鬼拵ノ唄 -オニコサノウタ-










 ひどい雨だ。敷居一つで隔てられた外界の様子を見ながら、徳川家康は他人事のように思った。
実際は他人事などではなく、自身も雨の被害に見舞われていたのだが。

土を間断なく叩き続ける雨音、時折轟く雷鳴を耳に入れながら、短く刈った髪から滴り落ちる雫を拭き上げる。


「はは、鷹狩りどころではなくなってしまったなぁ」
「笑い事ではありません。風邪を召されぬようしっかりと体をお拭き下されませ!」
「分かっているよ」


とんだ不運を話の種にしたかっただけなのに、話しかけた従者に叱られてしまった。
この男は家康の事を第一に考えて行動してくれるのだが、いささか諧謔が足りないというか、融通の利かない所がある。
その頑迷さ、どうにかならないものか…という内心は口には出さず胸にしまい込み、肩を竦めるに留めておいた。
そうしながら見上げる空は、厚い雲に覆われ、一筋の切れ間もない。

これでも数刻前は雲一つない青天だったのだ。
故に領地の検分と軍事演習を兼ね鷹狩りを企画し出て来たのだが、この近くに差し掛かった所で俄に暗雲立ち込め、
雨除けの準備も雨を凌ぐ場所を探すのも間に合わず、盥をひっくり返したかのような雨に降られてしまった。

家康らが屋根を求め訪ねたこの家は、雨により立ち往生してしまった所の程近くにあった小さな村、その長の住居だった。


「いやいや、災難でございましたな」


背を向けていた屋内から聞き慣れぬ声がし、振り返る。
薄暗い廊下を背景に、一人の老翁が佇んでいた。
家康の胸程の背丈しかない、小柄な老人だ。
手に真っ新な手拭いを幾枚も携えている。


「この辺りの天気は極端に変わりましてな。何日も日照りが続くかと思えば、今のような大雨にあっという間に変わりおる」


人の良さそうな笑みを湛えたこの老翁こそ、この家の主、村の長である。
従者にはたき落とされた話の種をまさか拾われるとは思わず、家康は苦笑しながら、老翁の差し出す手拭いを受け取った。


「ここまで荒れるとは思わず、ろくな装備を持ってきていなかったんだ。雨宿りを受け入れてくれた事、感謝している」
「こういった急な来客は慣れておりますでな。この辺の気候を知らん旅人がよく訪れるのですよ」
「成る程。その者達もさぞ助かったことだろうな」
「ほほ、大したもてなしも出来ませんが、屋根ぐらいなら幾らでも貸します故」


狭い所ではありますが、ゆっくりしてお行きなされ。
老翁は体を廊下へと向け、ついて来るよう促してきた。
濡れた体はある程度拭き終えている。
水気を帯びて重くなった手拭いを従者に預け、家康は中へ上がった。









 急な天候の変化に難儀し訪ね来た旅人へ対応する為か、老翁の家は部屋数が多かった。
その内の一室に通され、家康はようやく人心地がついた。
濡れた服の替えがない為、服が乾くまでの間、老翁の息子の物だというやや身丈の短い着流しを借りた。
一国の主にこんな見窄らしい格好をさせるなど…と老翁に届かぬ程度の声音で嘆く従者を窘めるのに苦労した。

「失礼致しますよ。お侍様、腹は減っておりませんかな?」


室内で腰を下ろし、一息吐いている所へ、老翁が部屋を訪ねてきた。
戸を開けた老翁の手には鍋と、椀が二つ。
立ち上る湯気と広がる香りに誘われ、思い出したように腹がくぅと鳴った。
雨に打たれ体も冷えている、鍋の温かな湯気は非常に魅力的だ。


「美味そうな匂いがするな」
「ほほ…お侍様の口に合うかは分かりませんが、よろしければ是非」
「有難く頂こう!」


部屋へ招き入れると、老翁に続き年配の女性も部屋へ入ってきた。
膳を二つ提げる女性の年格好から察するに、老翁の奥方だろうか。

家康と従者二人分の膳を並べて用意する様子を見て、従者が慌て出す。


「待たれよ、私が殿と膳を並べて食べる訳には…!」
「おや…そうでございますか?我が家に宿を求めた以上、同じ客人としてもてなすつもりだったのですが…」
「ははっ、いいじゃないか!たまには共に食べよう」
「しかし、それでは示しがっ」
「示しをつけなきゃならない者はここにはいないだろう」


いつも冷静な従者の、普段は見られない狼狽え振りが面白く、つい調子に乗って「今日位は無礼講を」と促すと、


「…あまりおからかいになられますな」


打つ手なしとばかりに途方に暮れた顔で呟くものだから、堪え切れず噴き出してしまった。
一頻り笑わせてもらった後、最終的にはおうなの、


「一緒に召し上がって下さると、洗い物が楽なんですけれどねぇ…」


という一言で、渋々とではあるが膳を共にする事に納得していた。
老翁達の穏やかで親しみのある雰囲気に、従者も逆らいがたいものがあるらしい。
もてなされる側としての居心地の良さを、家康は感じた。

膳に椀と漬物が並べられ、鍋の中身がよそわれる。
粟や稗等の穀物と小さく刻んだたっぷりの野菜が入った雑炊だ。
ふわりと上る湯気に顔を撫でられ、思わず頬が緩む。


「いただきます」


顔の前で手を合わせてから、雑炊を掻き込む。
咀嚼し嚥下したその端から、じんわりと温もりが体中に広がっていく。
その感覚の心地よさを噛み締めながらちらりと隣を見ると、従者の食事姿が目に入った。
同じような心地よさを感じているのだろうか、気を緩めているのが手に取るように窺える。

素朴な食事だ。城で出されるものとは味付けも調理も異なるようだが、これはこれで美味い。


「凄い雨だ…こんな雨が降るのなら、この辺りは旱魃かんばつの心配はないのだろうな」


満たされた腹に気も緩み、雨を話題に世間話を振る。
折しも春が終わり、梅雨の入りである。
この頃になるとどの国も農民だけでなく、年貢を納められる側の役人も空模様に気を揉むものであるが、
今は家康をもしとどに打ち濡らした大雨である故に、この村では水量の心配などしないのだろうと判じての発言であった。
言ってから、僅か椀に残っていた雑炊を掻き込む。
出された物を綺麗に平らげ、御馳走様の合掌をして後、ふと目を遣る。


「…ワシは何かまずい事を言ってしまったか?」


気付くと、老翁が何か物言いたげな表情をしていたのだった。
それまでの歓待の様が幻であったかのように、あからさまに雰囲気が沈んでいるものだから、心配になってしまった。


「気を悪くさせたのなら詫びよう。深い意味はないんだ」
「いやいや、お侍様は何も悪くはございませんよ。先の事を考えるとねぇ…少しばかり気が重くなって」


そう言い顔を見合わせる老夫婦の顔には苦笑。
憂う思いを多分に含んだその表情の理由は何か。
家康は気になり、訳を聞かせて欲しいと老翁に促した。

気の重さが口数へと如実に表れているが、老翁は訥々と訳を語ってくれた。


「先も申しましたが、この辺りの天気は極端でしてな。短期間に一気に雨が降ったかと思えば、一滴も降らぬ日が何日も続く。
…一年かけて肥えた土は雨に流され、痩せた土地に根付いた作物を、長の日照りが苛むのです。厳しき土地でございますのよ」


作物の出来はその年の雨量ばかりが左右するのではない。
家康には見えていなかった様々な要因を思い、老翁は憂えたのだ。

壁の向こうで降り続いている激しい雨に意識を向けた。
短時間で家康をずぶ濡れにした雨は弱まる気配も見せず、強い雨音を奏で続けている。
この状態が幾日も続くのであれば、成程、老翁が気を重くするのも分かろうというもの。

椀と箸を膳へ戻し、家康は老翁らへ向けて頭を下げた。


「すまない。短慮な発言をしたようだ」
「そんな…こちらの話なんですから、お侍様が気にする事じゃあありませんよ」


頭を上げてくれと、老翁の慌てた声が降る。
老翁も住まうこの村、この土地の国主は己だ。
時刻に住んでいる者の心に思い至らなかった自分に対する、これはけじめだった。
老翁になんと言われようと、己の気が済むまで頭を下げ続ける。


「…まぁ、自然のなすがままばかりではいけませんからな…私らなりに手は打ってあるのですよ。
だからお願いでございます、頭を上げて下さいな…」


やがて老翁の声音が途方に暮れ始めた所で、ようやく頭を上げた。
すぐ目に入った老翁の顔からは憂いの色が消えていた。
少し困ったようすが窺えるのは、家康の行動のせいであろう。
頑として譲らなかった態度に、老翁の心は憂いから離れられたようだ。
内心安堵しつつ、老翁の言葉に首を傾げる。


「手を打つとは…?」


土地を流されない工夫か何かだろうか。
農耕に携わらない己の足りない知識では、老翁の言う『打つ手』に閃くものはない。
答えを待っていると、老翁が手をゆっくりとかざし、


「秘密、でございます」


人当たりの良い笑顔の前で人差し指を立て、言ってのけたのだった。




















陰陽座のアルバム「鬼子母神」より、「組曲「鬼子母神」〜鬼拵ノ唄〜」からイメージを得て書き始めました家康夢。
原作となる戯曲本を現時点で読んでいないので、世界観設定等原作とは程遠い感じですが、
少しでも楽しんでもらえれば嬉しいです。
楽しんで、と言う割には最後まで暗ーい雰囲気で進みますが。

ちなみに名前変換しばらくないです←
ていうか家康と夢主出会うのすら数話先です←
なにこれ家康×おじいちゃん夢…?



2012.7.23
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