自分の身に何が起きたかなんて事も、考える暇はなかった。
龍如得雲 ―切願 私が何をした―
ありえない 。
背中に木の幹らしい固い感触を覚えて、もうそれ以上後には退けない事を知る。
ああ、何だってこんな逃げ道が短い所に立っていたんだ。
信じるにはあまりに突飛すぎる展開ながら、自分が追い詰められているという事だけは分かって、は息を呑んだ。
後退らなければならない状況に追い込んでいるのは、をそこまで追い詰めて今なお正面に立ち続ける男。
カツアゲする為に絡んできた不良でなければ、恐らく精神異常者という訳でも、無い。
否、服装だけ見れば何を血迷っているのかと目を疑うような格好をしているのだが。
時代錯誤にも程があると言いたくても、それがここでは普通なのだと。
したくもない理解が出来てしまうのがまたには信じられなかった。
即ち、俗に言う『甲冑』なるものを着込み、
俗に言う『日本刀』と呼ばれる我が国伝統の武器を手に携えた、
俗に言う『返り血』らしきものを体の前面に多分に浴びている、
俗に言う、日本の戦国時代にいたような、『兵』。
休日だったが出向かなければならない用があったので学校まで赴いて。
同じ日にたまたま学校に来ていた友達とばったり会って、そのまま話に花が咲いて。
別れた後は、見たいテレビがあったから、門を出ると少しだけ急いで家路を辿った。
ただそれだけ、授業が無い事を除けば至っていつも通りの行動パターンの筈なのに。
違和感に足を止めれば、視界に映るのは、何故か地平線の向こうまで建物一つ見当たらないだだっ広い平地。
そこいっぱいにひしめく、殆どが前述と同じような時代錯誤な格好をした人、人、人。
一体自分は気付かない内に何のイベントに紛れ込んだんだと混乱している内に、人人人の中の一人と目が合って、
追い詰められて。
冒頭のような、状況になる。
前後の逃げ道が塞がれた中、前の逃げ道を塞いでいる男が持つ刀が振り上げられる。
拍子に、血に濡れて紅白二色のマーブルになった白刃が、日光を反射して妖しく鈍く光って見せた。
ひしめく人々が彼の背後に見える景色の中で、雄叫びを上げながら斬り合いをしている。
内、刀に撫で付けられた方が、貫かれた方が、人形のように頽れていくのを見て、
男も自分に対して、彼らと同じ事をしようとしている事が分かった。
それはもう良く分かる。
良く分かる、が。
マジで あり得ないんですけど …… !!
それを、こういう環境にはまず縁のないが許容できるかどうかは別の話である。
信じられないと頭の中一杯に叫びながらも、それを声として発する事が出来ず、
混乱の極みに陥った思考回路が、早く逃げろと言う脳からの命令を四肢にまで伝達してくれない。
動けなくなったが出来る事と言えば、今にも振り下ろされんとしている刀を、瞬きもせず凝視する位。
がその刀から逃れる術があるとするなら、
絶対に必要なのは、麻痺した伝達神経を強制的に立ち直らせるような何かがある事。
例えば、第三者の介入。
それは唐突に訪れた。
刀が振り下ろされる間際、突如として馬蹄が響くや、横合いから大きな物体が男との間に割って入ってきた。
視界を埋める巨大な壁のようなそれに、刀を凝視して見開いていた目が更に丸くなる。
一体これは何だ。
物体との距離が近すぎてその全貌が明らかにならない。
その正体を確かめようとして、視線を縦横に走らせかけたのと同時。
「戦えねぇ奴が戦場をうろうろするな、女!!」
頭の上から怒号が落ちてきて、反射的に肩を竦ませた。
その一喝で体が動くようになった事には気付かない。
気付かないままに、は動くようになった目を存分に使って、眼前の得体の知れない物体の見極めにかかる。
から見て左に尻尾、右に頭、視界を塞ぐのは胴体。
視線を少し左右に振る程度で、それが逞しくしなやかな筋肉を持つ馬だという事が分かった。
そして怒号が聞こえたのは、その馬の背の更に上。
いきなり怒鳴られた事による少しの恐怖を胸に、馬に跨るその人を見上げて、
正体を知ったの、目だけでなく口までもが丸くなった。
「こんな所でしにたくなかったら、さっさと自分の村へ帰れ!」
「奴が孤立したぞ!今だ、討ち取れ!!」
「!ちっ…もう来やがるか」
が言葉もない中で、馬上の男が舌打ちをしながら背後を振り返る。
視線の先には、続々と「何か」をめがけて集まり来る人影が。
男の視線の移動につられて、丸い目丸い口のままそちらを見て。
の目は、それらの人々の格好が、先程まで対峙していたあの男と同じものであるように感じた。
騎馬する男の反応から見ると、彼らは好ましくない相手なのだろうか。
……なのだろう。
「一人になった今がチャンスだおめぇらやっちまえ」的な事をのたまっているのだから。
要するに袋叩きにすると言っているのだから、からしてみれば満場一致で卑怯者認定だ。
ともかく、集団で向かい来る人々を見ても、丸くなった目と口は戻る気配がない。
袋叩きに遭いそうな予感に怯えるよりも、自分の中では男の正体の方が余程衝撃が強かったらしい。
もう一度、視線を馬上の男へと戻して。
いつの間にかこちらに向かって差し出されていた男の右手に、気付いた。
男との出会いについつい唖然としていたは、その手もぽかんとして見つめるだけ。
「仕方ねぇ、ついでだ。安全な所まで乗せてやる。来い」
「…………」
「早くしろっ!!」
「はいぃぃいっっ!!」
そして怒られた。
二度目の怒号にもやはり驚いてしまったは、咄嗟に男の命令に従い差し出された手を取っていた。
刹那、地を離れる足。
乱暴な所作ながら、しかし衝撃は少なく、男の手によりは馬上へと引き上げられた。
そこから男の前に腰を落ち着けるまでの時間に、支える為に腹部に回されたもう一方の手に握られたままの刀に気づき、
ぎゃーーーっっ !!!?
彼に害意は無いと分かっていても、内心での絶叫は止められなかった。
つい先程まで自分に向いていたものと同じものがすぐ傍でぶらぶらしているのだから仕方のない事だろう。
ばくばくと激しく脈打つ心臓を沈めようと何度も深呼吸を繰り返していたが、
ふと、自分を斬ろうとしてきたあの男は何処へ行ったのかが気になった。
馬の乱入にあってから、邪魔だ、とか退け、とか言う声すらも聞こえない。
彼をどうしたのか。
を前で抱えるように乗せた男にその行方を確かめ
「落ちないようしっかり掴まってろ!」
「あっあのっふっっ!?」
「舌を噛むから口は閉じとけ……と、遅かったみたいだな」
「……っっ!!」
…ようとした時に走り出した馬が激しく上下に揺れ、油断していたは盛大に舌を噛んでしまった。
男の忠告は遅すぎた。
しかし「もっと早く言ってくれ」と突っ込む余裕もなく、舌が痺れるような痛みに悶絶するだが、
にわかに轟いた耳をつんざく大音が、雨のように連続するのを聞いて、今日何度目かの瞠目を果たした。
苦しむの背で、男の体が強く跳ねる。
「っ……っ!!っ伏せろ!!」
一拍の間を置いて、言うより早く男がを押し潰すように覆い被さる。
男の正体に言葉を失う程の衝撃を受けていたは、そのハプニングには黄色い声を上げておきたい所だったが、
それを実行に移すよりも先に、今の轟音が銃声だと気付いた為に、黄色い声は不発となる。
代わりに男の下で、みるみる顔を強張らせていったのは、自分達が銃撃の的にされているのだと気付いたからだ。
断続的に雨のように降り注ぐ銃声は追ってくるように続き、たまに風を切るような音が聞こえもする。
銃で狙われた試しなど無いが、その恐ろしさは知識として記憶に刻まれている。
当たったら死ぬ。まず死ぬ。
だから、銃撃から庇ってもらう形になる男の負担にならないよう、必死に男に従おうとした。
疾駆している為激しく揺れる馬の背に何度も鼻をぶつけながらも振り落とされないよう必死にしがみつき、
男が被弾するおそれが少しでもなくなるように、その内側にいる自分の体を懸命に丸める。
男に接している背中が温かく、耳元には男の息遣いが聞こえる。
これが甘いシチュエーションなら胸を高鳴らせるものを、残念ながら今はそんな場合ではない。
ただ、この銃撃から逃げ切る事だけを考える。
馬を駈るのは男で、自分は顔を伏せているだけだから、逃げ切れるよう祈る事しか出来ないのだが。
やがて銃声は徐々に間延びし、小さく遠くなっていった。
物は試し。という事で伊達連載夢開始!
前々から書きたい意思だけは主張し続けてきたので、まだ早いのは分かりつつ既に達成感が。
伊達の「だ」の字すら出てきてないけどね。
ヒロイン助けに来た男の名すら出てきてないけどね。
戯
2007.11.29
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