「欲しい物?無いけど」


 非常にあっさりさっぱりとした声と、何の気負いもない表情で答えられ。
彼女とは対照的に勢い込んでいたチップは、気勢を削がれて呆気に取られた。















雲心月性















「な…無いってこたねーだろ!何かあるだろ一つぐらい!ある筈だ!!」


 あまりにも鮮やかな即答っぷりから我に返って、慌てた様に食い下がる。
広い広い森の中、響き渡っているのではなかろうかと思える程の声の張りで。
元々良くはない目つきで正面から見据えるのも加えれば、一種の脅迫に取られたとしても仕方がない。

勿論チップには脅迫するつもりなどさらさらないのだが。

つい語調を荒らげてしまうのは、彼の性分故であり、欲しい回答を求めるが故であった。


その頭一つ分は背丈の差があるチップに詰め寄られても、対する娘には動じた様子もない。
再度の答えの要求に「えー?」と眉を寄せる余裕さえ見せ、


「だって本当にないもの」
「よく考えてか?あるだろう何かホラ、ネックレスだのドレスだの……ゆ、指輪だの?」
「例示の最後で何で顔紅くしてるのかは追求しないであげる。…でも、本当にないのよ。よそのお嬢さんたちみたいに物にこだわりがある訳じゃないし」


世間一般で必要だと思われるものは勝手に揃えてくれてるし。
軽い調子で言ってのける娘の顔には、欲しくても手に入れられない諦念や、欲しい物を言い出せないやせ我慢、といった色は見られない。
気丈に振る舞っているのではなく、事実チップの雰囲気にも気圧されない娘…には、本当に欲しい物がないらしい。
再要求で再確認させられたチップは彼女の様子に、改めて落胆の色を隠せなかった。

自発的に欲しいと思う物がないとしても、無理からぬことであるのは分かっている。
彼女の育った家が家なのだから。


「この森さえあれば、まぁ当面退屈はしないし、飽きる事もないだろうし。満足してるのよ」


そろそろ駆け回ってないで大人しくなってくれって父さんは嘆いてるけど。
からから笑いながらが言葉で指し示すのは、現在二人が並んで歩いている森。

地図上で確認すればふと目に留まる程の広大さ。
その森こそ、何を隠そうが生まれた家の私有地なのである。

森の他にも、この辺り一帯の山などは彼女の家の持ち物だし、街にも幾つか会社を有している。
聖戦期中頃から頭角を現し、聖騎士団に資金援助をしつつ成長し続けた。
そして今や小国の国家予算なら並び立てる程の財を手に入れた、所謂『富豪』と呼ばれる部類。
はそんな家の令嬢であった。

自由に動ける敷地があまりに広い為、自宅の敷地から外へ出たことがなくとも随分と活発な「お嬢様」に育ったものである。
妙齢だからといって楚々とすることもなく「自宅」を動き回っていたからこそ、私有地とは知らず森にやってきたチップと出会った訳である。


土地も財も比類なさを誇る家の生まれであるが故に、何か必要になれば「家」がすぐにそれを手に入れた。
入手が困難なものであろうと、家が持てる力の全てを駆使してでも、最上の物を探し出すだろう。
そんな家で生まれたには、何かを強く欲したという経験はない。
それこそが、彼女の物欲を薄弱にさせた要因であろう。
自分の住む家と退屈することのないこの森さえあれば、は基本的に満足なのであった。

満足しているからこそ、はチップの質問に頭を悩ますしかなかった。
何しろ本当に欲しい物がないのだから、問われた所で思いつく筈がない。

それで答えが見つかる訳ではないが、つい救いの手を求めるように、傍のチップをちらりと見る。
問い方や回答例の示し方から、彼がに何かを贈ろうとしているのは感じ取れた。
その意気込みが肩すかしを食らってしまったので、いつもは強気な面差しにも隠しきれない落胆の色が見える。

何故か綻んでくる口元を、チップに気付かれない内に引き戻した。


「じゃあ逆に訊くけど、チップは何が欲しいの?」


問われたチップに、なら貴方なら、と問い返す。
人より物欲の薄い自分に問われた所で、じゃあこれが良いとすぐには提示できない。
だから他の人に訊いてみて、何を欲しがるのか、それを欲する理由や基準が分かれば参考になると考えたのである。

先程のチップではないが、同じように少なからぬ期待を込めて彼を見つめる。


「決まってんだろ、大統領だ、大統領!」
「……大統領?」


しかし、参考云々以前に返答がの理解の範疇を超えていた。
思わず反芻しただけで、それから先の言葉が出てこない。

欲しい物は?と問われて即答した所から、随分と大それた願いであるが、チップは大統領を本気で望んでいるらしい。

……勿論大統領のの事だろう。
現大統領を欲しがっている訳では…ない……筈だ……うん。

ふと頭を過ぎった雑念を振り払う。
その間にも、記憶の海を漂っているのか、視線を落とし真剣な口調でチップの話が続く。


「16の壁にぶち当たるガキ共…マフィアに使い捨てにされる奴ら……救うにも、俺一人じゃ救えるのはほんの一握りだ。
どうせ救うなら大統領ぐらいになって、その権限で困ってる奴ら全員救ってやらねぇと、俺を生かしてくれたシショーに顔向け出来ねぇ」


「物」そのものが欲しいのではなく、目的の為に必要だからそれを欲する。
『井の中』で満足している内では決して見つけ得ないだろう観点と望みに、は目を丸くした。

井の中にいる蛙は自分である。
この広大だが情報料は限られる敷地にいる限り、チップのような考え方など欠片も持ち合わせることは無いだろう。
外界に出たことのない身の上に不満は感じないが、それでも。

初めて触れる自分以外の人の考え方が鮮やかに感じられたのは確かだ。


「…まさか大統領になりたいあまり、知らぬ顔して私に近づいたんじゃないでしょうね?」
「何でそんなまだるっこしいことしなきゃならねぇんだ。人の力に頼って大統領になった所で、俺が認めねぇ」
「……冗談よ。そんな参謀術数展開できる程器用な人間とは思ってないわ」
「…どういうことだ、コラ」


何となく、馬鹿にされたことは理解できたらしい。
控えめだが睨んでくる目を軽く受け流し、笑みを零した。

どういうことだと訊かれても、そういうことである。
権力に頼って大統領になるという手段など、チップの性格から考えて、使おうとはしないだろう。
そもそも権力に頼るという考えが浮かぶかどうかも怪しい。

の家は、資産が増えるに伴い、大統領クラスの人間をバックアップ出来るだけの権力を得てきている。
自身が意識しなくとも、は大権を有する家の娘なのである。
家と姻戚関係を結ぶことでその恩恵にあやかろうとする人間も少なくない。
そういった手合いから守る為に、可愛い娘を敷地から外に出さないようにした意思が、父親には働いたであろう。
父親首謀の娘隔離作戦も、チップには全く効かなかった訳だが。

零した笑みは、簡単に人を信用できない家に生まれながら唯一信頼できた人の口から、否定の言葉を聞けたことから生まれたものだ。
豪奢な贈り物、甘い睦言、家令嬢の気を引こうと多くの者達が挑戦し、物欲の薄さの前にことごとく玉砕した。
チップはそういったややこしい手段抜きで近づいてきて親しくなった。
形の有無に関わらず「物」で攻めてきた輩とは違い、その身一つでと相対した。

その態度にどれほど好感を抱いたことだろう。
出来ればこうした気持ちの良い関係が長く続けば良いとさえ思う程、はチップを慕った。
これが全て計算尽くの行動であったというのなら。


彼に抱いたこの想いは、一体何処へ行く事になったのか。




「………あ。」


      そうか 。


にわかに答えが降ってきて、は目が覚めるような思いをした。
同時に、こうして考えるまでその答えに行き着かなかった自分がおかしくて、また笑みがこぼれた。

あったではないか。
私の欲しい物。




「チップ、今のを聞いて私にも欲しい物が出来たわ」
「本当か!?よし、早く言ってみろ!」


欲しい物が出来たと言っただけで、自分のことでも無いのにチップの表情が輝いている。

この答えを聞いたら、彼の表情はどう変わるのか。
否、最初に欲しい物を訊いてきた際、「指輪」と言うのに口ごもった所といい、彼の胸中も同じだと思うのだが。
これを口にした時の姿を想像して、はついつい意地悪い笑みを浮かべた。


「大統領夫人。」
「…………は?」
「だから、大統領夫人。」


目を点にするチップに、「だから、頑張って大統領になってね」と言葉で追い打ちをかける。
初めの内はあまりに答えが簡潔すぎて回路が繋がらなかったようだが、追い打ちまでかけられれば後はもう自明の理。

大統領夫人になりたくて、チップに激励の言葉を与える。
つまる所は、そういう意味である。


身を一歩引いたかと思えば、チップは顔をそっぽに向けて片手で覆った。
手のひらの隙間からは、何かを堪えるような「あ゛ー…」という何とも形容しがたい呻き声が漏れている。

呆れられたか。
軽い不安に駆られて隠れた顔を覗き見ようとすると、指の隙間から赤い目がを捉えた。


「……言ったな?」
「……ええ、言った。」


確認の言葉に、迷うことなく首肯する。
そもそも確認することこそ愚行である。
物欲の乏しい自分が、こうも明言しているのだから、それは真実が欲しているものだ。
そこに疑う余地などない。

そういう思いで、覗いている瞳を見返していると、チップの口元に確かな笑みが浮かんでいるのを見た。
ついでに、実は大病でも患っているのではないかと心配してしまう程白い肌が、うっすらと赤みがかっているのも。

それらを認識した時点でチップのヘッドロック並の抱擁に捕縛されていた。


「よっしゃ!その『欲しい物』絶対くれてやるからな!!覚悟しとけよ!!」
「ぐ…痛い!チップ首が痛い!!腕の位置がニンジャ入ってるのではないでしょうか!?」


つまりを抱き締めている筈の腕が、敵をオトす為の部位に決まっているという事を伝えたかったのだが。
腕を叩いて知らせようが何しようが、今のチップには聞こえていない。
このままなら確実にオトされる。
これまた全く気負いもなかったが、一世一代の告白の直後に失神させられるなどどれだけアグレッシブな展開か。

彼の職業故か、無意識の内にかけられている技。
無意識だからこそ危険極まりないこの状況から何とか逃げ延びなければ。
保身の一心で、チップのありがた迷惑な抱擁から脱出しようとするが。
高い位置に見えたチップの表情が心底嬉しそうなので、一瞬にして抵抗する気をなくしてしまった。

苦しいけれど、痛いけれど、目の前に星が散っているけれど。

こちらも嬉しいし、今はまぁ、良いか。

愛おしむというより子供の様にはしゃぐチップに、拘束されるの顔にも笑みがこぼれる。




その数秒後、首に決められたが落ちたのは言うまでもない。















後、チップがそれまで以上に大統領になる為の勉強や自己研鑽に励むのは別の話であり、




「んで、当面の『欲しい物』は無いのか?」
「無いねぇ」




「大統領夫人」以外に、形として残る物を贈ろうとして頭を悩ますのも、また別の話である。































梅雨だし辞書で興味深い四字熟語見つけたし、水に関するお題でもやってみようか……
そう思い立って丸一年、皆様お待たせいたしました、一年越しのお題更新でございます。
誰も待ってない?聞こえない。

で、お題ものだってのにこれがまたフリー配布用の夢小説だっていう孔明の罠ね。
仕方ないです、このネタで思いついちゃったんだから。
この小説を期に、拙宅にBASARAや無双目当てでいらっしゃる皆様がGGに興味を持って下さると嬉しいです。

今回はkouma様のリクエストで「戯の書くGGチップ夢」ということで書かせて頂きましたー。
時期が良かったのか何なのか、ノリにノれた一品でございます。
裕福な家の生まれの女の子と、スラム(だっけ?)出身でヤクのバイヤーだったチップ。
「胡蝶と疾風」ではヒロインみたいな家に反発心持ってるけど、ほんのり野性味のするヒロインの為その心もナリを潜めているようです。
不器用なので最後シめちゃってますが。
このヒロインの激励のお陰で、チップが大統領の座に就く日が一歩近づいたのでは無いでしょうか。

大統領になりたいと思う理由でチップが長広舌繰り広げてますが、あれは公式設定からの引用です。
16の壁は小説から、困ってる奴ら救う辺りは公式HPのキャラ紹介から。
語るに落ちてる気もしますが、了承頂ければ、と。

それでは後書きが長々と続いてしまいましたが、この辺で。
kouma様リクエストありがとうございました!
この小説をkouma様、並びに当サイト「黒塚」へ足を運んで下さるお嬢様方へ捧げます!!

雲心月性(ウンシンゲッセイ・ウンシンゲッショウ)……無欲で、利益を求める心のないこと。



2007.7.16
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