目に留まった店の前で足を止めながら、ゆっくりと町を歩く。
太陽が一番高い所から徐々に下り始めた頃、の目に茶屋が映り込んだ。

時刻も丁度良い頃。

交わしていた約束通り、佐助に甘味をおごってもらうことにした。










   白蓮の心










「…そう言えば佐助、何であそこで折良く幸村殿が来たんだ?」


 外の席に座るのは精神的に堪えきれないので、店内の席を選ぶ。
道行く人の目から離れ、席に腰を落ち着けた所で、は今を機と見て疑問を口にした。

路地での一件。
刀を携えたつもりで男達に立ち向かった事を笑われた恥ずかしさもあって、極力思い出さないようにしていたが。
腰を落ち着けて一息ついてみると、自然と思考がそこへ向かう。

腑に落ちない事があった。
何故図ったように、あの場面で幸村が現れたのだろうか。
そして、彼より先に駆けつけていたはずの佐助が、何故その登場を知っていたのか。


「ああ、屋敷からずっと後つけてたからさ。」


さらりと切り出したと同じように、さらりと佐助。
あぁそうか、と軽く納得しかけて。

ふと気づく。


ちょっと待て。


「はっ!!?」

「いらっしゃい、何にしますか?」
「団子二つと葛餅」


の驚きを受け流して、佐助は寄ってきた店の娘に手際よく注文する。
言葉が出なくて、ぽかんと口を開けたまま正面に座る佐助を凝視する。
視線を受ける佐助は娘の背をしばらく見送っていたが、やがて戻ってきた顔にはしたりげな笑みが浮かんでいた。


「気づいてないならそれが一番だったんだけど、あの場は仕方なかったよねぇ。その為に旦那がいたんだし」
「……その為?」


頬杖をつきつつ思案するように零す佐助に、ようやく言葉が戻ってくる。
の反芻する声に、虚空を眺めていた目が向けられる。


「そ。お館様がつけさせたんだよ、旦那を」




の姿を披露された時、信玄は大いに感心した。
普段は何ら飾り気のないおのこのようなが、化粧と着物次第でこうも『娘』になろうとは。
見事なり、と頷く一方で、心配になりもしたのだという。

武士然とした姿ならともかく、今やまるきり非力な娘姿。
そんな姿で出歩く町にはどんな危険が潜んでいるか。

娘を持つ親馬鹿並の頭がめまぐるしく働き、信玄の心に心配事はどんどん募る。

そうした果てに出した結論が、幸村であった。

の身に危険が及ぶようなことになったらいち早く馳せ参じ窮地を救え。
ただし余計な心配をさせないよう、出来るだけ内密に。

その旨については佐助も事前に知らされ、二つ返事で了承した。
幸村が出てくるような事態になる前に、自分が彼女を危機から拾い上げる自信があったからだ。
先ほどは民間人もいた為、忍の身分を明かさぬように幸村に場を任せたが。


の事を心配してね」
「心配……お館様が、私を?」
「今のがあんまり可愛いからねぇ」


ちなみに、信玄が言う危険の中に密かに自分も含まれている事を、佐助は知らない。


さておき、信玄に心配されている事を、は佐助を介して知った。
言葉の意味を理解して、それが自分にとってどれ程の価値があるものかをよくよく検討して。

結果が出た刹那、の頬に朱が差した。
恥じらうように俯いている事から、どうやら相当に嬉しいようだ。
佐助の視線にも、反芻した言葉に続いた軽口も、いつもなら呆れた反応を返す筈のものにも何もない。

その軽口すら信玄が言ったものだと思っているのかも知れない、と佐助は推測した。

の信玄に対する慕い様は、実は幸村と引けを取らない程である。
執務の合間に休憩をとる信玄と、茶を傍らに談笑し労うと。
「おやかたさま」の六文字に思いの丈を込め、力一杯拳で熱く語り合う幸村。
彼と比べるとその性質があまりに大人しいものである故、認識している人間はそれ程多くはないが。
過ごした時は幸村よりも遙かに短いものの、彼女が信玄に寄せる信頼は絶大なものがあった。


口を付けた湯呑み越しに、俯くを観察する。

佐助は信玄を少しだけ羨んだ。
間接的に関わるだけでも、彼女をこうも素直に赤面せしめる存在。
親子に程近いがそうではない、主従の信頼関係から生じている反応であって、決して羨むようなものでは無いのだが。

が憎まれ口も叩かず嬉しさを素直に表す存在が信玄なのだ。
信玄がの中でそれだけの位置にいることを、少しだけ悔しくも思った。


佐助の視線に気づいたか、の顔が上がりどうしたのかと目で問うてくる。
対して、片手をひらひらと振って「何でもない」とごまかす。


「…ま、そんな訳で、旦那はあくまでこーっそり動いてるつもりなのよ」
「あんな大立ち回りしといてか?」
「だからそこで、『見てない』し『見えてない』。分かる?」
「……ああ、だから『生き霊』」


信玄のを心配する思いが強すぎて形を持ってしまった存在。
思いの塊だから実像はないので、『見てない』し『見えてない』。
今日の幸村はそういう立場にいるそうだ。

普段でも存在感の強い幸村が『生き霊』という立場にいる不自然さにおかしくなって、は笑ってしまった。
彼が『生き霊』だと言うならば、その役割を全うする為に協力しようではないか。
自分は幸村を『見ていない』。
そう自らを言い聞かせる事すらおかしかった。


そこに注文した品が運ばれてくる。
団子の皿が二つに、葛餅。

葛餅の方はに押しやり、佐助は二つある団子の皿の一つを取って立ち上がる。


「んじゃ、俺はちょっと旦那を労ってくることにしますか」


佐助の目が向く方を辿ると、外の席から中を窺う一つの視線。
が振り向くと見るや慌てたように陰に引っ込んだ。
見慣れた相手のあからさまだか密やかな行動に、可愛らしいとさえ思う。


「『生き霊』なのに良いのか?」
「俺様ってば『見えてる』クチだから」
「あぁ」


事情を知っていることを『見えてる』と表現されたのも助長して、更に笑みを誘う。

屈託無く笑うの姿に目を細め微笑み、佐助は暖簾を潜った。















 残されたは葛餅には手をつけず、湯呑みを口に運んでいた。
ほんの僅か、聞き耳を立てる。


「おぉ、団子!!良いのか佐助!?」
「旦那には働いてもらっちゃってるし、まっ、これっくらいはね」


聞き耳立てずとも丸聞こえ。
幸村の声の大きさと、わざと聞かせようとしている佐助の声色に、知らず頬が緩む。


何故だか、今の自分は満ち足りている気がした。
武田に身を置く以前も、それはそれで満足していたが。
戦いだけを追い求め、本心も知らず刀を振るっていた頃と今を比べてみれば、後者の方が遙かに絶対量が多いだろう。

親のような信玄の許で暮らし、幸村という友が出来、そして佐助と出会った。

今の自分の、何と恵まれている事か。


そう言えば、以前刀を向けた件といい今回といい、お館様には要らぬ気苦労ばかりかけている。
周囲の接し方がそれと感じさせないのでつい忘れがちだが、私は一応罪人なのだ。
心配をかけないようもう少し慎もう。


思い出した時に、と前置きを付け加えて密かに決意する。
常にそうあろうとしてあまりに退きすぎると、信玄がそれはもう寂しそうな顔をするからだ。
『罰されない罰』を与えられた初期の段階でそれは既に実証済みである。

自分の態度とその時の信玄の反応を思い返して、はくすりと笑う。
本当に自分は、


      良い人達に 恵まれている


「あの…………」


呼びかけられてふと顔を上げると、いつの間にか店の娘が傍に寄ってきていた。
彼女の存在に気付けない程、思考の海に没頭してしまったか。
小さなものではあるが今日再びの失態に、は内心で自分を叱る。

聴覚に意識を集中すると、まだ表での二人のやり取りが聞こえた。
やや声量が落とされているのか、ぼそぼそとしていて聞き取りづらい。
これを無理に聞こうとしても大して届いてこないだろう。

は意識を近くに戻し、小首を傾げて娘を見上げた。


「何か?」
「……ちょっと、こちらへ来てもらえますか?」


の眼差しを受けた娘の表情は何故か固い。
娘が指し示したのは、店の奥。
暖簾で区切られたそこは調理場。
普通、客を通すような所ではない。

疑念を込めて再び視線をやるが娘は答えず、こちらが動くまで彼女も退く気はないようだ。


      動いてみないと分からない か


何とない胡散臭さを感じながらも、娘に応じ席を立つ。
先に行かせるように道を空けたのでそれに従い、奥へ向かう。

佐助と幸村の声が徐々に遠くなる。
合わせての内に満ちていくものは、ぴんと張りつめた警戒心。


暖簾を潜った。
振り返って娘に目で問うと、更に奥、裏口まで行くように促してくる。

ここまでくればもうでなくてもおかしさを感じただろう。

刀はない。
が、いきなり斬りつけられるとか命に関わるような事はないだろう。
何かあったとしても、声を張り上げれば外にいる二人に十分聞こえる距離である。

警戒しながらもどこか暢気に、は裏口に歩を進めた。

もう一歩、足を踏み出せば外へ出る。


その時に。


「ごめんなさい…っ!!」
「え?」


娘が唐突に、悲鳴のような声で謝った。
その声がの集中力をほんの一瞬断ち切る。

気持ちに余裕があったせいもあっただろう。
身を僅かに捻った刹那、肩胛骨の辺りに軽い衝撃。




は半端に後ろを振り返った体勢で倒れ込むように、裏口から身を躍らせた。




















「幸村生き霊説」勃発。ただしこの日限定。
幸村もお館様も佐助も晴れ姿ヒロインが心配なご様子。
ただしお館様だけ心配のベクトルは佐助にも向いてます(笑)。親心!
幸村は純粋に、ヒロインの身とお館様の意志遂行の為に尾行しとります。

ラブラブーより別行動取った方が書きやすい罠…あはん。



2007.3.11
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