道なき道を、もうどれ程歩いただろうか。
土地勘の無い山、それも獣道を、行き先も分からないまま歩き続けていれば、流石に息も上がってくる。
元々体力のない事もあるが、それに加えて先導する者の足が悪路をものともしない速さであるのも、原因の一端であろう。

一体何なのだ、この女は。
喉を喘がせながら、石田三成は前を行く者の背を見つめる。

「おい…本当にこの先なのだろうな」
「はい。今少し行けば道が開けます」

実はたばかられてはいないかと疑い投げかけた問いに、進行方向だけを見据え背中越しに返してきた女。
三成の前に現れた時、と名乗った女は、足運びの速さが山へ分け入った時から殆ど変わっていない。

首の後ろで束ねられた豊かな髪。
その揺れの規則正しさから、息の乱れも無い事が窺える。
獣道を歩かされて謀りを疑うと同時に、「もしやこの女、化生の類なのでは」と人である事さえ疑わしく思えてきた。

馬鹿な事を、とかぶりを振って考えを振り払った所で、地面からせり出した石に乗り上げた足が滑った。
咄嗟に傾きかけた姿勢を立て直そうと反応したが、疲労の限界に近付きつつあった足が言う事を聞いてくれなかった。
踏み留まる事も叶わず、土を掴んでしまう。

「大丈夫ですか?」

声を漏らす事は無かったが、滑る音と気配で気付いたらしいが引き返してくる。
傍で膝を突き、色白で、やや吊り目の面立ちが、様子を窺ってくる。
汗一つ滲ませぬ涼しげな顔色に、三成はやり場のない、苛立ちにも似た悔しさを覚えた。

およそ山道には不相応な町娘の如き身形で、平地を歩くかのように行くのだ、この女は。

「申し訳ありません、先を急ぐあまり石田様への配慮が足りませんでした…お怪我はございませんか?」
「五月蠅い…私に構うな。貴様はさっさと先導しろ」
「少し休憩をした方がよろしいのでは…」
「進めと言っている!」

心に任せ声を荒らげてはみたものの、の気遣いも仕方のない有様だった。
少し声を張っただけで息が切れ、先を急げと言う割りには自分が立ち上がれない。
呼吸を整える姿をじっと見つめるの視線を感じたが、手の下に感じる土を握り締めつつ無視を決め込んだ。

「…すぐ戻ります故、しばしお待ち下さい」

やおらが立ち上がる。
三成が声をかける間もなく、草の根を掻き分けて何処かへ姿を消してしまった。

背の消えた方向を目だけで追いながら、足音が遠くなると、三成は大きく息を吐く。
そして手近な木の傍へ重い足を引きずり、幹に寄りかかって腰を下ろした。
休息の姿勢ではあるが、周囲への警戒は怠らない。

仮にが何処ぞから差し向けられた刺客であった場合、今こそ急襲するに絶好の機会である。
三成の技は速さを強みとするが故、疲労し満足に動けぬ状態の危険性は己が一番よく分かっている。

腰に差した刀を体の正面に持ち替え、襲撃に備えつつ、疲労の回復を図る。
の足音も、人の気配もなくなった今の内に、出来る限り。

静かに呼吸を整えている内に、草の根を掻き分ける音がした。
敵襲かと、全神経を集中させるが、揺れ動く草の向こうから姿を現したのはだった。
誰かと連れ立った様子もなく、あっさりと戻ってきたは、木の傍に腰掛ける三成の姿を認めると少しだけ笑った。

「いらっしゃらなくなっていたらどうしようかと思いました」
「…知らぬ山で案内あないもなく歩くのは自殺行為だ」
「その通りです。…下の清水を汲んできました。冷たくて美味しいんですよ」

先程のように傍で膝をつき、差し出した手には少し濡れた竹筒。
息の上がった三成を休ませる為に汲んできたというそれを、しばし見つめる。
竹筒を受け取るより先に、鋭い眼差しをに向けた。

「貴様が先に飲め」
「いえ、私は沢で飲んできたので…」
「それに何も入っていなければ、飲めるだろう」

詰まる所、毒味である。
竹筒を受け取らない事を不思議そうにしていたが、言われて合点したようだ。
はた、と気付いた顔をして、すぐに竹筒に口を付ける。
こくりと喉を鳴らして一口飲み干すと、改めて三成に向け竹筒を差し出してくる。
それでも受け取らずにしばらく様子を窺ってみたが、に変調を我慢している気配はない。

元より、息が上がって喉が渇いていたのは事実だ。
冷えた清水に惹かれたのもあり、覚悟を決めて、受け取った竹筒をあおる。
喉を潤していく水は冷たく、確かに美味しかった。

一息吐いて、体の調子を確かめる。
少しでも休めたお陰か、再び歩き出せるだけの体力も戻っているようだ。
手にしていた刀を腰に差し直し、立ち上がる。

ふと視線を下げると、未だ膝をついた姿勢のが、呆気に取られたような顔でこちらを見上げていた。

「何をしている。行くぞ、案内しろ」
「…もう宜しいのですか?」
「貴様にのんびり付き合っていられる程、私は暇ではない。それに急ぎたいのは貴様の方なのだろう」

話を持ちかけてきた時に急いていたのはの方なのだ。
言い指すと、向けられていた目が丸くなる。

何かを堪えるように唇を引き結ぶと、はこくりと頷いた。

「…はい、行きましょう」

消え入りそうな声で返事をし、立ち上がって三成の前を行く。

再び歩み始めた足が、少しだけ遅くなったように感じられるのは、なりの気遣いなのだろう。

それからの道中、時々に様子を訊かれながら歩き続けていると、ある時不意に視界が開けた。
つい立ち止まって頭上を仰ぐ。
生い茂っていた枝葉が払われ、降り注いだ陽光に一時的に目が眩む。

光を手で遮った所で、の声がした。

「ここを上れば到着です。後もう少し、頑張って下さい」
「上る…?」

その言葉から、どうやら先程行っていた「開けた場所」というのに出たらしい。
「上る」というからにはまだ山道が続くと分かるが、如何せん未だ光に目が慣れていない。
何度か目を瞬かせて視力の回復を図る。

ある程度視力が戻った所で、改めて己のいる場所を確認する。
そして目に映り込んだ光景に、三成は一瞬言葉を失った。

「…鳥居?」

道なき道を来た到達点としては、あまりに奇妙な光景が広がっていた。

数珠繋がりに、幾重にも連なる朱の鳥居。
緩やかに上るきざはしの段ごとに、それは建てられている。
ふと、伏見にある稲荷大社を彷彿とさせる景観に、三成の目は釘付けにされる。

呆然として立ち竦むしかない三成を、いつの間にか階の前に立っていたが呼ぶ。
「『私の母』はこの先にいます」

俄に、現実から切り離されたかのような感覚に襲われる。
獣道を進んでいた時は、日常の延長線上にある些細な変事程度に捉えていたのに。
場の異質さに加えて、の佇まいがその感覚に拍車をかける。

背筋をぴんと伸ばし、色白の面にやや吊り目の眼差しを向ける、その姿。

「どうか、母をお救い下さい…『佐和山の狐』様」

普段の己には有り得ない事であったが、状況に追い付けず鈍る思考で、三成は漸う思った。

私は、稲荷の使いに導かれたか、と。










佐和山の狐










私の悪い癖で、また連載になります。
「いちゃいちゃ皆無」「三成が夢主の名前呼ばない」「会話極少」
以上三点、「これ夢じゃないだろ」って言葉を飲み込んで下さる方は、
これからしばらくのお付き合いをよろしくお願いいたします。



2013.11.2
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