとうございます、元親」
端から見れば恋仲とも取れる体勢にさしたる動揺もないまま、は言う。
此度の戦は、四国統一の為の最後の一戦。
その戦に勝利したという事は、つまり元親が四国の頂点に立った事を意味する。
今回留守を預かる側に回っていたにとって、この報せは何よりも喜ばしい事。
だから帰還の報を受けてすぐ、祝いの言葉を告げるべく急いで来たのだ。
木刀で奇襲などという余計なものを間に挟んだせいで、大幅に道が逸れてしまったが。
それを無理矢理に軌道修正。
「おうよ。やってやったぜ!」
「姫若子がよくぞここまで成長したものです……」
自身に満ちた元親の声を背後より受けて、しみじみと感慨に耽る。
元親が辿ってきた、普通の大名筋とはちょっと違った人生を近い所で見てきているからこそ、現在の元親を見て覚える喜びもひとしおだ。
戦を厭い、「姫」になりたがっていた姿は何処にもない。
男として、当主としての成長。
それはに親にも似た喜びを与えたが、また一方でほんの少しの虚脱感も与えた。
「姫若子も返上と相成りましたし、私のお役目はこれで終わり、ですかね」
戦を厭う姫若子……もとい元親の代わりに、戦場で戦う事を心に決めた。
それを言い訳に、今まで誰の下へも嫁がずにいた。
父のちくちくとした小言にも右から左で極力耳に入れないように。
確実に行き遅れ組へと近付く自分に向けられる周囲の目も無視し。
本人が良いと思っているんだから良いんだと半ば開き直って。
誰よりも共にいるのが自然な人の傍に居る為に。
「役目だ?……それが終わったら何だってんだ」
「そろそろ父上を安心させて差し上げなくては、という話です」
娘がいつまで経っても嫁ぐ意思を見せないので焦っていた父。
「戦を厭う姫若子」が四国を統一するまでになった今、これ以上父に心労をかける理由はない。
次に父が持ってきた縁談は蹴らずに受けよう。
父も相手を選んでこちらに持ってくるだろうから決して悪くはない筈、だが。
縁談を受けるとは、つまり人様の妻になる事。
「嫁いだら、寂しくなりますねぇ……」
小さい時から、傍にいるのが当たり前だった相手とまず会えなくなる。
それは嫁ぐに当たって仕方のない事ではあるけれど、にしてみれば寂しい以上に辛い。
先を想像するだけで、片割れを失うかのような辛さ。
少しばかり憂鬱になり、気を晴らそうと背後を振り仰ぐ。
と。
「そうか……そういやお前、女だったな」
「待て。」
頭上から降ってきた予想外の呟きに、思わず阿吽の呼吸で突っ込み。
抱えるだ何だと散々触れあっておいて今更その台詞かと。
見上げた元親の冗談じゃ無さそうな真剣な表情に、憤りを通り越して呆れてしまう。
人の事一体何だと思ってたんだと小言の一つでも垂れようとして。
不意に元親に宿った笑みが、それを遮った。
何かを含んだ、向けられた相手は思わず身構えてしまうような笑み。
「………何?」
「」
問えば、待ってましたとばかりに。
「いっそのこと、俺んトコに嫁に来い。」
嫁ごうとしない為に父が心配するというのなら、俺の所に来ればいい。
今や四国を背負って立つ男。
生半可な大名豪商など目ではない。
相手が俺なら、お前の親も文句もないだろう。
嬉々として、言った。
何故「嫁ぐ」という思考に繋がるのか、には分からなかった。
分からないままに目を丸くして凝視していると。
その視線を受けた元親の表情が、緩んだ。
「嫁ぎ先がここなら、寂しがる事もねぇ」
今までと変わらず……今まで以上に、共にいる事になるのだから。
更に目が丸くなる。
を、元親は。
「それに、お前のいねぇ毎日なんざ、とてもじゃねぇが考えつかねぇからな」
また元のように頭上に顎を乗せ、抱き締める。
心持ち、腕の力を強くして。
元親の顔が見えなくなって、腕の中。
自分を包む腕に暫し視線を落とし、やがては微笑む。
あぁ、何だ。
離れたくないと思っていたのは、お互い同じだったのだと。
お互いのいない日々など想像がつかない程、共にいるのが当たり前で。
「立場、逆転しちゃいましたね」
「あん?何の事だ」
「私が姫若子様を娶って差し上げようかと思ってたんですよ。戦いたくない殿様を守ってあげようって」
「……マジか」
「マジです」
冗談めかして言えば、潜めた声が降ってくる。
ついおかしくて、笑みを漏らすと。
ぐるんと体を反転させられて、向かい合う形で抱き締め直された。
「なら、逆転されとけ」
守られるなど鼻で笑い。
俺に守られていろ、という元親。
彼の胸元を眼前に、その言葉を聞く。
「されておきます」
抱える腕に答えるように、元親の背に手を回して、添えた。
翌日、を貰い受ける旨を彼女の親に伝えた。
仲が良い事は知っていたが、元親の家筋はにとって主君の家系。
まさか嫁ぐとは思っていなかった父が話を聞いた途端卒倒するというささやかな出来事があったが。
無事承諾を得て、二人は正式に婚約をした。
その後。
「家臣の娘を娶ったと聞いて来てみれば………そなたか」
「はい、私でした」
「おぅ、よく来たな」
婚約の話を聞いて海を越え訪れた元就を、二人で出迎えた。
幼い頃からの付き合いだという事を、彼は知っている。
薄々婚約相手が誰なのか予想がついていたのか、はたまた元々そう言った口調なのか。
つまらなそうに言う元就に、は苦笑した。
「そなたもよく姫若子などと呼ばれた男に嫁ごうなどと決心したものよ……」
戦を厭い、女装までしていた過去。
間近でその姿を見ていて、よく一緒になろうと思えたものだ、と。
仄めかされ、元親は眉を顰めるも何も言わない。
その過去は言い返す程、誉められるものではなかったから。
自然と向けられた視線に、は気付いたのか否か。
「まぁ、それも含めて元親ですから。姫若子が元親じゃない別の方だったら、きっとついて来ようと思いませんでしたよ」
にっこりと、笑いながらの一言。
言い切ってから、男性陣二人が何の反応も示さない事に気付く。
何故、と小首を傾げて元親を見やれば。
何とも言えぬ表情でそっぽを向いた彼の頬、僅かに朱が差していて。
「……惚気には付き合わぬぞ」
「はい?」
「お前……殺し文句の不意打ちは止めろ」
「……………あ。」
二人に言い指され、己の発言がどんなものであったか解する。
「姫若子」の過去。
全て引っくるめて、元親について来たのだと。
それらしい意図はまるでなくとも、受け手側からしてみれば捉え方一つで惚気にも聞こえる訳で。
発言した張本人であるにも関わらず、気付いた途端に頬に朱が散った。
婚約に際してもさして意識していなかった、異性だという事が急に思い出されて。
夫婦になる事の重大さが、ようやく思い出されて。
「………待て。婚約までしておきながら今更その反応なのか?」
元親は僅かに頬を赤くし憮然とした表情で。
はその数倍、耳まで真っ赤になって。
珍しくい元就の突っ込みに何も返せない程余裕をなくす。
二人が夫婦として共に歩み行く日も、近い。
了
腰を上げるのが重いもので随分と遅くなりましたが、季節物お題一作目完成です!
梅雨というのを基本にして書いてるのに、水の要素が何一つ無い。
良いの。タイトルに「水」に関する字が使われてるから。
水そのものより、水に関する四字熟語が持つ意味の方に重点を置いて書いていくつもりだから。
という訳で最初はチカちゃん。何だかんだで戯は彼の事が気に入っているらしい。
お互い古い付き合いで、異性として見られなかったのに、夫婦になるって事で急に意識しだしてぎくしゃくしたり。
楽しかった!!
水到渠成(みずいたりてキョなる)……時節が来れば自然と成就する。
戯
2006.6.18
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