部屋を去り、十分に距離を取った所で初めて足を止める。
滑るように視線を動かした先には、土の上で頭を下げる一人の男。
龍如得雲 ―起床 独眼竜とその右目―
「あの女の所に常時一人つけて、何か行動を起こしたら逐一俺に報告しろ。良いな?」
庭先に現れ傅いた黒装束の男に短く命じる。
最後に念を押すと、男は小さく頷いて、音もなく姿を消した。
伊達家が抱える忍衆、黒脛巾組である。
男が居た庭先の一角を見つめる政宗の背に、控えていた小十郎が近付く。
「動くでしょうか、あの娘」
「さて、な。尻尾を出すなら良し、出さなかったら……まぁ、それも良し」
小十郎の独りごちるような問いに、振り返る事なく答える。
全てはと名乗る娘を戦場から連れ帰った時から決められていた。
政宗が彼女の顔を初めて見たのは、帰還した小十郎の腕に抱えられ、魘されて歯ぎしりしながら眠っていた時。
素性の知れない人間であった事には間違いない。
その場で起こし、身分を問い質して、危険が無い事を確認し次第解放しても良かったのだが、
それをしなかったのは、ひとえに彼女に対する小十郎の説明に関心を抱いたからだ。
「傷を治した事については白を切られたな」
「本当に分からないのかも知れません。覚えてないのか……そうだとすれば、傷を治した時のあの反応も合点が行きます」
「その辺の判断はそれを見てたお前にしか出来ねぇが……どっちにしろ今は訊けず、って事か」
『この娘が、私の傷を癒しました。』
外した防具を正面に起き、前後両面に空いた穴を見せながら、説明の中で小十郎が告げた内容。
「手当てをした」でも「介抱した」でもない、全く予想しなかった物に、最初は耳を疑った。
鉄砲の弾を喰らったという小十郎。
言う割にはぴんぴんして目の前に座っているものだから、小十郎なりの冗談かと思ったものだ。
しかしこちらを見据える本人は、至って真剣そのもの。
とても信じられない事ではあったが、真実だと訴えかけてくる目を、一笑に付す事など出来はしなかった。
小十郎の律儀さと生真面目さはよく知っている。
そんな目で話しているのに、冗談でなどあるものか。
事の正否は後回しとして、ひとまず小十郎を信じ、話を信じた。
そうして信じてみれば、次に起こってくる物は興味だった。
鉄砲の傷をたちまちにして癒したというその業。
小手先の技でも、神の御業でも、どちらでも構わない。
その話が真実なら、一体どのようなものなのか、どのようにして癒すのか。
娘が目覚めたら、身分よりも戦場真っ直中にいた理由よりもまず真っ先に訊こうと思っていたのに。
「何かしたか」と丸くした目で返されてしまえば、拍子抜けもする。
「忍の技でしょうか」
「何でもアリらしいからな……そういう術があってもおかしくねぇ」
「……政宗様に近付く為、私を助けたという事は」
「 Ah, それもあるかも知れねぇな」
例えば、娘は何処かの国から政宗を亡き者にする為放たれた刺客で、
折良く傷つき目の前で倒れた小十郎を利用せんと、里に伝わる秘術でその命を救い、小十郎を仲介にして政宗に近付くとか。
かなり強引な事になってしまうが、無理矢理にでも娘を間者に仕立てようとするなら出来ない事もないのだ。
小十郎から聞かされた話から推測しても、その線が薄い事はよく分かっていたが、
しかし政宗の命を狙うまでは行かないとしても、他国の諜者であるという可能性は捨てきれない。
娘は自分達の顔を見て、「片倉小十郎」と「伊達政宗」であることを見抜いていた。
独眼という特徴がある自分ならまだしも、小十郎の事まで言い当てた。
何の縁もゆかりもない民であったら、何故疑う事もなくそうだと断言出来たのか。
伊達の領地に忍び込む際に、重臣の人相を前情報として与えられていたのではないか。
その辺りを探る為に、政宗は敢えて自分の懐へと娘を引き入れた。
もし娘が他国の手の者であったら、必ず外部と連絡を取ろうとするだろう。
或いは政宗の首を狙い、夜に寝床を訪ねてくる事も考えられる。
娘が間者か否か見極める為にも、また自分の身を守る為にも、黒脛巾組が一日中目を光らせている自分の居城の方が都合が良い。
政宗が、戦場に留まっている間に得た結論だった。
怪しい動きを見せたら即座に捕らえ、こちらの問いに洗いざらい答えさせる。
監視の目をつけた上で、ただの娘だという判断になったのなら、それはそれで良い。
小十郎を救って貰った礼として城に留まらせ、それとなくこちらの問いに答えさせて行けば良いのだ。
「まぁ、結果が出るのはも少し先だ。気長に待ってやろうぜ」
打つ手は打った、と態度で示して、政宗は小十郎の前を歩き出す。
小十郎も、その後をついて来る。
「……不思議ですな」
「 Ah ?」
ぽつりと呟かれたものの趣旨を受け取り損ね、政宗は後ろを振り返った。
歩き出した足をまた止めて小十郎を窺えば、呟かれた言葉通り、心底不思議そうな顔をしていた。
何が不思議なんだ。
黙って見据えて、言葉の先を促す。
「いえ、待つぐらいならこっちから攻めていくような貴方の口から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったので」
目を細めてうっすら笑みを滲ませる小十郎に面食らわされる。
「らしくない」、或いは「そんな事を言うようになったのですね」と言われているようだった。
否、絶対言われている。
主に後者の方の意味で言っている。
成長した子供を嬉しそうに見つめる親のような顔をしているから。
たかが十の年の差の相手に、そんな顔をされるとは。
政宗は何となく、面白くなかった。
「ハッ、それはな小十郎」
「はい?」
だから、ちょっとした意趣返しを。
変わらない表情で聞き返してくる小十郎にむかい、にやりと笑ってみせる。
「お前が春を育めるように、俺からのちょっとした Present だ」
ちょっと考えてから、さっと変わった小十郎の顔色を見届けて、体を反転。
よく磨かれた廊下を、滑らないように、しかし全速力で走り出す。
「……政宗様!!まだそのような戯れ言を仰るかっ!!!」
小十郎の怒号が轟いた頃には、逃げ出した政宗はもう廊下を曲がり姿を消していた。
政宗と小十郎が出て行って、少しばかり広く感じられるようになった部屋。
とりあえず今日一日は自分に与えられたその部屋で、正座だった姿勢から足を崩したが、一人首を傾げていた。
「…ああいう怪我って一日二日で治るモン……?」
こちらからの、怒濤の質問ラッシュ。
その全てに政宗は答えてくれたが、その回答内容の一つに、どうにも納得がいかなかった。
の目の前で血を流し続けていた、小十郎の胸の傷。
包丁で指を傷つけたとか、そんな程度の低いものではない。
血が完全に止まるのにさえ何日もかかりそうだと、素人目にも分かるような大怪我だった。
それが、ほんの一日見ない間に、出血どころか傷口まで綺麗に跡形もなく治っているなんて、
そんな事があるのだろうか。
「…ここが『戦国BASARA』な戦国時代だからかな……」
ゲームなら、瀕死でステージクリアしても、次の合戦に進んでしまえば体調は万全だ。
勝利条件を満たすまで生き残る事が出来れば、「ここ」では回復が物凄く早いのかも知れない。
傷痕さえも残さない位に。
残ってしまう傷跡は、キャラクターデザインで描き込まれているものだけで。
小十郎は、死んでもおかしくない怪我を負いながらも、あの戦場から帰還したのだろう。
だからこそ今日、の前に、政宗の横にああして元気な姿で現れた。
誰かに助けられたのか、それとも自ら生きて戻ろうとしてくれたのか。
どちらにせよ、自分が寝てしまった後に、生きるのを諦めずにいてくれたから、今日再び会えたのだろう。
少し、ほっとした。
「……何で『戦国BASARA』なんだろ」
片倉小十郎。
伊達政宗。
歴史に名を残す二人の容姿は、某スタイリッシュ英雄アクションゲームのデザインと寸分違わなかった。
今日の日本に正史として伝われる彼らが、あんな格好をしていた筈はない。
とすれば、ゲームのキャラクターデザインと同じ姿形の人物達がいる事の理由付けとしては、
「どうやら自分は、時間軸どころではない何か全く別の物を超えてしまったらしい」という事になるのだろう。
「何か」がどんな物かなど想像もつかないが、そうして「何か」を超えて着いた先が、
自分も知っているゲームの世界観が実在している所だったというのは、果たして不幸か、幸いか。
一人悶々と考えていただが、
「……ま、起きちゃったもんはしょーがないかぁ」
あっけらかんと一言言い放つと、折り畳んでいた足を前へ投げ出した。
浴衣とか、着物の類は斜めに座るのに向いてないな、と考えながら、後ろ手に体重を掛け、仰向いて大きく息を吐く。
「分からないもんは分からないしねぇ」
時間だの何だの、そういったSFチックな知識に精通している訳ではない自分がいくら考えた所で、
明確な答えが出るものではないし、それらしい理由付けを出来るものでもない。
なら、起きてしまったものは起きてしまったものとして受け入れ、柔軟に対応していく余地を作ろう。
その方が、分からない事に頭を使って答えの出ない事に不安になるよりは、ずっと精神衛生上宜しい。
「分からない事はひとまず置いておく」のが、のスタンスだ。
「…そう言えば私、伊達政宗に気に入られてなかった!?」
やだちょっとなにそのときめく展開!!
ひとまず状況を受け入れる事にしたの声は、至極明るい。
ヒロインが寝てる間に一応君主と家臣らしい顔も見せてたんです。
そうそう素直に受け入れませんよ彼らは。受け入れさせてなるものか(これ夢だよね?)
最初から愛されまくってるのも嫌いじゃないけど、世の中そんなに甘くないぜというか。
ちょっとだけ現実主義。いや、最終的には愛されて欲しいですけどっ!!
はっ、これってまさか世に言うツンデレ…!?(んなバカな
戯
2008.2.23
戻ル×目録へ×進ム