着物の裾が足の動きを制限してしまい、上手く走れなくて苛々する。
その様子を見ている男達は随分と楽しそうだ。
獲物を面白半分で弄ぶ獣、そう比喩した自分の印象は決して間違ってはいない。
ならば。
彼らの慢心を存分に活用させて貰おうではないか。
佐助がここの手がかりを見つけるまでの、時間稼ぎに。
白蓮の心
半刻程、だろうか。
にやにやと笑いながら追いかけてくる男達の手を避け、走り続けて。
そのぐらいの時間は経った筈だ。
右へ避けると見せかけて左へ。
伸びてきた腕をしゃがんで躱し、動きを追ってくる手すら振り切ってその後ろへ抜け。
制限されてはいるものの持ち前の身体能力を活かし、男達の手から逃げ続ける。
捕まえられるぎりぎりの所を避ける行為を繰り返していると、傍目にも分かる程男達は苛々としてきた。
これしきの小娘、すぐに捕まえられるものと思っていたのだろう。
だが、なかなか捕まらない。
意に沿わない展開は彼らの興を冷ましつつある。
は警戒しながらも、出来るだけ時間を引き延ばせるよう相手の出方を窺っていた。
「ちょこまかと逃げ回りやがって……!!」
「逃げ回れと言ったのはそっちだろ。私は言われた通り、逃げているだけだが?」
内心の苛立ちを口にした一人に、いつもの調子を崩さず言い返す。
「怯えて」という点に関しては否定するが、逃げ惑うというのは彼らが望んだ通りの事。
こちらはわざわざ従ってやっているというのに、怒り出すのはお門違いもいい所だ。
の言い分が間違っていない事が分かったのだろう。
一度言葉に詰まると、次の瞬間には顔を歪ませていきり立つ。
「調子に乗ってんじゃねぇぞテメェッ!!」
調子に乗っているのはどっちだと突っ込んでいる内に、勢いの付いた手が伸びてくる。
それすらもしっかりと見切り、は軽い動きで横に退いた。
時だった。
傍にあった、積まれた荷物。
その陰から何かが飛び出した。
視界の端を掠めたその存在に気付き、の体がそれも避けようと翻る。
が。
今日、着替えたその時から不便だと感じていた着物が、邪魔をした。
現れたのは、荷物の陰に身を潜ませていた男。
その手を逃れようとして反射的な動きで後ろに引いた足が裾に阻まれ、期待していた程身が下がらなかったのだ。
反射で起こる動きは、普段自分がし慣れている動きに付随する。
の体は、「袴である時の動き」をしてしまったのだ。
予想と違った動きの誤差に、体の均衡を崩しよろめく。
拙い、と咄嗟に思ったが、もう遅く。
「捕まえたぜ。手間ァかけさせてくれたじゃねぇか……」
腕を捕まれ、振り解く前に抱え込まれてしまった。
首に腕が辺り、軽く絞められる。
「くっ……っ」
「ナリの割に素早い奴だな……まぁ、捕まえちまったんだからもう終わりだが、な」
苦しさに顔を引きつらせると、先にかわした方の男が笑みを浮かべて近づいてきた。
の自由を封じたと知るや、他の輩もぞろぞろと集まってくる。
舌打ちの一つでもしたい気分だ。
慣れない格好のせいで、こうも呆気なく捕まってしまうとは。
「そんなきっちり着込んでたら動きにくいだろう。どれ、一つ俺が楽にしてやるか」
正面に来た男が、帯の結い目に手をかけた。
身を捩って抵抗し、解きにかかる男の手をはたこうと振り上げた手は、後ろで拘束してくる男の手に絡め取られてしまう。
同時に、首に巻き付けられた腕の力も強くなる。
「っげほっ……」
「抵抗してくれるのは有り難いんだが、準備が整うまではじっとして貰わないとなぁ?お互い後で困るぜ」
下卑た事を。
吐き捨てたくなる様な嫌悪感を抱きながらも、首を絞められ動きが鈍くなる。
そこを狙われ、帯が解かれてしまった。
巻かれていたその形のまま、体を螺旋状に伝って落ちていく帯。
苦しくて眩む目に映るのは、こちらを舐める様に見てくる男達。
腰紐も解かれた。
今のの状態は、襦袢の上に着物を羽織っている程度。
襦袢の腰紐も解かれてしまえば、さらしを巻いているとは言えすぐに素肌が見えてしまう。
それでも、は冷静だった。
ちかちかとする視界に怯まず、静かに言い放つ。
「っは……この程度で、優位に立った…つもりか?」
「……何いってんだ、お前?」
正面の男が合わせ目に手を潜らせ足をなぞってくるのに、繰り出した蹴りは難なく防がれた。
加えてその足が捕まれ抱え上げられるという、なお悪い体勢へと持ち込まれてしまう。
視界に映り込む、自分の足とそれに頬を寄せてくる男。
やはり佐助の様に上手くは決まらないか。
彼の蹴り技を思い返して、比べてみると稚拙でしかない自分の蹴りをつい笑ってしまう。
否。
その笑みには自分を笑うだけでない、別の意味も含まれていた。
「何って……分からない?気付かなかった?」
この髪に。
私から無くなっている物に。
息苦しさを押して、朗々と声を響かせる。
抱え上げた素足をなで回す男の、周りに控えていた男達の、動きがぴたりと止まる。
その変化を見て取ったは会心の笑みを浮かべた。
こうして身を挺して何事かなそうとするなど、あの戦ぶりか。
前は武田軍から奇襲軍を遠ざける為の手段としてこの身を使った。
今回は『ここ』に、『彼』を呼び込む為に、この身を使う。
「私がここで、あんた立ちの言う通り…逃げ回っていたのは、な」
目の前に立つ男の肩越しに、扉が見える。
そこに、縦一筋の、やや暗い赤の光が差すのを見た。
扉が開く軋み音に、他の男達もようやく気が付く。
したりげに、の顔に笑みが宿る。
「目的に気付いてくれるまでの、時間稼ぎさ」
暮れかけた空を背景に、着流しの男が一人。
昼間と寸分違わぬ姿でそこに現れた佐助に、の口元の笑みが深くなった。
簪を拾い上げ、倉の中に多くの気配を感じ。
間に合ってくれと切に願いながら開いた、扉の先。
招かざる客の登場に目を丸くし、或いは顔を険しくする男達の向こうに、はいた。
ただし着物は寛げられ片足を抱え上げられた状態という、大変有り難くない状況である。
にとっても……自分にとっても。
「何だ貴様……何モンだ?」
「あらら、逃げてきたお仲間から聞いてないの?俺はその子の連れ」
「あ?…あぁ、お前がそうなのか」
「随分早い事ここを突き止めたじゃねぇか。どんな手使ったんだ、ん?」
「そこのお嬢さんが、俺様宛にしっかりと目印残しといてくれたんでね」
手にしていた物を、男達によく見える様に掲げる。
手の動きに合わせてしゃらりと音を立てた、簪。
逆光の上あまりに小さいそれを上手く捉えられなかったのか、最初の内は皆一様に目を細めていたが。
それが何であるかを認識すると同時、やはり一様に血相を変えてを振り返った。
乱れた髪の娘。
その髪は何故崩れてしまっているのか。
視線を一身に受けたは笑っていた。
策が成った参謀、或いは仕掛けた悪戯が成功した子供の様な表情。
やや苦しそうだが余裕の窺えるその顔に、佐助は内心胸をなで下ろした。
まだ大事には至っていないようだ。
今でも危ない状態が続いているのは変わらないのだが。
「テメェ…っそう言う事かよ!クソッ」
「もっと早く気付くべきだったな……そうすれば、あれの回収も出来ただろうに」
「…って、ちょっとちょっと、何助言してんの!」
「今更だろ?」
「…だっ黙れテメェら!こっちゃ女の命握ってんだぞっ!」
の指摘に佐助のつっこみ。
余裕さえ滲ませる二人のやり取りに、耐えきれず男が怒鳴りつけた。
抱えていた足を放し、懐刀をさやから抜き放つとの喉へ突きつける。
「へへ……この女の命が惜しければ、腰に差してるモノを捨てて俺らに従え。そうすりゃ助けてやるぜ?」
少し動かせば喉を引き裂ける立場に持ち込んで得意気になった男の目線の先には、佐助の腰に差された刀。
が持つ代わりに差していただけなのだが、どうやら彼らには佐助が刀の繰り手だと認識したらしい。
佐助は腰の刀に目を落とす。
刀を捨てるのは簡単だ。
そもそも自分の物では無いのだし、忍にはとんと縁のないものだ。
こういう場合でもない限り持つ事はない。
しかし今腰に差しているのは、変装の為の『道具』ではなくの物。
捨てるのは忍びない。
佐助は男達に気付かれぬ様、袖に手を忍ばせた。
非常時の為に幾つか暗器は持っている。
刀を手放さなくとも、これでの周りにいる数人を行動不能にする事は可能だ。
ひやりと、指先に暗器の冷たく固い感触が起こると同時に、忍の性も呼び起こされる。
恐らく今の自分は、冷たい目をしていることだろう。
人をあやめる時の、感情の灯らない目を。
の為に。
刀から、目を上げる。
「佐助、刀を!!」
真っ直ぐに、喉元に当てられた切っ先など無いもののように真っ直ぐと、の目がこちらを見ていた。
距離を隔てて交わった視線と、凛と放たれた声に。
佐助は、瞠目した。
それと同時に、逸らされる事のない目と言葉に秘められた彼女の意志に気付く。
「そうだよなぁ?幾らテメェでも、死ぬのは怖いよなぁ?」
違う、と佐助は彼の言葉を心の中で否定した。
アンタ達は大きな勘違いをしている。
が声を張り上げたのは、死にたくないからではない。
意図する所を知った佐助の口元に笑みが宿る。
どうやら自分が『忍』として動く必要はなさそうだ。
の刀を腰から鞘ごと抜いた、佐助は。
「お望み通りに」
刀を、高々と中に放り投げた。
佐助とヒロイン再びの巡り逢い。
今回は最後の、佐助の「お望み通りに」前後のシーンが書きたかったのでしたー。
二人の間でかわされる目での会話とかね!
格好いいね!!(?
次で長かった佐助企画夢も終わりです。
戯
2007.3.26
戻ル×目録へ×次ヘ