龍如得雲 ―宝器 巻き込まれ事件―
一気に人が増えて、手狭に感じる部屋の中。
真田主従を部屋の端に退らせると、小十郎もまたその横へと並んだ。
端へ寄った事で生まれた空間へ、三人がそれぞれ無言の内に目を向ける。
部屋の中央。敷かれた褥。
横たわり眠り続ける政宗の傍、が座り込んでいる。
小十郎たちの位置からでは背を向けられている為表情は窺えないが、
「ちゃんと治せなくてごめんね、政宗…!」
聞こえてくる詫びの声には切迫した心情が滲み出ている。
正面から見たらどれだけ情けない顔をしているだろう。
いつもなら揶揄の一つでも言う所だが、今ばかりはそれも憚られた。
「あ、あのような女人が、真に政宗殿を治せるのか…?」
あんな頼りない様子では、不審を覚えるのも当然だろう。
疑わしげに呟く真田の言葉を隣で聞いた小十郎は、内心で同意を示した。
人を癒すの力、それを誰かに使う現場を見るのは、小十郎も実はこれが初めてだった。
此度の件を含め、過去に自分自身が救われた経験はあるが、いずれも死に瀕している時。
どう力が作用して命を救われたのかは、はっきりと覚えてはいない。
分かっているのは、癒しの力に救われたという事実のみ。
「…まあ、黙って見とけ」
故に、真田へ向けた言葉は、そのまま小十郎自身へ向けたものでもあった。
何度も小十郎を、或いはこの場にいる四人全員を一度は死より救い上げた、人智を超えた業。
救われた己自身が、今この時、この目で確かめろと。
三対の視線が向くその先で、の背が政宗の胸元へ縋り付く。
一瞬、政宗の顔を覗き込むようにした拍子に垣間見えたの横顔は、今にも泣きそうなものだった。
両手を政宗の胸に重ね、その上に額を寄せる。
「ちゃんと戻ってこないと許さないからね、伊達政宗…!!」
押し殺すように吐き出された、祈りにも似た言葉。
刹那、の手元から零れるように現れる白い光。
小十郎は眩しさも忘れ瞠目した。
柔らかく広がり、次第に輝きを増すそれは、堪らず手を翳して影を作らざるを得ないほどだった。
目が慣れるよりも早く、白光は消え失せた。
部屋は元の明るさを取り戻し、眩んだ視界が緩やかに回復する。
光が収束してから改めて確認する部屋の有様に変化は見られない。
眠る政宗、その胸元に突っ伏す。
強いて変わった事を挙げるなら、ちらりと横目に見た真田が、目も口もぽかんと丸く開けて、二人の姿を凝視していたくらいか。
「今の光は…!?あれが殿の持つ、癒しの力というものにござるか!?」
目の前で起こった事態を飲み込み切れず騒ぎ出す真田を放置し、小十郎はの傍へ歩み寄る。
光が収まっても突っ伏したまま、小十郎が近付いても身動ぎ一つしない背中へ、そっと声をかける。
「おい、平気か?」
「…分かんない……政宗は?」
のろのろと頭を上げて、最初に口にしたのは政宗の心配だった。
力を行使した反動に見舞われているせいか、応じる言葉に切れがない。
しかし人に気を回せる余裕があるならひとまずは大丈夫だろうと判断し、次に小十郎は政宗の様子を窺う。
相変わらず眠ったままだが、多少呼吸は落ち着いているように見える。
額の手拭いを一度取り上げ、そこへ手の平を宛がった。
「熱は…引かねえか」
触れて感じるのは高い体温。
解熱は、の力の及ぶ範囲ではないらしい。
即座の回復を勝手に期待していただけに、そう上手くはいかないか、と少しだけ落胆した。
それから気を取り直して、次に確認したのは傷の具合。
掛布から政宗の腕を抜き出し、袖を捲り上げ包帯を丁寧に解いていく。
するすると布の擦れる音に反応して、どう?とが尋ねてきた。
問いと前後して、包帯に覆われていた肌が露わになる。
少し前に包帯を巻き直した時、広がっていたのは焼け爛れた皮膚。
そして今眼前に晒された肌は、うっすらとした赤みが残るものの、綺麗に再生していた。
思わず安堵の息が漏れる。
発熱は傷からくるものだった。
原因たる火傷が治ってしまえば、後は熱が下がるのを待つばかり。
それには政宗自身の体力治癒力が必要となるが、その点はまず心配要らないだろう。
「……よくやった」
政宗を苦しめ、己を脅かす種は除かれた。
その事実が嬉しく、にかけた労いの言葉にも、ついその色が滲んでしまう。
頭を上げていたは、その言葉を聞くと安心したようにへらりと笑った。
そして再び、政宗の胸元へ頭を落とす。
「…平気か?」
「駄目でーす…頭起こすのしんどい…」
先程と同じ質問に、帰ってきたのははっきりとした限界宣言。
気がかりが失せ緊張が解けたせいか、怠そうに体を弛緩させうんうん唸り始める様を見て、小十郎は苦笑する。
「仕方ねぇ、そのまま寝てろ。後の事は任せて少し休め」
言われるよりも先にそうするつもりだったのだろう。
うん、と応じた声は既に語尾も怪しく、すぐに寝息が聞こえてきた。
今となっては懐かしい、歯ぎしりのおまけつき。
「…よく戻った、」
最早聞こえていないだろうへ、帰還の祝いを告げる。
それから小十郎は顔を上げ、未だ呆然と見守っていた真田へ声をかけた。
「真田、すまねぇがコイツの分の床を用意しちゃくれないか。流石にこのまま寝かせてはおけねぇ」
「あ…相分かった。すぐに支度させる故、暫し待たれよッ!」
小十郎の頼みに慌てた様子で出て行く。
後には忍だけが残った。
興味深げに眼を細めて、規則正しく上下するの背中を注視している。
「テメェは行かねぇのか、猿飛」
「ん?まあね」
真田の後を追わないのかと言外に聞いた、その返答の歯切れは悪い。
何だ、と疑問に思ったが、訊くよりも先に猿飛が言葉を繋ぐ。
「その子だけじゃなくて楯無も六爪も回収できたから、後で受け取って」
「…それは有難い限りだが、随分と仕事が早いな」
「ぜーんぶその子のお手柄よ?六爪ついでに武勇伝も聞かせてやるよ」
「の?」
猿飛に向けていた目を離し、をまじまじと見やる。
一見いつもと変わりないように感じたが、松永の手の内にあって、この娘は一体何をしてきたのか。
聞きたいような、聞くのが怖いような心地に陥り、小十郎は頭を振ってそれを振り払う。
「それはそれとして、俺様から一個質問良い?」
政宗の胸の上からを抱き起こし支えていると声をかけられた。
返答の代わりに目を向ける。
伝えるべき事を伝え、用はもう済んだ筈なのに、佐助は未だ動かずそこにいる。
興味に満ち、警戒心を滲ませた眼差しでを見つめながら。
「その子…一体何?」
は、その力は、真田、ひいては武田にとって有益か、有害か。
それを見極めようとする目に思えた。
小十郎はそれを見据えながら、返す言葉を探す。
何百年も先の世から来たと自称する、人智を超えた力を持つ者。
が何者であるのか、城に住まわせるようになってしばらく経った今でも、よく分からない。
寧ろ自身が己の存在についてよく分かっていない…というか、考えるのを止めた節があった。
本人が分かっていないものに、明確な答えなど出せようか。
ただ、その事実をそのままこの忍相手に伝えた所で、納得はしてくれないだろう。
現状出揃っている情報から、猿飛を煙に巻ける返答は出来ないものか。
しばしの間考えた末、
「は…政宗様の、盾だ」
ぽつりと、それだけ口にした。