気を失った人間という足下に転がる障害物を避けて通り、二手に分かれていたもう一方の集団と真っ向から対峙する。
……その前に、進む方向をややずらし、佐助はの傍に寄った。
傍らに立ち止まると、おもむろに肩に手を回し引き寄せて。
「…で?勇敢なさんの刀の腕が見事なのは知ってるけど。刀がなくてもいける位、素手も強いの?」
にしか聞こえないよう、耳元に口を寄せ囁く。
引き寄せられた事で体勢を崩し、僅かによろけて佐助の腕に収まったは、高い位置にある顔をちらりと見上げ。
「からっきしだ」
冷静な声で答えた。
白蓮の心
の耳元に顔を寄せた状態のまま、佐助の視線は牽制を込めて男達をひたと見据え。
目を向けられている男達は、急に現れた存在を訝りながらも警戒して身構えている。
双方の対立を目の前にして、は佐助に肩を抱かれている為、娘はその場の雰囲気に呑まれているせいで動けない。
誰もが沈黙を貫く中、
ぶはっ。
突如として生じた破裂音に、男達と娘が揃って目を丸くした。
何とも間抜けな音だったので、相応に張り詰めていた空気もぷつりと切れてしまう。
凄みを利かせていた男も、怯えていた娘でさえ、一体何の音かと目を丸くしている。
その中では、音の発生源を恨めしげに上目で睨み付けていた。
眼差しの先にいるのは、何故だか微かに体を震わせている佐助。
前方に向けていた視線をのそれと交わらせ、必死に笑いを堪えていた。
「ちょっと……それで何でこいつらに立ち向かおうと思ったの」
平静を装っている口元はひくひくと痙攣し、発する声にも確かな震え。
先程の破裂音は彼が笑いを堪えきれず噴きだしてしまった音だ。
おかしくて仕方ないが声を上げて笑うのだけは我慢しよう、と必死に努力しているのがありありと窺える。
ただし目の端に宿った笑いの欠片までは押し殺し切れていない。
忍なのに。
先に問われたのはこちらだが、忍の有りようを問い返してやりたい気持ちで一杯だ。
「………こいつらの態度が腹に据えかねただけだ」
「いーや、それだけじゃないと俺は読んだよ。まだあるでしょ」
「………………………………無い」
「はは、俺様に隠し事出来ると思ってるのかなぁ?」
それでも内心を押さえ答えてやると、きっぱりはっきりと断定の形で切り捨てられた。
思わず黙り込む。
本当に忍なのかと疑いたくなるが、やはり実力はあるようで。
答えきっていない事が、すぐに看破されてしまった。
「お前ら、自分の置かれてる状況が理解できてねぇようだな…」
唐突に生じる、剣呑な気配を帯びた声。
佐助の登場ですっかり忘れていたが、背後にかばっていた娘が息を呑む音でようやく思い出した。
質の悪い輩に絡まれている事と、それに伴ってこの場に一般人がいる事を。
佐助の目から笑みが消え正面を向いたのを見て、改めて自分も目の前の輩に視線をくれる。
……微妙に先程よりも苛立っているように見えるのは気のせいだろうか。
少し考えて、きっと邪魔が入ったからだろう、と自己完結する。
「人の『仕事』の邪魔したんだ……覚悟はできてんだろうなァ?」
じりと近づいてくる男達に、背後の娘から小さく悲鳴が上がる。
自分達ならばともかく、この場の雰囲気にも慣れていないような人間がいる中で「一戦」交える訳にはいかない。
せめてこの娘だけでも安全な所へやらなくては。
そう判断して、横目で娘を見遣り、かばっていた手を後ろに押し出す。
……寸前で、肩に回っていた佐助の手が下りてきてこちらの手を掴み、制止した。
思わずぽかんとしてしまった。
戦う力の無い娘を逃がそうとしているのに、何故止めるのか。
批難を込めた眼差しで見上げると、それに合わせるように佐助の目もこちらに下りてきた。
視線がかち合い、佐助が小さく笑う。
こちらの動きを制しているのとは反対の手が緩く頬を撫でてきて、くすぐったさに首を竦める。
「覚悟なんざ得物を手にした時にとっくに決まってるさ。……けど、残念ながらアンタらの相手するのは俺じゃないんだなぁ、これが」
頬に触れられている内に発されたのは男の脅しに対する答え。
そして挑戦的な目が、向けられる。
「アンタらの相手はー……あっち。」
の頬を撫でていた手が、自らの背後を指差し。
「殿!!」
まるで図ったように、指で示すのとほぼ同時に生じた大音声。
佐助を除き、を含めそこに立っていた全員が音の大きさに目を丸くする。
何事か。
佐助の腕の中で振り返ってみて、唖然とする。
「……幸村殿?」
戦場さながらの走り込みで距離を縮めてきたのは、何故か現れた幸村だった。
幸村は間合いに男達を捉えると地を蹴り、その内の一人に気合いと共に跳び蹴りを食らわせる。
餌食になった男は見事にもんどり打って倒れ、そのまま動かなくなった。
お館様との日々の成果だね、と佐助の楽しげな呟きが耳を打つ。
跳び蹴りで崩れた体勢を立て直した幸村は、前に出た事で背後に回ったこちらの視線など何のその。
呆気に取られている男達をびしりと指さし、
「殿に狼藉を働くとは!許せぬ輩よ、この真田源二郎幸村がお相手いたす!!」
高らかに宣言し構えを取る幸村の動きに合わせて、首に掛かった六文銭が揺れる。
日の光を跳ね返す銭を目にした時、男達の間に動揺が走った。
「真田…幸村?って、あの真田幸村か!?」
「は!?んな馬鹿な…何でここでそんな奴が出てくるんだよ!!」
「俺が知るかっ!!」
「ちぃっ…一旦退くぞ、クソッ!!」
「問答無用!!」
は、情けなく逃げ惑う男達が幸村に容赦なく鉄槌を加えられるのを、ぽかんとして見ていた。
先程までこちらに向けてドスを利かせていた姿はなく、「本物の」真田幸村かどうかの確認をする余裕すらないらしい。
…尤も、確認した所でまさしく本物なのだから、彼らが逃げ惑う結果に変わりはないのだろうが。
それにしても、
「…情けない……」
こちらが気を張り詰める程のものでも無かったではないか。
所詮は破落戸、相手にするのはせいぜいが所民間人か同種の人間。
幾つもの戦場を抜けてきた将を相手にするには、度胸も腕も足りないようだ。
何だか気が抜けて、自然と溜息が一つ零れた。
そのまま佐助の腕に促され身を反転し、元来た道を辿り始める。
ふと我に返った。
そうだ、何故幸村殿がここにいるのだろう。
妙に機嫌が良さそうな佐助を見上げ、声をかける。
「佐助、幸村殿が……ぅむっ!?」
が、全てを言い切る前に、佐助の手がの口を覆い、言葉を遮った。
「はいはーい、何も言わない。旦那なんて見てないよー」
「ふ!?」
次いで降ってきた言葉に思わず瞠目する。
顔色をうかがうと、相変わらずの楽しげな表情。
幸村を見ていないというのなら、今目の前で一方的に「鉄槌」を加えているあれは何だ。誰だ。
佐助の言い指そうとしている所が分からず、つい見開いた目で凝視する。
仕えている人間が一人で大立ち回りを繰り広げているのに手を貸そうともせず、置いて行こうとしている理由も察せない。
口を覆う彼の手を無理矢理引き剥がし、抗議を込めて名を呼ぶと、笑みすら見せる顔がこちらを向いて。
「あれはね、大将がを心配するあまりについてきちゃった『生き霊』なの」
「生きっっ!!?」
「だからは見えてないし見てない。つー訳で、何も起きてない。」
分かった?と問われて素直に頷けようか。
無理だ。
幸村がここにいる理由が『生き霊』だと説明されては、突飛すぎて二の句も継げない。
背を向けた方からは野太い悲鳴や打撃音やらが響いてくる。
振り返ってその様子を確認しようにも、佐助の体が視界を遮っているので見る事が出来ない。
何故『生き霊』……
当惑しながら、やり場のない視線を彷徨わせていると、ふと自分と反対の腕の中に、もう一人抱え込まれているのに気づいた。
男達にそそのかされ利用された娘だ。
視界から彼らは消えているのに、まだ恐怖心の名残があるのか、かすかに震えている。
彼女の怯えた表情を見て、散漫になっていた集中力が一つにまとまるのを感じた。
とにかく今はこの場を離れよう。
この娘を彼らの手の届かない所まで連れて行かなければ。
幸村の事に関してはその後だ。
戦えない者の安全を守る。
目先の行動をひとまず決めた後のは速い。
怯えた娘の手を取り、驚いてこちらを見るのに向けて笑いかけ。
自ら率先して来た道を戻る足を速め、人通りの多い大路へ向かった。
日は一番高い所から徐々に下り始めたばかりでまだまだ人の往来も激しい頃。
無事大路まで娘を連れてくると、娘は感謝の辞と身代わりにしようとした事への謝罪を述べた。
深く下げられた頭を、は微笑んで上げさせている。
身代わりにした事を謝られるより、寧ろこちらがを身代わりに選んでくれた事を感謝したいくらいだ。
もし他の娘を選んでいたら。
道行く娘の皆が皆護身術や身を守る術を持っている訳ではない。
狙われた娘は彼らの目論み通り攫われてしまい、事が明るみに出るのも遅れていただろう。
被害者も増えていた筈だ。
この娘は、偶然とはいえそれを未然に防ぐ選択をしたのだ。
自分もいたし、ならばあの程度の輩など軽くいなせる。
怖い思いはしただろうが、全くもって運が良かった。
と、佐助も娘と別れた直後は思っていたのだが。
と並んで大路を歩き始めた所で、先程途中で切り上げてしまった話題がよみがえる。
「……で、素手はからっきしなのにどうしてアイツらの前に立ったの?」
横からの顔を覗き込むと、隠そうともせず柳眉が寄った。
余程掘り下げられたくない事らしい。
『いーや、それだけじゃないと俺は読んだよ。まだあるでしょ』
『………………………………無い』
先程の遣り取りで、答えるまでの沈黙からもそうと知れる。
つとの視線が逃げるので、正面に回り込んでそれを捉えた。
進路を塞ぐ形になる為が立ち止まる。
僅かに仰け反って逃げ腰になるのを、彼女の手を掴んで更に覗き込む。
「まだ、あるでしょ?」
顔が、近い。
唇が触れてしまうのではないかと思う程に。
人目を気にして狼狽えたように目を泳がすのが可愛らしいと思ったが、それでも逃がさずひたと見つめる。
この状態から抜け出す為に、彼女が果たすべき条件は一つだけ。
葛藤すら見える表情の変化を観察しながら、佐助はその条件が果たされるのを黙ったまま待つ。
ややあって、捕まえていた手の抵抗が止んだ。
同時に、薄色の紅が引かれた唇から溜息が一つ。
「普段と同じつもりでいたら………腰に刀が無かった」
男達と相対しようとして初めて思い出した、自分の服装。
袴はなく、胸の下から腰元まで幅のある帯に刀など差せる筈はないのに、それをすっかり失念していた。
目の前で起きようとしている事態が、一時それを忘れさせたのだ。
佐助が来ていなかったら、きっと自分は向かった所で捕まってしまっていただろう。
目先の状況に囚われて自分の状態を見落としていた失態。
それを自覚していたからこそ、あまりに間の抜けた自分が恥ずかしくて情けなくて、佐助に言う事が出来なかった。
一度追求から逃れられほっとしていたのに、今度はもっと強硬な姿勢で訊いてきた。
近い距離、人の目。
言いたくない事、自分の恥。
天秤にかけて、自分にとっては苦渋の決断をする。
話した後の佐助の反応が、何となく予想できてしまったから。
ぽつりと呟いて、恐る恐る佐助の反応を待つ。
僅かな沈黙。
ぶはっ。
本日2度目、噴きだした音に加え、盛大な笑い声が往来に響いた。
「……笑うな。だから言いたくなかったんだ……」
「わ……悪い悪い。いやー、があんまり可愛い事してるからね?」
「……人の失敗を可愛いと言うか。」
恨めしげに睨んだ所で、2度目の笑いの波はなかなかに高いらしく、簡単に治まってくれそうにない。
彼なりにへそを曲げたを宥めようとしているようだが、途中で笑いの発作が遮ってしまう。
はその様子をしばらく眺めていたが、やがて盛大な溜息を漏らし。
「………もう良い。」
佐助を放っておく事にした。
すたすたと先を歩き始めてしまったの背を、笑いの余韻を残しながら追いかける。
こちらがどんなに手を尽くしたとて、彼女の心から「士」の心が一時でもいなくなる事はない。
そう思い知らされてしまったからこそ、おかしくて笑いがこぼれてしまった。
「娘」として共に歩こうとも、刀を引き離そうとも。
ふとしたきっかけで、彼女の中の武士の心は戻ってくる。
こちらの意向に染まらぬその心根の強さが、嬉しくもあり残念でもあった。
佐助も、歩き出す前のと同じように溜息を一つ。
「まーったく……馬鹿正直で可愛いこと」
そこもまた自分が彼女に惹かれた要因の一つでもあるか、と思い直す。
佐助は大分先を行ってしまった背を追った。
おぎゃ、長い……下書きに足りない表現加えてったら何じゃこりゃ。
「白蓮の心」の由来が、最後の佐助目線の所でちらっと出てます。
「泥中之蓮」っていう四字熟語が元の形です。意味調べを来週までにやってきて下さい。(宿題か
次は幸村登場の謎が解明される…!?待て次号!!
戯
2007.3.4
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