腕の中、確実に失われていく物に耐えきれなくて。

ただ、繋ぎ止めたい一心だけで、私は叫んだんだ。










龍如得雲  ―切願 私が何をした―










 耳が拾う風の音と揺れのペースから、馬が走る速度を緩めた事を知った。
覆い被さっていた男の体が離れていくので、自分も恐る恐る体を起こしてみる。

どうやら逃げ切れた、らしい。

銃声はもう聞こえなくなっていて、今はただ人の喧噪が遠くにあるだけ。
ゆっくりとした速さで馬が歩いている周囲には、乱雑に立ち並ぶ木、木、木。
随分と見通しが悪いものだと思う一方で、これならば追ってきた誰かにもそう簡単には見つからないだろうとも思う。

『自分が逃げるついでにお前も助けてやる』とのたまった男の言葉は果たされた。
それを自分の目で確認して初めて、は体の強張りが解けるのを感じた。

あまりに目まぐるしく事態が進展していくものだから頭が追いついていけていなかったが、
流石に銃で狙い撃ちにされた時は生きた心地がしなかった。
そんな危機的状況にあったにもかかわらずこうして無傷でいるのは、ひとえに体の下で庇ってくれた男のお陰だ。
成り行き上仕方なかった事とは言え、終わりよければすべてよし。
助けてもらったという結果には変わりがないので、の胸には男への感謝で満ちている。

森だか林だかをしばらく奥へ分け入った所で、ようやく馬が足を止める。
降りろと言っているのか、体を支えていた腕が離れていく。
後ろにいる男の、大きく一つ吐かれた溜息にはっとして、ぼうっと馬に腰掛けていたのを慌てて飛び降りた。

馬から飛んだ瞬間、自分がいた位置の高さに顔を引きつらせもしたが、着地した時の衝撃は覚悟していたよりも小さい。
小さいが、足が地を踏んだ感覚が、上手く逃げ切れたのだという証のようで安心できた。
ずっと馬に揺られていたせいで微妙に平衡感覚が狂い、二、三歩前へとつんのめり、
踏み止まった最後の足を基軸にして、元気よくくるりと体を反転させる。

ここまで自分を連れて逃げてくれた男に対して、礼を言おうと思って、馬上を見上げ。


「………え?」


男の右の胸を染める黒い色に、今日何度目かの失語に陥った。

ふと気付くと、背中が冷たい。
先程まで男の体と接していた部分が冷めたというだけではない冷たさに、は男の右胸へと吸い寄せられていた視線を落とす。
ぎこちない動きで右手を背に当てると、服がいやに水気を含んでいる。
それを確かめて、背に触れた右手を自分の目が届く所まで戻して。


赤黒く染まる手のひらに、頭が真っ白になった。


不意に男の咳き込む声が聞こえ、弾かれるように視線を上げる。

飛び降りたとは違って、男は騎乗したまま。
手綱を握り、凛と背筋を伸ばした姿勢で、の手のひらよりもなお鮮やかな色をした『血』が、口角を伝う。

次の咳で血の塊が吐き出され、馬の背にぶつかり散った。
それが限界だったのか、伸ばされていた背筋が徐々に丸くなり、支えきれないように男の体が前屈みになり、ぐらりと横倒しに傾ぐ。


「!ちょ、待って……!!」


今にも頭から落ちようとするのを見て、そうはさせまいと咄嗟に駆け寄りその体を支えようとする。
が、相手は大の男である事に加え鎧を着込んでいるというオプション付き。


「ぐ…ぉ、重っ……!!」


単純計算でも100s近いだろう重量を、程度で支えきれる筈もない。
数秒は持ち堪える意気を見せたものの、それ以上は無理だった。
遠慮無くずるずると馬の背から落ちてくる、自分で支える力も残っていない男の体。

支えきれないならせめて頭からは落とすまいと、は渾身の力を込めて男の体をきつく抱く。
その頑張りが功を奏し、重力に任せるよりは緩やかに男を馬から降ろす事に成功した。
クッション材として自分が下敷きになるという結果になったが。
負傷した人間に更なる追い打ちをかけるような落ち方をさせなかっただけ良しとしよう。

重くのし掛かられた下から何とか体を抜き出して、は腕の中の男に必死の思いで声をかける。


「しっかりして下さい!!大丈夫ですか!?」
「はっ………これが大丈夫に、見えるか……?ザマァねぇ…」


気丈にも笑ってみせる男の、呼吸幾度か毎に喀血する姿に泣きそうになる。
黒く染まる胸の辺りを近づいて改めて見てみると、服に小さな穴が空いていた。
その下の肌にも。
その奥にも。

先程の銃撃の折りに被弾した傷だとすぐに分かった。
あれだけ弾が飛び交っていたのだから、いかにが頑張って体を縮め表面積を小さくしようと、無傷でいられる方が難しいに決まっている。
背に受けた弾は、肺を貫通して胸から体外へと飛び出した。
それ程の傷を負っていながら、男はここまで逃げてきたのだ。

荷物でしかない、の為に。


「私が、いたから……!」
「手前ェでした事だ……お前の、せいじゃねぇ」
「喋らないで!!…っ誰か、誰か!!助けて下さいっ!!」
「よせっ…大声、出すんじゃねぇ……敵に見つかる」
「でもっ……!!」
「それより、お前の事だ……ここから一人で村まで…戻れるな…?折角助けてやったんだ…敵に見つかるんじゃ、ねぇぞ…」


死の淵にあっても、の身を案じている。
それは、最早自分が助からないものと悟ったからこその言葉だったのだろう。
ふうと一つ息を吐いた男は苦しげでありながらも、どこか安らかに見えた。


「戦をするからには、死は覚悟の上だが……そうだな、あの方の、天下を…見られないのが残念だ」


未練があるとはっきり口にしながらも、男は死を受け入れている。
潔い態度。
そういう状況に追い込んだ張本人であるは、今にもこぼれ落ちんばかりに目に涙を湛えていた。




男が、はっきりと心残りを口にする前までは。




「…っ残念なら……」


泣くのを堪えて下がっていた眉尻がにわかに吊り上がる。
ぼそりと聞こえた声に、虚ろになりゆく男の目がの方に向けられるのと同時、


「心残りがあるんなら諦めんじゃねぇっ!!」


怪我をさせてしまった負い目から弱気になっていた事すら忘れ、激しく叫んでいた。
驚いた男の目が力なく見開かれる。


「やらなきゃならない事はまだまだ沢山ある筈だろ!?それが…死を覚悟してるとかっ……っ言うな!!
もっと…ずっと、小さい時から仕えてるんだろ!?だったら伊達政宗の天下獲りも最後まで見届けろっ馬鹿っ!!」

「…!お前、何故政宗様を……」
「『右目』のない政宗の天下なんて…私は認めない」


腕に抱えているのが誰か別の人間だったら、ただ散り行く命を惜しんで涙を流したことだろう。
死の間際にいる人間を相手にこんな暴言など吐かなかったに違いない。

けれど、腕の中にいるのが『この人』だったから。

信念の許に命を散らそうとしているのが…それが正しい事なのかも知れないが、どうしようもなく頭に来た。


茶色の上着を濡らし続ける男の胸の傷口を、空いている左手で押さえに掛かる。
左頬に傷痕の残る顔が、真新しい傷口を圧迫される痛みに歪んでいたが、構うものか。
直接傷口を押さえる止血法など、体を貫通してしまっている大怪我には意味がないかもしれないけれど、
何とか助かって欲しいから、何かやらずにはいられない。

左手で刀を操る、オールバックの戦国武将。
彼は伊達政宗の傍らでその天下獲りを支えなければならない。
少なくとも、彼が命をなげうって良いのは伊達政宗の為であるべきだ。
何処の誰とも知れないこんな小娘なんかの為に失って良い命じゃないと、そう思ったから。


      ふざけんじゃねぇ


「こんな所で死ぬなんて許さないからな!!片倉小十郎、、、、、っっ!!!!」


必死な祈りを。
男の名前を。

傷口に置く手と彼を抱く腕の力を強くして、心の底から叫んだ、




刹那。




顔を伏せてきつく目を閉じた為、は気付かなかった。
己の手と男の胸との間に生じた変化に。


朦朧としつつも開いていた目で、『小十郎』は見た。
自分を抱きかかえる娘が手を当てている箇所から湧き出でる、光を。




















銃弾の雨霰の一発目の時点で男は撃たれていたという事実。
そんな怪我を負っていても、敵を振り切るだけの気合いを持った人だと思っています。
ちゅー訳で、最後の最後でようやく『男』の正体を明かす事ができましたー。
この見せ場を作りたかったんです。

ヒロインが小十郎に対して敬語を使ってたのは、最初に怒られて萎縮してたのとどう接すれば良いか分からなかった為。
そんな心の迷い(?)も、死にそうになってるのを見てどっかに吹っ飛んでしまったようです。



2007.12.8
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