立てば芍薬座れば牡丹。
軒下に佇み憂い顔の一つでもしようものなら、その姿に道行く多くが振り返る。
しかしてその内面がまるで武士のようだとは、視線を送る誰もが気づかない。
白蓮の心
目的地である店の軒下で、は一つ溜息を吐いた。
店の中に入れない。
研ぎに出した時と同じように暖簾をくぐろうとしたら、佐助に勢いよく止められたからだ。
『その服でいつもみたいに刀扱うのは止めて!!』
普段通りの言葉遣いや態度は寧ろ喜んで受け入れてくれたが、その点だけはどうしても許せないらしい。
何がなにやら分からなかったが、彼の気迫に圧され思わず頷いた。
そうして店先で待たされる事になったのである。
刀の受け取りには代わりに佐助が出向いている。
うっかり頷いてしまったが為に、思いがけず生じた空白の時間。
俯いていた顔を上げる。
道行く者の幾人かの顔が、ほぼ同時に向こうを向いた。
「まだか、佐助……」
傍に佐助がいるならまだしも、一人きりでこの姿を晒しているのは気分的に少々辛い。
その事を十分承知している筈なのに、何故彼はここで待っているようにと言ったのか。
この姿で刀を扱われるのが嫌なだけなら店の中にいても良いではないか。
考えている内に沸々と佐助に対する不満が溜まっていく。
もういっそ佐助の反対など聞かなかった事にして、店の中に突入してしまおうか。
慣れない服装に堪えきれなくなり、踵を返しかける。
ぽとりと、視界の端に、地に落ちる何かが引っかかった。
翻しかけた体を元に戻して確認すると、足下に可愛らしい巾着が落ちていた。
勿論自分のではない。
視線を周囲に巡らすと、急ぎ足で去っていく若い娘の後ろ姿を捉えた。
距離と巾着が落ちたであろう時機とを考えて、彼女が落としてしまったものだろう。
すぐに拾い上げ声をかけようとしたが、顔を上げた時にはもう娘の姿が角の向こうに消えた所だった。
どうしたものかと、手にした巾着と娘が消えた角を交互に見比べて、逡巡。
今追いかければ間に合うだろうという結論に達する。
「すぐ戻る」
聞こえていないと知りつつも、一応律儀に小声で店の中の佐助に断りを入れる。
そして間髪入れず駆けだした。
娘が消えた先を目指して。
光の反射具合を見て、研ぎに不備が無いかを確かめる。
どこまでも歪みなく微妙に弧を描く直刃に、目を細めて納得した。
流石は武田が贔屓にする店といった所か。
手抜きのない見事な出来である。
本来ならこの確認作業は全て佐助ではなくが行う所なのだが、今日ばかりは遠慮してもらいたかった。
『娘』の姿でも凛とした雰囲気を失わない彼女のことだ。
秀麗でなよやかな見目で刀を扱っていても、その姿は非常に様になるだろう。
しかし今日ばかりは、武田に仕える「武士」としてではなく、刀を持たない普通の「娘」でいて欲しかったのだ。
以前町に下りてきた時に交わした「約束」を果たす為に、二人で町へ下りてきたのだから。
だがこちらがそう願っていても、刀を手にしたならいつもの「」が顔を出すだろう。
今も慣れない姿である事の気恥ずかしさからくる自覚も、一瞬で頭から消え去ってしまうに違いない。
だから佐助は、の代わりに刀の受け取りに来たのだ。
可能な限り、彼女が武士の心を思い出してしまうきっかけを回避する為に。
「それじゃ、確かに」
から預かっていた代金を渡し、刀を携え腰を上げる。
考える暇も与えず頷かせ承諾させてしまったから、今頃は頭を巡らせて釈然としないものを感じているかも知れない。
その時の表情が簡単に想像でき、暖簾をかき分ける佐助の口元には確かな笑みが浮かんでいた。
そうして、暖簾を潜り抜けた先。
「お待たせー……って、あれ?」
いなかった。
の姿が見えない。
それを認識して、幾度が目を瞬かせる。
色的に目立つ着物だ。
そうでなくても、自分なら彼女の姿を見つけられるという自負はあるが。
左右に広がる道を見渡しても、それらしい姿がない。
確か、以前にもこんな事が無かっただろうか。
一人店の中へ入り、出てきた頃には姿が見えなくなっていた、そんな時が。
思い返し、一呼吸置いて、苦笑混じりに溜息を一つ。
「ちょっと目ぇ離した隙に………何処行ったかね、あのお嬢さんは」
呼び止めようとしても先を行く速度の方が早く、なかなか追いつけない。
いつもの様に袴を履いていたならすぐに追いつけたのだろうが、あまり足が開かない服装なのでそういう訳にもいかない。
先を行く娘は一体どこへ向かっているのやら、巾着の持ち主であろう彼女はどんどん路地裏を進んでいく。
まずいな、という意識が掠めた。
少し場を外すだけのつもりだったのに。
このまま進まれてしまうと、佐助が店から出てくるまでに戻れない。
店との距離が開くにつれ、焦燥はじわじわと増していく。
「ちょっと待って……っ!」
幾度目かの呼びかけがようやく届いたのか、娘の足が止まった。
あぁ、これでやっと戻れる。
一気に詰まった娘との距離にほっとし、足の運びを緩めて息を整えながら近づくと、ふと娘が振り返った。
その顔に張り付いた表情を目にして、はとっさに足を止める。
唇は真一文字に引き結ばれ、目は僅かに見開かれ。
胸元に添えられている指先が白く、少し震えている。
おかしいと感じた。
この娘は何故、何を怯えているのだ。
刹那、表情を引き締め、半身を返し左右に視界を開く。
にわかに足音が生じたかと思うと、娘と自分を挟み込むように道の両端に人影が現れた。
一人二人という可愛い数ではなく、狭い道をなお塞ぐように、合わせて片手で足りない程度。
ついでに人相も決して可愛くない。
一目で真っ当な仕事をしていないと分かる、男達。
「上出来だぜ。ちと目がきついが、これなら十分に良い値がつく」
あごをさすり品定めするような目を向けてくる事で、は理解した。
彼らの目的と、自分を取り巻く状況を。
善政を行い国が豊かになると、それに引き寄せられて良くないものまで集まってくるものらしい。
「良くないもの」とはここでは即ち悪党小者のことで、例を挙げるなら今の目の前にいる男達がそれだ。
彼らの目的は、恐らく適当な娘を攫いどこぞへ売り飛ばし金とすること。
「言われた通り、別の人を連れて来ましたから……も、もう行っても良いですよね?」
怯えた顔の娘は、自分より先に彼らに狙われ捕らえられてしまった。
何をされるのかと戦慄く娘に、代わりになる娘を連れてくればお前を解放してやる、と条件を提示した。
男の顔色をうかがうような娘の言い方や男達の様子から見て、彼らの間で行われたやりとりはそんなものだろう。
こちらの予想でしかない男達が目論んでいるだろう「目的」も、大した差違はない筈だ。
予想通りの輩だったとしたら随分と手間のかかるやり口だと僅かに感心する。
捕まえた娘をわざわざ泳がし、餌に使って別の娘をおびき寄せる。
下手に自分たちで一人の娘を囲むより、若い娘を使った方が断然怪しまれるおそれが少ない。
かつ、おびき寄せられた娘は「連れて行かれる」のではなく「追いかける」のだから尚のこと。
餌となる娘は、それで自分が解放されるのだと信じているからよく働く。
それに、自分は見事に引っかかってしまったわけだ。
加えて、娘も見事に利用されてしまった。
「何言ってんだ、逃がす訳ねぇだろ?」
「え!?そんなっ…話が違いまっ……い、痛い!」
「折角の金蔓だ、みすみす逃すなんざ勿体なくて出来ねぇよ」
逃すまいと、逃げ腰だった娘の腕を強い力で捕らえ、さも当たり前の事のように質の悪い笑みを浮かべる。
彼らにとっては確かに当たり前の事なのだろう。
痛がる娘の悲鳴にさえも嘲笑を見せるような輩だ。
胸が、悪くなる。
一連の流れを無言で眺めていたは、そこに至って眉を寄せ目を細め、初めて表情を動かす。
そしておもむろに娘の腕を掴む男に歩み寄り。
急に行動を起こしたに面食らっていた男の手から、娘を奪い返した。
「最低だな、あんた達。あんた達みたいなのが武田の領国にいるのは不快だ」
正面にも背後にも男がいるので、娘の体は自分の背と壁の間に庇った。
さっさと立ち去れと言外に込めて、男曰く「ちときつい」目で睨み付ける。
睨み付けられた男の目が、状況を把握するように幾度が瞬き。
次いで、哄笑が巻き起こった。
決して快いものではない、完全に人を舐めきった態度だ。
腹が立った。
戦場で、女である事の体格差から甘く見られるのとは訳が違う。
こいつらは人として成っていない。
「随分と勇ましいお嬢さんだ。お前が不快だからって、一体何が出来る?」
の向ける厳しい目に煽られたように、男達の作る包囲が一回り狭くなる。
近づいた距離に背後の娘が怯えるのを感じ、安心させる為後ろ手にその体を抱いた。
そのまま男から決して視線を逸らさず自らの腰元に手をやり。
すぐに、きょとんとする。
幾つか鈍い音が響いた。
唐突なそれに、何事かとその場にいた全員の目が音の発生源を辿る。
どさどさと崩れ落ちたのは、先程の背後から現れた男達。
地に倒れ伏した彼らの向こう側に、見慣れた姿があるのに気づき。
は目を丸くする。
「悪いけどこの子、俺の連れなの。手ぇ出さないでくれるかな?」
片手に、赤い房のついた刀を携えて。
口元はにこやかに笑っているが、目は決して笑っていない佐助が佇んでいた。
ヒロインはお館様が大好きなので、お館様が治める甲斐にこういう輩がいる事が許せなかったんです。
ちなみに展開がベタだって事は言わない約束げふん。
戯
2007.2.25
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