肺を貫通した傷を手当てしない、出来ない状況では助かる見込みが無い事ぐらい分かっている。

それでも、叫ぶしか無かった。

叫ぶ事しか出来なかった。










龍如得雲  ―切願 私が何をした―










 目を閉じてしまった『小十郎』がいるような気がして、顔を上げる事が出来ない。
いずれは目にしなければならない彼の眠るような顔を恐れて、逃げて、どれだけの間、彼の胸に突っ伏したままでいただろうか。
ふと左手を掴まれた感覚に、少しだけ顔を上げて。


「おい……」
「……?」
「重い。」
「すいませんっ!」



掠れながらもドスの利いた声に、何よりもまず体が俊敏に反応して小十郎の胸の上からどいた。
後ろに仰け反る勢いで背筋をピーンと伸ばしてから、はっと気付く。

目に映った小十郎の顔が、しっかりとした眼差しでこちらを見ている事に。

自分の胸に置かれていた手を掴んだまま、体を起こそうとする小十郎に、は慌てた。
何でもないように起きようとしているが、彼は重体だ。
そんな状態で動こうものなら、傷からの出血がもっと酷くなって死期を早めてしまう。


「う、動いたら駄目だって!」
「平気だ……どういう訳か知らねぇがな」
「それって麻痺してるんじゃないの!?良いからじっとしてて!!」
「騒ぐな。」
「はいっ」



再度ドスの利いた命令口調に、再度従った。

怪我人相手だろうと何だろうと怖いものは怖いし怯えもする。
何せ今でこそ尋常でない状況に追い込まれているが、ごくごく普通の女子学生だったのだから。

けれど、びびる一方で目だけは小十郎の様子を窺う。

自分では平気だと言っているが、絶対に平気な筈がない。
あんな怪我を負っていて平気でいられる方がまずおかしいのだから、少しでも苦しげな素振りを見せたら「じっとしていろ」と言ってやるつもりでいた。
怖いけど。
はったりだけを頼りに、命令服従させる意気だけはある。

しかし。

の手を掴んでいない方の手で体を支える所まで観察していたが、そのしっかりした姿に、つい首を傾げる。

顔を伏せてしまう直前までの、あの見ていられない程に虚ろな眼差しは、
未練がある癖に死を受け入れた、あの力ない喋り方は、
先程までの、死の淵に立たされている者の儚さはどこに行ったのだろう。
掴まれている左手に込められている力が妙に強い。

体を起こした小十郎は気怠そうにしている。
本調子では無いのは明らかだが、今の彼の方がの知っている小十郎像により近い。

殺されかけている所を助けてくれた時の、あの勇ましい姿に。


「答えがまだだったな……。女、何故政宗様の事を知っている?何故俺が『片倉小十郎』だと分かった?」


ぱっと手を引き戻す。
小十郎の声が帯びた色を敏感に察知して、反射的にとった行動だ。
引き戻し、包んだ手は今や両方とも彼の血に濡れて手のひらが赤黒い。
おびただしい量の血の色に染まる自分の手も恐ろしかったが、それより何より、

詰問口調の小十郎が怖い。


「答えろ、女。」
「あ、う…えっと……」


ひとえに、迫力負け。
射殺さんばかりの鋭い眼光に威圧される。
そもそも強面なのだから睨もうと思って睨まれれば怖い事この上ない。

蛇に睨まれた蛙というのはこんな気持ちなのだろうか。
このままでいたら喰われる。食物的な意味で。
下手したら先程殺されそうになっていた時より怖い。

ここは逃げるが勝ちか。

ひとまず小十郎に詰め寄られている現在の状況から脱しようと、距離を取る為立ち上がり、


「……………っ?」


目が、眩む。

刹那、は自分の身に何が起こったかも分からないまま、そのまま意識を飛ばした。















 気圧されたのか、怯えたような顔で立ち上がった『娘』。
その体がにわかに自分に向かって倒れてきたのを、小十郎は反射的に受け止める。


「っと………」


軽い振動と共に娘の体が腕の中へと落ちてきた。
思ったより衝撃が少なかったのと、彼女の体をしっかり支えられたのが意外で、何度か目を瞬く。
自分の体さえ支えられなかった先程までとは打って変わり、体の中心にきちんと力が入る。
一体これはどういう事か。

困惑しながら、腕の中でぐったりとして動かない娘の顔を見遣る。

今とは逆の立場、先程まで小十郎の体を抱き留めていた娘は、どうやら気を失ってしまっているらしい。
顔色が紙のように白い。
貧血、だろうか。
極度の緊張というのも気を失った原因かも知れない。
苦しいのか眉を寄せ、かすかに呻き声を漏らしながら、歯ぎしりして魘されている。

何となく、気が抜けた。


「色々と訊きたい事があるんだがな……」


覚えのない、初めて見る顔。
伊達の領地では見かけない変わった格好をした娘。

一目で自分を『片倉小十郎』だと見抜いていた。
その事から、伊達領に潜入した他国の間諜かと疑い、問い質してみたのだが。
戸惑っているばかりで言葉を弄しようとしない反応は、果たして素人故のものなのか、一枚上手の演技なのか。

といって怪しみはする癖に、警戒心が湧いてこないのは、己が身に起きた奇っ怪な現象のせいなのだろう。


「……っ」


ぐっと息が詰まり、咳き込む。
途端、口いっぱいに血の味が広がり、脇に顔を背け血の塊を吐き出した。

胸を撃ち抜いた鉄砲の弾傷、そこから流れ出て体内に溜まった物だ。
地面に辺り散った血の多量さに思わず眉を顰めたが、しかしその咳を最後に息苦しさは完全に治まった。
久しぶりに満足に呼吸が出来るようになり、一つ深呼吸する。
今体に残っているのは極度の疲労感と気怠さだけ。

たったそれだけ。


「お前は……俺に、何をした?」


片手に娘の体を支え、もう片方の手で自分の胸元を触る。
血に濡れて水気を含む布地、弾が抜けていった服の破れ目を指先に感じる。
そのには同じく穴の空いた防具があり、更にその下には、

傷のない、肌。


小十郎の胸の傷は跡形もなく消えていた。















「遅かったじゃねぇか、小十郎」


他の者より遅れて帰陣した小十郎を、待ち兼ねた顔で政宗が出迎えた。
元々は、一時攻めの手を緩めて帰陣せよという号令に従い、本陣へと戻る途中で出くわした事態だった。
予め策に組み込まれていたものであった事もあり、戦が終息してもなかなか帰らない自分にさすがの政宗も懸念を抱いていたようだ。


「只今、戻りました。政宗様」


政宗の顔を見て、ぐっと胸に詰まるものがあるのを感じた。
胸に血の溜まっていた先程と似ているが違う、心震えるような安堵感。
嗚呼、天下獲りの供を果たせない事を、一度は未練に思いながらも生命を諦めたというのに。
こうして生きて戻り、彼の顔を久方ぶりに目に出来た自分は、どうしようもない程の喜びを感じている。

『娘』がのたまった、「『片倉小十郎』のいない政宗の天下獲りなんて認めない」という言葉を思い出し、苦笑する。
諦めた生命を手の中に戻した今となっては、自分もそれに同感だった。
この目で伊達政宗の天下を見なければ死ぬ気にもなれない。

ある程度進んだ所で下馬し、政宗が近づくのを地に足をつけて迎える。
娘の言葉を思い出しての苦笑は、微かにそれと知れる程度の微笑へと姿を変えていた。


「無事で何より…と言ってやりたい所だが、小十郎。その胸の血はどうした」


距離を縮めた政宗の独眼は、当然のように小十郎の胸元の血の跡へと向けられる。
服と鎧には穴が空いたままだから、傷を負っての帰還だと思ったのだろう。
いささか高圧的とも取れる口調の裏に込められた気遣いを感じ取り、安心させる為に首を横に振った。


「これ…ですか。大事はありません。…不思議な事に」
「Ah?」
「私自身、信じられていないのですが……」


視線を手許へと落とす。
困惑の色を見せる政宗も、その動きに従う。


「私は……この娘に、救われたようです」


馬の手綱を引く手とは反対の腕の中に、人の姿。

今だ目を閉じたままのが、そこに収まっていた。
相変わらず紙のように白い顔、顰められた眉、呻く合間に歯ぎしりの音を織り交ぜて。




















ヒロインぶっ倒れました。
ぶっ倒れた理由は、しかし解き明かされる事は無いでしょう。
なったものは仕方ないと割り切るのが彼女です。考えません。
周囲の人の方がヒロインの力に関して詳しくなっていきそうですどうしよう。
それよりも戦国時代に「貧血」という言葉が存在したのか否かの方が悩みの種。一応有ったという事で小十郎に使ってもらってます。

ともかく、これで伊達夢連載への足がかりが掴めた訳ですーいえあー!
てか伊達絡んでねーじゃねーか。ヒロインと。これは小十郎夢か。
それも有りか。

先行き不透明度80%の高水準ですが(?)頑張って迷走邁進していく所存!
ゆっくりまったりと更新していきたいと思いますー。



2007.12.17
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