鬼拵ノ唄 -オニコサノウタ-










 「一体何処へ…」


 馬を走らせ、脇目もふらず辿り着いた村の中程で、家康は呆然と手綱を握り締めた。
村に人の気配が無い。
しんと静まり返る様子に、手近な民家や世話になった翁の家、果ては例の倉まで訪ねたが、どこももぬけの殻であった。

倉に囚われていた筈のの姿もなくなっていることが、家康に漠然とした不安を呼び起こした。


「『祭り』はもう始まっているのか?」


祭りが既に始まっていて、なおかつ村の外でそれが行われるのであれば、土地勘のない家康には村人の居場所など皆目見当もつかない。

気ばかりが急いて歯噛みしたくなるのを、自ら落ち着けと言い聞かせて抑え込む。
焦れば焦るだけ、細かなことに気付けなくなる。
ここまで走り通しで息の荒くなった馬を休ませながら、自らは首を四方に巡らせる。


「殿!!」


ふと起こった、遠くからの呼びかけと馬蹄の音。
音のする方へ振り向くと、従者が馬で追いついてきた所であった。
書簡を読み終わるや、投げて寄越して何も言わず飛び出した家康を追いかけてきたのだ。

彼が横に並ぶまでには今少し時間がかかる為、家康は目を逸らし、再びくるりと辺りを見回した。
微かに風が出て来ている。
村の程近くには小山があり、そこから風が吹き下ろしてくるようだ。
汗ばむ体を吹き抜けていく風に、冷やされると共に頭も冷静さを取り戻した。

転瞬、家康は山を振り仰いだ。

風に乗って聞こえたのだ。
小気味よくも薄ら寒さを帯びた調子の…唄が。

何かを感じ取り、導かれるように手綱を繰る。
家康は馬首を山へと向け、走り出す。


「殿!お待ち下さい…!!」


背後から非難の声が上がる。
せめて追いつくまで少しぐらい待てと従者は訴えるが、それに構ってはいられなかった。
風に乗る音を便りに、『祭り』を行う人の群れを探し出さなくては。


      こんなに深入りするつもりはなかったのだが


大局の前に斬り捨てようとした一事に対し、今や一心に馬を走らせているこの有様である。
自分ですら理由を見つけられぬ心変わりに苦笑の一つも浮かべたかった。

敢えて理由を付けるとするならば、の嗚咽、向けた眼差し、泣きそうな笑顔。
それらの意味を知りたい、ということだろうか。

それ以上の答えには思い至れなかった。

音を頼りに馬を走らせる内に、いつしか家康は、山道を登り始めていた。
進む程に藪は深くなったが、人が踏みならした跡が残っていたので馬を進ませるのは容易かった。

村人はこの先にいると見て間違いない。
後は祭りに間に合えば。

その時、不意に視界が開け、家康の身は大勢の視線の前に晒された。
聞こえる筈のない馬蹄の音に、訝り振り返る人の群れ。
彼らの向こうに、一際高く聳えるもの。


「何をしているっ!!」


それが何であるか認識した瞬間、家康はおらびを上げ、人々の中へ馬を躍り込ませた。
馬に弾き飛ばされる直前に左右へ割れた人垣に構わず、道が開けたのを是幸いと、一気に距離を詰める。
近付くにつれ、この場が異様であると視覚が訴えてくる。

人々が囲っていたもの。
彼らの頭越しでもゆうに見えていたそれは、磔台であった。
村人の手製であろう粗末な組木に、括られているのは着崩れ半裸となった娘。
ぐったりと力無く項垂れる、の姿があった。

その足元に寄り、見上げた先の肢体は痣や傷があちこちに見られる。
酷い有様に、家康は一事言葉をなくしたが、眺めているだけでは埒が明かない。
とにかくを台から降ろさなければと、馬を下り、体を固定している縄を解かんと手をかけた。

「あっオメェ何すんだ!?」
「鬼を逃がしたらなんねぇっ!」


何をするか理解した祭りの参加者がどよめいた声を聞き咎め、家康はかけたばかりの手を止める。


「鬼だと?」


『鬼』。
つい最近その言葉を聞いた気がして記憶を手繰り寄せてみると、すぐに答えに行き当たった。
翁の家を発つ時に、翁が一人ごちるように漏らしたものだ。

当時も今も、『鬼』という言葉はに向け使われていた。
体のあちこちに痣を残し土をつける、家康にはどこにでもいる娘にしか見えない彼女に。

村人らにとって『鬼』の存在がどれ程重要であるのか。
部外者である家康にその判断などつけられよう筈もなかったが、


「『鬼』の一言で覆い隠した人柱を立て、それを良しとしている。お前達の心こそ鬼ではないのか!」


乱破より報告を受けた内容から、衝動に任せここまで来た家康は、この時ばかりは感情のままに叫んでいた。
何も知らぬ外部の人間を捕らえ、鬼に仕立て、人柱とする事でその年の好天と豊作を願う。
他人の犠牲を当然とするこの村の祭の有様が、『絆』を掲げる身として許せるものではなかった。


「こんな祭などワシは認めない。お前達の内に棲む『鬼』はワシが止める」


柱の上のを背に庇い、人垣を見据える。
乱入者を排除しようと動きかけていた男達は、その視線に圧されたように足を踏み留めていた。
僅かな間生じた奇妙な膠着。

その間を縫うように、前へ進み出る小さな影があった。


「やれ、困りましたなぁ」
「…長殿」


忘れよう筈もない声と姿、それに柔和な面差し。
先日世話になったばかりの翁であった。
これが村の中であったなら、翁の姿程人を安心させる雰囲気を持ったものもなかったが、
今まさに人柱を立てんとするこの場にそぐわないそれらの印象は、おぞましさ以外の何物をも与えなかった。


「豊作を願う我らの祭を止めなさるとは、お侍様は我々に死ねと仰るのですな」
「人柱の有無は作物の実りを左右しない。祭を行っても凶作の年はあったろう」
「確かに実りの悪い年はありました。が、それは『鬼』が居ったればこそ。祭を行わなかったらあれではすまなんだろう」


翁の目を見、その後ろの村人達の顔を見渡し、翁の言葉に偽りや誇張の無い事を知る。
家康は言葉を失った。
彼らの物の考え方は、全て『鬼』『祭』が基準となっているのだ。

祭を行わなければ日照りの年になる。
行った上で日照りとなったなら、行っていなければもっと酷い事態になっていたのだ。
嗚呼、祭を、鬼を捧げておいて良かった、と。

それを信じ抜いている今の状態では、こちらが何を言った所で祭を止める事など出来ない。
では、どうするべきか。


「我らに『あれ』よりも惨い目を見せようとなさる、お侍様、あなたの心にこそ鬼は居るようで」
「な、」


思考を重ねる家康の前で、俄に翁が高らかに手を打ち鳴らす。
急に意識を引き戻されて、反応が少し遅れた間に、重ねて手を打ち鳴らす音。
音の数が増えている。増えていく。
それが独特な調子の手拍子だと気付いたのは、細波のように拍手の音が広がっていったからだ。

訳が分からず視線を彷徨わせる内に、幾つか気付いた事があった。
手を打ち鳴らしているのは、見る限り女と老人ばかり。
人垣の中にいた男等は、手拍子の最中、前へと進み出て来ていた。
その手には農具や、そこいらの道端から拾ってきたような木ぎれを握っている。
幼い子供の姿はない。
また、囃子唄のようなものが、いつしか耳を打ち始めている。


      ゆるがせも… 欲ぼりも…


村に降りかかる災いは鬼のせいにしてしまえ。
何の因果もない流れ者に鬼の役をかぶせてやろう。
山神に捧げ殺してしまえば、ほれ、村から厄災は消える。
これで次の一年もこの村は安泰だ。

明るい調子に合わせ紡がれる詞の狂気に、ぞくりと背が粟立つ。
幾年と繰り返されてきたせいで、彼らは自分達の行為の異常さに気が付いていない。

このままここにいてはまずい。
詞と、翁の言によれば、祭の邪魔をする家康も『鬼』として『山神』に捧げようとしている。

人垣を突っ切って飛び込んできた為、今や山道へ至る道は群衆に閉ざされてしまっている。
この場をどう切り抜けるか、目まぐるしく頭を働かせ、方法を模索する。

その時、ふと頭上から声がするのに気付いた。
合唱に紛れて聞き取りづらかったが、気付いてしまえば耳はその音を拾おうと注意を傾ける。
殆ど無意識に声のする方を見遣り…ぎょっとした。


「どうした!?」


柱に括り付けられたが、激しく痙攣を起こしていた。
呻き、身悶え、着物が更に肌蹴るのも厭わず。
仰向けた顔は家康よりも高い位置に在る為、表情が窺えない。
さては体中に受けた傷が原因か。


っ!気をしっかり持て!!」


の急変に脱出方法を考えるのを一旦止め、落ち着くよう懸命に呼びかける。
その間にも手に得物を携えた男らが距離を詰めてくる。
の救出、そしてこの場からの脱出。
それらを一挙に解決する手段は。


「仕方がないか…」


苦渋の色を滲ませ、村人達に向き直り、拳を握る。
本当は、戦と関係のない場面で拳を振るいたくはないのだが、この際は仕方がない。
話を聞く気があるならともかく、今の彼らは聞く耳を持たない。
ほんの少しだけ脅しをかけ、状況を打破するきっかけを作れれば。

仕掛ける機を窺い、手に力を込める。
その間にも手拍子は耳鳴りのように鼓膜を打ち、唄が押し寄せる。
柱の上のが気がかりではあったが、この場を切り抜けない限りは彼女を何とも出来ない。

一歩、男達の歩が進む。
今だ、と家康は思った。
判断するが早く、力を溜めた拳を振り上げた。






















2013.8.15
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