佐助と町へ下りる事になりました。










   白蓮の心










 店の軒先で談笑していた若者が、思わず話を止め振り返る。
道行く人々が向けてくる視線が突き刺さる。
荷車引きは道を空け、はしゃぐ子らは顔を覗き込む。

それら視線の中心にいるは、堪りかねたように息を吐いた。


「帰って良いか?」
「ダーメ。来たばっかだろ?目的果たしてもいないのに我が儘言うんじゃないの」


口から零れ出た弱音をあっさりと切り捨てられ、小さく呻く。
彼女のそんな姿に、隣を歩く佐助は満足そうに笑った。















 今回町へ下りた目的とは、が研ぎに出した刀を取りに行く事である。
任務で出ていた他国から戻ってきた佐助は、報告を済ませた足で彼女を訪ねた。
やや長期となった為、顔を合わせるのは久し振りだったが。


「おかえり」


その時書物に目を通していたの反応は至極淡泊だった。
書物から視線を外したのは、来訪者の確認をした最初の一度だけ。
後はずっと紙面に並ぶ文字に固定されたまま。

いやいや、これが彼女の持ち味だとは分かっている。
少しぐらい離れていたとて甘い雰囲気を醸すような状況にはまずならない。
肌を見せていても動じない性質だ。
分かっている。
分かっているが。

やや物足りない気がするのもまた事実。


表には出さないよう内心で肩を落としていると、ふと、の様子にちょっとした違和感を覚えた。
紙面に据えられているとばかり思っていた目が泳いでいる。
そわそわとしていて妙に落ち着きがない。

はて、と疑問に思った佐助がどうしたのかと尋ねると、


「明日、研ぎに出してた刀を取りに行くんだ」


意を決したように切り出されたのは、明日町へ下りるという事。


「……もし明日の予定が入ってなかったら……一緒に行かないか?」


少し困ったように眉を顰めて続ける、その頬はうっすらと桜色。

の言葉とそこから生じた反応、それに落ち着きの無い様子。
加えて、つい今し方告げられたばかりの内容が頭の中で並立し、一つの事柄を導き出す。


解答を得た途端、佐助の顔に喜色が宿った。
肩を落としていた事などすっかり忘れて、の横にしゃがみ、嬉しそうに顔を覗き込む。


「それ、逢瀬のお誘いって取っても良いのかな?」
「………………………………………………用事に付き合って貰うだけだ」


逸らせた視線に長い沈黙は肯定の証。
続いた認めようとしない物言いも、佐助の顔に浮かんだ嬉しそうな笑みを収める要素にはなり得ない。


遠出の任務の後は、滅多な事が無い限り休暇が貰える。
佐助の仕事にはそんな仕組みがある。
その事をは幸村か信玄あたりに聞かされたのだろう。
それを知ったは、苦手な分野に頭を働かせた。

刀を取りに行くから、『一緒に』町へ行かないか、と。

色恋沙汰に滅法弱いなりに作った、佐助と町へ下りる口実である。
自分の為に苦手な物の努力をしてくれたのだ、嬉しくない筈がない。


断る選択肢などなく、満面の笑みで彼女の誘いを承諾した。


「逢瀬なら、相応の準備をしておかないとな」


にとって、やや不穏に感じられる言葉を残して。
佐助は即座に部屋を出て行った。






翌日、は千代の突然の来襲によって叩き起こされた。
普段自分で起きるよりも幾分か早い強制起床。
己の身に何が起こっているのかさえ分からず、目覚めたばかりで視界のぼやける目を白黒させているの前に、千代が仁王の如く立つ。

こちらを見下ろしてくる顔はとても活き活きとしていて、まるで水を得た魚だ。
何だかこの顔見た事あるな、と霞がかった頭で考えて。


刹那、目が覚めた。


それまで布団から出ようとしなかった体をがばりと起こして、狼狽えたように周囲を見渡す。
しきりに視線を巡らせて、千代の傍らにある物を認めた瞬間、顔色を青く変えた。

ほぼ時を同じくして、中途半端に足から腰にかけてを覆っていた掛け布団を無慈悲に引き剥がされる。


「佐助様の都合というのが少々癪ですけれど……お館様の為と思えば、良い機会を下さいましたわ。さぁ様、早くお顔を洗いなさいませ」


今日も気合いを入れて行きますわよ!
勢い込む千代を、敷き布団にへたり込んだ体勢で呆然と見上げる。




視覚出来る物ではないが。


彼女の背後に、佐助との利害関係の一致の図を見た気がした。















「前にも思ったけど、化けるもんだねえ」


 企てが見事成功した佐助は、いたずらげに笑って隣のを眺める。

薄い色の紅を艶やかに引かれたふっくらとした唇や、薄く白粉のまぶされた透けるように白い肌。
目元にはほんの少しだけ朱を差し、中性的な面立ちもこの時ばかりは立派な『娘』だ。

ごく薄い化粧であるのにそこまでの成果が上がったのは、全ては千代の熱意の賜物である。
こちらの揶揄を含んだ目に睨みを返す目の鋭さも考慮されて施されている。
それすらも魅力的に思える程、千代がに施した化粧は絶妙だった。
化粧を施した側も施された側も含め、女性とは偉大だ。


「化けたから、どうなんだ?良いのか悪いのか」
「言わなくても分かる癖に。着物も見立てた甲斐がある、ってね」


調子よく笑ってみせれば、目を丸くしたは、つい言葉で示された物を目で追ってしまう。


裾に向けて色が濃くなっていくように染め抜かれた、茜色の留袖。
紫紺の帯と合わせて見ても、それらは至って簡素な意匠だ。

これを佐助が見立てたのだという。
しかも先日、杜若色の留袖の件では随分と抵抗した自分が、これにはすんなりと袖を通してしまった。
それは意識した事もないの『娘』としての趣味嗜好に当てはまっているという事。

口に出した事のない好みに当てはまっていたのは、彼がに求める物が一致した為か、はたまた偶然か。
その正しい所はともかくとして、一日でよくこれだけ用意できたものだと密かに感心した。


しかし、である。


「わざわざこの格好になる意味が分からない……。刀を取りに行くだけだ、いつものでも構わないだろう?」


客観的にも主観的にも、今の自分の姿は立派に『娘』だ。
姿見の前に立たされた時、その自らの変貌振りに相変わらず驚いた。

刀など振るいそうもない、立ち姿だけならば凛とながらなよやかな娘がそこにいる。
そんな娘と刀という取り合わせの奇妙さを想像して、思わず眉を顰めたものだ。
多大なる違和感。
百歩譲って『娘』の姿でいるのは良いとしても、違和感を覚える程にめかし込む必要があっただろうか。

見上げて、答えを求める。


「やだなぁ、覚えてないの?」


眉尻を下げた笑顔とかち合った。
何を、と僅かに首を傾げることで問う。
結い上げられるには長さが足りなかった髪の先が頬を掠める。

佐助の手が、頭上へと伸ばされ。


「この簪挿して、さ。町を歩こうって言っただろ」


しゃらりと、撫でられたのか、頭の上で涼しげな音が鳴った。
耳がその音を認識して初めて、それがそこに挿されている事に気づく。

以前町へ下りた時に彼から贈られた簪。


近いうちの別れを突きつけられた頃の、仄かに宿った思い。




『…あぁ……これを差して、二人で町を歩こう………いつか、きっと』




また並び歩くことなどないと思って疑わなかった当時。
「約束した」という事実だけを胸に、別れた後の糧としようと決めていた。

それが今、叶う筈ないと思っていたものが、こうして叶っている。

町へ下りようと誘ったのは自分なのに、約束した事を今頃になって思い出した。
後々思い返しては感傷に浸ることがないように、心の深い所に沈めていたからかも知れない。
叶う筈無いと諦めていたものだから。

その言い出した本人でさえ忘れていたものを、佐助は覚えていた。
たった一度しか口にしていない約束を、佐助は。

ふと、くすぐったさを覚えたのは、それが嬉しいと感じたからだ。




俯いて足を止める。
数歩進んだがすぐに気づいた佐助も立ち止まり、どうしたのかと訊ねるようにこちらを振り返って。
前方から手を差し伸べてくる。
その手を辿って俯いた視線を上げれば、そこに目を細め笑う佐助の顔。


「だから、嫌かも知れないけど、今日くらいは俺の我が儘に付き合ってよ」


甘味奢ったげるからさ、と続けられた時の表情の優しげな事と言ったら。


自覚する程色恋沙汰に弱く、求められた甘さに返せるものは皆無。
そのことでよく彼にからかわれもするが。

こちらを見る彼の目は、往々にして柔らかい。
戦忍として働く時とは比べられない程に。

だからこそ思うのだ。


自分が想う相手が彼なのは間違いでは無かったと。




「別に…………嫌じゃない」


差し出された手に自分の手を重ねる。
行動か言動か判断出来る所ではないが、そう返してくるとは思わなかったらしい佐助が軽く瞠目する。


は柔らかに、笑ってやった。















「言っとくけど、甘味につられた訳じゃないからな」
「え、そうやって弁解されると実はそうだったんじゃないかと勘ぐっちゃう…」
「 な い か ら な ? 」
「……はいはい、っと。あーあ、見た目はこうでも喋りはいつも通りか」
「期待に添えなかったようで悪かったな」
「いんや?それでこそ俺のよ」
「…………………………」
「照れちゃってかーわいー」
「てっ………………照れてないっ!」


呆れてるだけだ!と返すも、その頬はしっかりと染まっている。
それを知りながら、佐助はそれ以上追求しようとはしなかった。




ただ、口元には確かな微笑をたたえて、互いに手を取りゆったりとした足取りで、歩いた。




















えー……バレンタインに開設した当サイトの一周年記念という事で企画した今回の夢。
開設日より大幅に遅れての開始となります。ごめんなさい(平伏)
下書き始めたのが佐助が最初だったので、佐助夢からのスタートとなります。

普段戯が書く傾向より、幾分かお互い(佐助とヒロイン)の糖度が高めになっている……予定です。
あ、軽くチャンバラしたりもするのでご心配なく。(何の
女の子の格好を受け入れた所から始まり始まりー。


2007.2.18
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