白蓮の心
「はーい、旦那お疲れ様ー」
「!佐助!殿はご無事か!?」
店の暖簾を潜り外に出て、そこに設けられた席に腰を下ろしていた幸村に声をかける。
人が出てくる気配を察して店内を覗き込むのをやめていたが、来たのが佐助だと知るやすぐさまの安否を確認してきた。
さて、この熱心さはどこから来るものか。
お館様への忠節心か、はたまた彼女が良き『友』である為か。
幸村のひたむきな眼差しを受けて、佐助は肩をすくめて笑う。
「当然。旦那があれだけ立派に立ち回ってくれたからね。んで、これ俺…とからのお礼」
「おぉ、団子!!良いのか佐助!?」
「旦那には働いてもらっちゃってるし、まっ、これっくらいはね」
佐助が幸村の為に動くならまだしも、今はその逆。
自分が仕えている人間が、間接的でも自分の為に動いている状況がおかしくて。
団子一皿での礼でも目を輝かせる幸村を、笑いながら眺める。
早速頬張り始めたその横に腰を下ろし、問う。
「旦那、さっきの奴らって一体どうした?」
「ん?あ奴らふぁ?」
もぐもぐ口を動かしながら聞き返すので、まずは飲み込めと促す。
「……大体は捕らえたが、一人逃した。存外足が速くてな」
しばらく咀嚼してようやく口の自由を手に入れた幸村が示した数字。
逃げた一人、というのが気になって、佐助は少し眉を寄せた。
他の者が捕らえられたのなら、逃げた奴も遅かれ早かれ捕まりはするだろう。
その、捕まるまでの間。
何か起こる、起こすのではないかという懸念が、胸の内で燻る。
「ちょーっと詰めが甘かったねぇ、旦那」
「ぐ………」
返す言葉もないようで落ち込む幸村の肩を叩き、軽く慰める。
わだかまる不安はあるが、逃げた男が行動を起こした所で、相手になるのは自分や幸村を含める『武田』だ。
そうそうまずい状況にはなるまい。
佐助は楽観的に思考を展開して、ひとまずの決着をつけた。
「あの……赤い服の女の方の、お連れさん…でしたよね?」
そこへ背後からかかる声。
振り向くと、暖簾をかき分けて店の娘が顔をのぞかせていた。
その顔に貼り付けられた、拭い去れない怯えの色を見て取り。
佐助は不意に嫌な予感を覚える。
「どうかしたのか?」
何も気づいていない様子の幸村が声をかける。
問われて、僅か娘の緊張が解けた。
刹那、暖簾の下から飛び出し、二人の正面に立つや、
「…っごめんなさい………っ!!」
今にも泣き出しそうな顔をして、深々と頭を下げるのだった。
店の中に客は無い。
ただ、先程佐助がいた座席に団子と葛餅が手つかずで残っている。
そこにあるべき筈のの姿が、見あたらない。
さっとよぎる、一旦思考の隅に追いやった懸念。
彼女が何処に行ってしまったのかは、店の娘が教えてくれた。
「あの人を連れてこないと、代わりに店を荒らすと言われて……」
注文された物を出して奥へ下がると、裏口から呼びかける者があった。
応対に出ると、そこには人相の悪い男が3人。
思わず引く身を制されて、娘は脅されたのだという。
『表にいる男達に悟られぬよう、娘だけをここまで呼び出せ』。
『それが出来ない場合、お前と店を代わりにする』と。
娘は恐ろしくて言われた通りに動く事しか出来ず、結果は攫われた。
余程恐かったのか、起きた事を語り終えた娘は震えてぽろぽろと泣き出している。
「何故真っ先に某達に知らせなかったのだ!そうすればそなたも殿を渡さずに済んだものを……!!」
すぐ傍にいたのにみすみすを連れて行かれたという事態に、幸村が娘に食ってかかる。
感情の高ぶりに気づいていないのだろう。
幸村に怯えている娘を見かね、佐助が制止した。
「旦那、そこまで。もっと冷静になりなさいよ」
「っ佐助……何故止める!お前は殿が心配ではないのか!?」
「刀持たずに連れてかれちゃったから、そこは心配だけどね。でも、この子を責めるのはちょーっと違うんでない?」
素手はからっきしだと堂々と宣言した彼女の刀は今、佐助の手元にある。
という事は、相手の手に落ちたには戦う術はない。
自力で逃げ出すのは難しいだろう。
それを十分承知した上で、佐助は幸村を制した。
確かに、娘が脅しに屈しなければこんな事態は防げたかも知れない。
しかし武器も持った事もないような者に求めるには、それは少々荷が重すぎるというもの。
身を守る為の戦う術を持たぬ人間が自分を守る為に、従うより他無いのだ。
感情的になりすぎていた事に気づいた幸村が、責めていた訳ではないとぼそぼそ反論している。
佐助はその横を抜け、娘の前に立った。
傍に立つと、よりなお低い身長の彼女を図らずも見下ろす形になる。
その目線の高さを感じたからだろう、幸村の勢いで既に押され気味だった娘はびくりと身を竦ませる。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝罪の言葉を呟いている。
背後で気まずそうに視線をそらす幸村の動きを感じた。
それを確認してから、娘を安心させる様に腰を屈め目線を合わせる。
「あんたが謝る事じゃないって。仕方なかったんだ」
肩に手を置き、宥める様に声をかける。
声音の優しさに、娘の涙に濡れた目が上げられる。
しっかりと目が合うと、改めて佐助は笑って見せた。
続く言葉は、彼の中で『確かな事』として認識されているもの。
何物にも染まる事のない芯を持つ彼女なら、きっとこう考えるのだろう。
「連れてかれた彼女だって分かってる筈よ?謝るべきは、悪いのは……」
あの子じゃなくて あいつらだ 。
もたれかかった壁に頭を預けて、は心の中で断言した。
猿ぐつわを噛まされ声を出せない。
加えて両手足がご丁寧にもしっかりと拘束されていて、完全に監禁の様相である。
移動できても這いずる程度、とても逃げるには至らないのは既に確認済みだ。
一つ息を吐く。
気が付けば既にこの状態だった。
それからどれだけ時間だ経ったのだろう。
分かるのは、ただ一つ部屋に嵌め込まれた格子窓の向こうの空が、徐々に茜色へと変わりつつある事だけ。
じきに夜が訪れる。
暗くなってしまえば人の往来はぱったりと途絶え、家や飲み屋など建物にこもる。
何をしようと気づかれる可能性はぐんと減り、そうなってしまえば後はもう自分を連れ去った輩の領域だ。
そうなる前に
奴らが、何か行動を起こす前に。
人目を気にして息を潜めている内に。
路地での件のように、また罪のない娘が利用されてしまわない為にも、佐助に早く『あれ』に気づいてもらわなければ。
俯いた拍子に、髪が頬を掠めていく。
すっかり崩れた髪型は、中途半端に元の形を留めている程度。
それもこれも全ては、自由の利かない身で何とか佐助に『印』を残そうと奮闘した為。
その甲斐あって、この場所を示す物を外に残す事には成功した。
だが日が暮れてしまえば、それも目につきにくくなってしまう。
いかに夜目の利く佐助であっても、あれだけ小さい物を暗い中で見つけるのは難しいだろう。
だから、まだ日のある内に佐助がこの場所を突き止めてくれることが最も重要となる。
制限時間は日没まで。
もし見つけられなければ。
身を守れる手段である刀が手元にないのもあって、少なからぬ身の危険を覚える。
頼むよ
刀を扱う者として冷静さを保つ術は心得ているが、それで不安がなくなる訳ではない。
今の自分は、命とは違うものを賭けてここにいる。
戦場とはまた違った瀬戸際に立たされている気分だ。
慣れていない分、こちらの方が気が休まらない。
「 ……」
佐助 。
自由にならない声で、喉の奥。
彼の名を呼んだ。
幸村と佐助のほのぼのーも一瞬。ヒロイン攫われてしまいました。
気づいてみればどこぞの建物、身動きできない状態。
それでも案外冷静に見えるのは何故?
戯
2007.3.16
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