白蓮の心
の捜索と彼女を連れ去った輩を拿捕する人手を借りるべく、幸村には一度信玄の屋敷へ向かって貰った。
主を動かす忍というのもおかしな話だが、それは言う所の適材適所。
潜んでいる『敵』を探すなら、彼より自分の方が向いている。
そういう理由もあり、佐助は町でも比較的高い屋根を選んで立ち、眼下の町並みを見下ろしていた。
忍然とした顔に浮かぶのは、僅かな焦りの色。
幸村に と引き替えに身代金を要求する文が届いた
その旨が真田隊の一人からもたらされたのは、信玄の屋敷を往復する程度の時間が経った頃だ。
すぐに佐助は眉を顰めた。
を攫った輩は、何故幸村と彼女に関係がある事を知っているのだろうか。
少し考えて、すぐに気づく。
「…路地の奴らの仲間か……」
路地に男達が現れた件で、幸村は一人取り逃がしたと言った。
その男が、別の場所にいた仲間と合流し、事の次第を伝えていたなら。
文が届いた時機を鑑みても、昼間と今回の件に関係がある可能性は高い。
そうだとすると 拙いな
推測が正しかったとすると、二度目はだと知っていて狙った事になる。
仲間が捕らえられた為、真田幸村憎しと思う心も動いている筈。
しかし、報復するにも相手が一武将では分が悪すぎる。
そこで目をつけたのが、『とても戦えそうに見えない一人の娘』。
犯行は成功した。
幸村を相手にするのは無理でも、代わりに矛先を向けることが出来る相手が手の内にいるのだ。
報復を込めて、身を守る術を持たない今のに彼らが何をするか分からない。
捜索を開始した頃はまだ青かった空も、徐々に茜色へ変わり始めた。
幾つの屋根を踏んだのかも覚えていない程長いこと探しているのに、一向にに繋がる手がかりが見つからない。
佐助は苦々しく思った。
じきに夜が来る。
闇での捜索は忍の自分にとって苦でも何でもないが、夜を待っているのは相手方も同じ。
暗くなれば人通りも絶え、人目を気にする事もなくなった彼らは大きく動き出すだろう。
そうしてくれた方がこちらとしても見つけやすくはある。
が、現在の彼らが行動を起こす理由の根底にあるのは、幸村への恨みとの存在。
「夜を待つ」とは、を餌にすることと同義になり得る。
それは避けたかった。
彼女を助ける為に彼女を使うような事態になってしまっては元も子もない。
けれどはなかなか見つからず、時間だけが過ぎる。
見つけられなければ餌どころか彼女を見殺しにしかねない状況なのに、思いとは裏腹に何も見つからない。
もどかしかった。
「…………」
探し人の名を呟き、腰元に手をやる。
町を歩いていたままの格好でいる為、そこにはの刀が差してある。
持つ事が出来ないならせめて佐助が差してくれと言われたから、そこにあるだけだ。
忍の身には不要の物。
だから早く、本来の持ち主の手元に返せる様にしなくては。
刀の柄に手を添え、目を閉じる。
瞑想するような静かな時間が流れ、そして再び目を開けた時。
ふと目の端に何かが光るのを、佐助は見逃さなかった。
軽い動作で屋根を蹴り、一瞬で目的の物の所へ降り立つ。
拾い上げる。
見覚えのある、忘れようのない物だった。
に贈った簪である。
今日も彼女の頭に挿してあったこれが、何故こんな所に落ちているのか。
まじまじと見つめてから視線を上げると、簪の落ちていた場所の丁度真上に格子窓が見えた。
窓があるのは、割と大きな倉の上方。
倉の高さと窓の位置から見て、どうやら中は上下二層になっているようだ。
中の気配を探る。
広さもありそうな倉の中に、ひしめくように感じ取れる多くの気配。
苦い物を噛んでしまったような、何とも言い難い笑みが佐助の顔に浮かんだ。
自分は『間に合った』のだろうか、『間に合う』のだろうか、それとも。
佐助は、を攫った輩のねぐらを、見つけた。
かたり、と床の一角が持ち上がり、男の顔がそこから現れた。
四方を壁に囲まれていて、この部屋には扉がない。
代わりに床の一角、男が現れたそこが開く様になっているのは確認済みだ。
は驚くでもなく、目をこちらに向けた男をじっと見据えた。
とんとんと一定の調子で頭が上がり体が現れた動きから、そこが階段になっている事を知った。
格子窓から佐助に宛てて簪を投げ出した時、地に落ちる音が聞こえなかった。
それは窓が地面から高く離れた位置にあるという事であり、建物の二階、或いはそれ以上の所に捕らえられていると判断する要素になる。
屋根裏かも知れないな、と冷静に現在位置を確かめつつ、はふと簪の事が気になった。
挿せる機会がそうそう無いとはいえ、なかなか気に入っているのだが。
自分が目に留めたにしては珍しく、実用性より女性的な装飾に重きが置かれた繊細な作りだ。
この高さから落として、まさか壊れはしなかっただろうか。
「よぉ、真田幸村の『知り合い』さん。気分はどうだい?」
内心は別として、の目がこちらに向いていると気づいた男は、質の悪い笑みを見せながらおどけたように訊いてきた。
こちらが喋れないのを知っていて敢えて問うている。
底意地の悪さに憤りを通り越して呆れを感じ、それでも嫌悪から眉が寄る。
気分なら最悪だ。
あしらうことも許されず、唯々諾々とこんな奴の相手をしなければならないのだから。
果たして、の顔は男の目にどう映ったのか。
可愛くない顔にこれまた可愛くない満足げな笑顔が浮かぶ。
そしての猿ぐつわに今更気付いたかのようにわざとらしく目を見開きながら近づき、言葉を封じていた物を解く。
ずっと固定されていた口が自由になったので、固まっていた筋肉を解すように開閉運動を二、三度。
下卑た笑みが正面から向けられる。
「これじゃあ答えられるモンも答えらんねぇか。…んで?気分はどうだい別嬪さん」
「……何故私が幸村殿の知り合いだと知っている?」
『別嬪さん』の単語は綺麗に無視して、再度投げられた問いも軽く受け流し、代わりに自分の訊きたい事で返す。
自分の意とは違う反応を返されたものの、男は流された事を大して気にしてはいないようだ。
消えない笑みがその証拠である。
「昼間、彼奴に俺達の身内が世話ンなったからなァ」
「………あいつらか……成る程。それで?やられた分をやり返すのか」
私に。
路地裏での男らと目の前の男が、頭の中で繋がる。
彼らに繋がりがあるのなら幸村の事を知っているのも納得が行くし、自分を攫った理由にも察しが付いた。
だから半ば確信して男を見返すと、相手の目が僅かに細められた。
「奴に礼をしたいのは山々だが…行った所で勝てる訳がねぇ」
「武田の名将だからな。破落戸の相手なんて何でもないだろう」
「…可愛くねぇ奴だな、お前…」
「あんたに可愛いと思われたい訳じゃないんでね」
「……おまけに反抗的と来た。はっ!ぞくぞくするねぇ」
「何……?」
やり取りの途中まで顔を徐々に歪めつつあった男が、にやりと笑う。
は訝しく思った。
この手の相手にあの対応をしていれば、怯える様子を見せない「手の内の弱者」に機嫌を損ねてむきになると踏んでいたのだが。
確かに途中までは予想通り、徐々に不機嫌になっていたようだった。
が、ある瞬間、思い出したかのように彼の態度に余裕が戻った。
こちらが自由を封じられた身である事を思い出したのだとすれば、それはそれで良いのだが。
次の瞬間、男が起こした行動でその仮定は棄却される。
男の手が足下に伸び、足と縄の間に小刀を滑り込ませて一息に断ち切ったのだ。
自身が弾き出した仮定と男の行動の矛盾に、は戸惑う。
自由になった足に目を落とし、そして男を見上げ。
刹那、髪を引く強い力につられ仰け反り、は呻き声をあげた。
「ぅあっ……!!」
「お前がそういう態度だからこそ、こっちもやる気になるってもんだ。んん?」
強制的に仰向かされてから、乱れていた髪を男が引いたのだと理解が及んだ。
髪を引かれ頭皮が引きつる痛みを必死に堪え、歯を食いしばる。
無防備に晒された喉元に男の指が這うのを感じて、きつく結びたくなる目を意地で開け、ようよう睨み付ける。
触るなと。
込めた意志を汲み取った男の、嫌な笑いが目に映る。
「良ーい目だ……その調子で、この後も頼むぜ」
何の事だ、と問う前に、髪を引っ掴んだまま男が立ち上がる。
振り払おうにも足とは違い手は未だ拘束されたまま、髪ごと体が引き上げられて無理矢理立ち上がらせられる。
ぷつぷつと毛が抜けるか切れるかする微弱な刺激を感じた。
歯を食い縛って引き上げられた衝撃に声を上げるのを耐えたのも束の間。
体勢を整える間もなく、男が歩き出した。
引きずられるようにもそれに従い、向かった先は下へ続く階段。
足下が不安定なに気も遣わず、男は躊躇いなく降りていく。
こいつ ……
人の迷惑も顧みず。
弱者と見れば寧ろ喜んで害意を抱き。
それをしっかり自覚している。
しかもこの甲斐武田の領内で。
許せない
主に最後に上がった物が許せない理由の半分を占めた心地で。
は、自分を攫った男達の全員捕縛の念をふつふつと胸の内に滾らせているのだった。
やがて足が下の階の床を踏む。
両足が階段を離れると髪を引く力が失せたので、はその場に膝をつき深く深く息を吐いた。
更にぼろぼろになった髪が頬を撫でる。
どうやら彼はこの頭から消えた物の存在に気付いていないらしい。
髪の乱れ様は、逃げようと奮闘してなったものぐらいに考えているのだろう。
それならば、好都合。
佐助がこの場所を突き止めるまで、外に転がる簪に気付かれるおそれは薄い。
手早く考えをまとめ人心地ついてから、顔を上げて。
そこに見えた光景にやや眼光を鋭くする。
「……そういう事。」
こうまでこいつらの性根が歪んでいるのかと、思わず笑みすら零れた。
先程までがいた階、今いる階の天井にあたる部分が随分と高い。
上にも横にも広さのあるこの階には、荷物が雑然と積み重ねてある。
その、荷物同士の合間、或いは上に。
両手の指程の数の男達が、方々からこちらを見ていた。
下卑た顔、加虐心の固まりのような目、嫌な笑み。
ここまで連れてきた男が、の最後の拘束であった手の縄を断ち切る。
「精々怯えて逃げ回ってくれよ?」
彼らは『狩り』をするつもりなのだ。
獲物は。
遊ばせておきながら決して逃がさない距離を保ちながら、獲物の精神と体力を削る。
絶望に満たされ力尽きた所に、追い打ちをかけるように彼らが歩み寄るのだ。
売り飛ばしはしないだろう。
真田幸村への報復なら、全て終えた後は彼の目の届く所に帰すのが効果的だ。
生かして帰すか、骸で帰すかは別として。
ただ、帰した娘の無惨さに、真田の心が深く傷を負う様に。
獲物を狩る獣の真似事を、を追いかけさせろと彼らは要求しているのだ。
手の自由を取り戻したは立ち上がって、膝をついた時の埃を払い落としてから周囲を見渡す。
そして、後ろを振り返った。
限りない侮蔑と一抹の哀れみを込めた冷たい目を向けて、一言。
「悪趣味。」
ヒロイン視点の話は、冒頭の佐助視点の話よりやや時を遡っております。
佐助が簪を見つけた時のヒロイン側は次話。
佐助企画夢もそろそろ起承転結の「結」に入りますー。
もうしばしおつきあいの程をよろしくお願いします!!
戯
2007.3.23
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