鬼拵ノ唄 -オニコサノウタ-










 ゆるりと、意識がうつつへと戻り、家康は目を覚ました。
老翁が貸し、従者が敷いた布団に身を横たえた姿である。
従者自身は布団を使わず、部屋の入り口の近くで壁に凭れ休んでいる事だろう。
その寝息を耳で探ろうとしたが、雨音が酷かったのですぐに諦めた。

雨は未だ衰える事を知らず降り続けているようだ。
屋根や地を打つ濁流のような音。
この雨のせいで民家への逗留を余儀なくされているが、鷹狩りに随行していた人数を城に帰し駕籠を手配させた為、
雨が止もうが止むまいが、明日の朝には居城に戻れる手筈になっている。

戦時でもないのに雨中馬を走らせる必要はないだろうと家康は引き留めたが、これに従者が反対した。


「我々はともかく、殿が風邪を召されるなどはあってはなりません。無闇に城を空けるのも不用心ですし、
そもそもあの鷹狩りの大所帯を収容できるだけの家がこの小さな村にあるとお思いですか?」


村で一番大きい造りの老翁の家でも、今回随行していた人数は収容しきれないだろう。
尤もだと納得し、雨中を行く事になった者達の身を気遣いながら、家康は屋根の下で彼らを見送ったのだった。

目を閉じたまま、深く息を吐く。空気の感じからしても、恐らく夜明けはまだ遠い。
もう少し寝ておくかと、再び意識を沈めかけ。


ぎしりと、廊下が軋む音に、微睡みの中にあった意識が一気に冴え渡った。


ゆっくりと断続的に生じるそれは、家鳴りの類ではない。
明らかに忍ばせた足音だと、経験に裏打ちされた己の勘が言っていた。

寝静まっているであろう客人へ配慮した老翁のものであろうか。
否、と。家康はその考えを即座に否定した。
この家で見かけた者は、老翁とその妻の二人きり。
聞こえてくる軋み音は、それ以上の人数を思わせるものだった。

気配にも満足に注意を払えない者達が、何の目的か家康のいる部屋へと近付いてきている。


「殿…」
「動くな」
「しかし…」
「目的が分からない。このまま引き入れよう」


従者も既に目覚めていた。
先手を打とうと腰を浮かしかけたのが空気の流れで分かった為、それを引き留める。
会話は全て小声、家康は未だ身を横たえたままである。


「何を悠長な…事が起きてからでは遅いのですよ!?」
「お互い目覚めてるんだ、大事にはならないだろう。それにワシよりお前の方が早く動ける。頼りにしているぞ」
「…何を悠長な…!」


初めこそ苛立った気配を見せていたが、『頼りにしている』、その一言で、従者は二の句を継げなくなった。
注意の払い方の甘さ等から、近付いてくる輩の目的が何であれ大した事はないだろうと踏んでいた。
予想から来た自身でもあったし、従者に寄せた信頼も真である。

家康の期待を感じ取った為かは定かでないが、従者はそれきり口を閉じた。
意見を容れ、何者かを迎え撃つ構えなのだろう。
足音はもう間近まで迫っている。
家康自身も寝たふりをし、足音の主達の到来を待った。

家康のいる部屋の前で足音が止まる。
少しの間物音が途絶えたのは、耳をそばだてて中の様子を窺っていた為か。
ややあって、ゆっくりと戸が敷居を滑る。

こちらが既に目覚めているとは露程も思っていないだろう者達が、部屋に足を踏み入れた。

気付かれない程度に薄目を開けて、侵入者の動向を窺う。
ぼんやりと確認できたのは男が二人。
眠った家康を上から眺め、何事かぼそぼそと会話している。
時たま従者のいる方にも声をかけているようだから、少なくとも侵入者は三人以上。
さて、彼らは何をするのかとそのままじっとしていると、男の一人が手に何かを構えた。

暗闇にうっすらと白く浮かんで見える、それは縄だった。
ぴんと張った状態で、じりじりと彼我の距離を測っている。
もう一人の男は、素手を構えて同じように距離を詰めてきている。

ワシを捕らえるつもりか。

意図を汲み、家康はゆっくり、男達に呼吸を合わせた。

じりと詰め寄る男。
一呼吸の間に、動いた。
素手の男が家康の自由を封じ、その隙にもう一方が縄で縛り上げる。

…つもりであったのだろうが、残念ながら呼吸を読んでいた家康の方が一瞬早かった。
男二人の片腕をそれぞれ掴んで制し、


「物盗りか?」


腕を掴んだまま腹筋だけで身を起こすと、男達からひきつれたような悲鳴が漏れた。
従者の方を一瞥すると、抜き身の刀と鞘で、そちらにも二人いた男の動きを封じていた。


「斬ってはいかんぞ」
「承知しております」
「に、逃げろ!!」


分の悪さと奇襲の失敗を悟った男達は、制止の手を振り切り、今来たばかりの戸口へ向かい駆け出した。


「追う!!」
「御供を!!」


すぐさま布団をはね除け、従者と共に逃げる四つの背を追った。
あやまたず玄関へ向かう足音。
叩き壊すが如き激しい開閉音がするや、雨とは違う水音が耳に届いた。
地に広がる雨を蹴り上げる音だ。
少し遅れて家康らが玄関へ至ると、その音は左右に分かれ遠ざかっていく。


「別れるぞ!」
「努お気を付け下されませ!!」


瞬時に判断し、従者と別れる。
あれだけ身の心配をしておきながら、あっさりと傍を離れた事につい笑いが零れた。
効率の面から考えても最善の行動だったが、先の邂逅で「この相手であれば主から離れても大丈夫だろう」と、従者は判じたのだろう。

信頼の表れとはいえ、変わり身の早い事といったら。


ともかく、家康は二手に分かれた一方の男達を追った。










 老翁に借りた丈の短い着物を、雨は間もなくしとどに濡らした。
駆け通しだった足を止め、濡れて額に張り付く前髪を掻き上げる。


「…見失ったか」


呟き、周囲を見渡した。
途中までは確かに追えていた水を跳ね上げる音と男達の背も、今は止めどない雨滴と地を叩く音に掻き消されてしまった。
土地勘のある者かも知れない。
初めて村をおとなった身としては、地の利がない事は追う側にとって非常に不利であった。

襲撃した理由を知りたかったのだが。
内容如何によっては、手を差しのべてやるつもりでもあった。
見失ってしまってはどうする事も出来ない。


「仕方がない…戻るか」


早々に見切りをつけ、老翁の家に戻る事にした。
正直な所、来た道も覚えていないしここが村のどの辺りかも分からなかったが、一番大きな家を探せば間違いはないだろう。
既にずぶ濡れで急ぐ意味もなかったので、大雨の中ゆったりとした足取りで、来た道と思しき道を辿る。


「……ん?」


幾つかの家の前を通り過ぎた頃、家康の目に留まるものがあった。
足を止め、雨滴が目に入るのを庇いながらそれを見上げる。

夜闇の中ぼんやりと輪郭の窺える、背の高い建物。
恐らく倉である。

老翁が語った、厳しい環境の中でも実った貴重な食料でも蓄えているのだろうと思ったが、その倉の小窓から明かりが漏れている。
この雨の真夜中、倉に誰が何の用事なのか。
不審に思った時、ふと先程見失った男達の事が浮かび、家康は倉へと足を向けた。

襲撃者が潜んでいたなら好都合、もしそうでなくとも、誰か人がいれば老翁の家ぐらいは教えてくれるだろう。
そう考えながら向き合った倉の扉に鍵はかかっていなかった。
少し引けば簡単に戸が開き、そこに出来た空間へ身を滑り込ませる。

倉の中は幾箇所にか灯りが提げられていて、表よりも随分目が利いた。


「…変わった造りだな」


ぐるりと見渡してみて、最初の感想がそれだった。その一言に尽きた。

まず、倉には床と言えるものもなかった。
広い倉の壁に沿うように、一間程の幅の板が張られていて、地下までが見通せる。
上を見ると、上階も同じような吹き抜けになっている。
僅かな灯りを照り返し、櫃や籠のようなものが見えたので、こちらは恐らく倉として機能しているのだろう。
家康のいる層には何も置かれていない。

ならば下は。

上に向けていた目を、今度は地下へと降ろす。
下階にあるものをよく見ようと、手近にあった灯を拝借し、掲げて下を覗き込む。

照らされた空間に、まず水面が見えた。
絶えず揺らいでいる様子から、恐らく外の雨がどこからか流れ込んできているものらしい。
倉に水気とは、あまり良いとは思えないのだが。
倉の保管状態を心配しながら目を凝らすと、水面に続いて柵のようなものが確認できた。
壁に沿って三方。立ち位置から確認できないが、自分の足元も同じようになっているのではないだろうか。

掲げた灯は柵の奥までは届かない。
闇の深さに、家康は牢を連想した。
食料倉よりも、そう表現した方がしっくりくる事に、家康は眉を顰める。
この小さな村に、こんな大きな地下牢。
明らかに不釣り合いである。

何か妙だと、漠然と感じ始めた時、灯りに照らされる何かを視界に捉えた。

柵の向こう、闇の裾からちらりと覗く白いもの。
小さすぎて一見しただけではそれが何か分からず、灯を一層かざし、身を乗り出して目を凝らし。

それが人の手だと認識が及ぶと、考えるよりも早く体が動き。
下階へ続く階段などには目もくれず、家康は躊躇なくその場から飛び下りていた。




















鬼拵ノ唄二話。家康らを何者かが襲います。
相変わらず夢主出てこないですね!!お相手と夢主がなかなか出会わないのが私夢です!!



2012.8.22
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