Follow the Nightingale
抵抗が失せたのを確かめてから、女の目を覆っていた手を引く。
その下から現れた双眸はしっかりと閉じられていた。
組み敷いていた体を解放しても、先程のように転がり逃げる事もない。
佐助は軽く息を吐きながら立ち上がる。
「とりあえずは一段落、かな」
女に回す注意力が必要なくなった所で、ぐるりと視線を廻らせる。
ここは佐助の主、真田幸村の寝所で、起居するだけの部屋なので然程広くはない。
軽く首を回せば室内を検めるのも容易で、今度もすぐに目当てのものが見つかった。
数歩の距離を行き拾い上げたそれは、女が佐助に対して向けてきた剣。
短筒にも似た柄の刀は見た目の割りに軽く、刀身は薄く刃が鋭い。
「初めて見る拵えだな。何処のものだ?」
寄ってきた幸村が、手元の剣を覗き込みながら言う。
その問いに対しての答えを、佐助は持っていなかった。
これまで東西を問わず各地を訪れてきたが、この剣に似た造りのものは見た事がない。
備前の名のある刀匠でも、恐らくは至難であろうと思われる薄さの刀身。
何の用途か分からない、押し込められそうな突起物が複数ついた柄。
剣だけではない。
初見時、佐助の前から逃亡を図った女が使った、異音を放ちながら空高くへ舞い上がったあの道具。
所持しているあらゆる物が、佐助の知識にはないものばかり。
警戒すべき相手か否か。
それすらも図りかねる状態にあっては、女をこのまま外へ放り出すのも躊躇われる。
ここは不本意ではあるが、先の幸村の言い付けに従う形で傍に置き、様子を窺うのが良いように思われた。
「旦那の疑問も含めて、聴かせてもらいましょうかね」
女の体と剣とを繋ぐ縄状のものを利用して、二振りを片手にまとめ持つ。
空になった片腕で意識のない女の体を引き起こし、そのまま横抱きに抱え上げた。
「それじゃあ夜分にお騒がせしましたー」
「佐助」
「何?」
「…俺は手当てをしろと言ったからな。手荒な事はするなよ」
女を連れて部屋を出て行こうとした背へ、幸村の念を押す言葉がかけられる。
部屋を訪った時の態度を見て心配になったのだろう。
振り返ってみれば窺うような眼差しを向けられていて、佐助は苦笑混じりに肩を竦めた。
「そんな気にしなくたって、旦那の言いつけはちゃんと守るって。
どうしてもって言うなら明日にでも会いに行かせるから、自分の目で無事を確かめればいいんじゃない?」
「う、うむ…そうだな。ならば佐助、その女人の事任せたぞ」
「委細承知!ってね。あ、後で部屋片付けさせるから、悪いけど今日の所は別の部屋で寝てくれる?」
応、と返された声を背に、佐助は部屋を出た。
破壊された戸を、破壊した張本人を抱えたまま潜る。
道なりに廊下を折れれば、背に感じる幸村の視線を壁が遮った。
その瞬間を境に、佐助は顔に貼り付けた笑みを消す。
現すのは忍の顔。
音もなく足早に幸村の寝室から離れながら、腕の中の女を見遣る。
空へ放たれた女は、体勢を崩した様子で幸村の部屋に飛び込んでいった。
不意を突かれたとはいえ取り逃がしてしまった不審な者が、幸村の首を狙う刺客だとしたら。
直ぐ様追い掛けていた佐助は、眼前で起きた事態に引き絞られるような心地で部屋の傍へ降り立った。
結局大事には至らなかったので、素知らぬ振りをして幸村の前に姿を現す事になったのだが。
抱き抱えている腕に感じる体つきは、女の丸みを残しつつ、鍛え抜かれた堅さもあった。
ただの町娘ではあり得ない、この女はくの一か、戦女か。
女自身の事にしろ所持品にしろ、気になる事はある。
だが幸村に釘を刺されてしまった以上、それなりの作法に則った「質問」は保留とせざるを得ないようだ。
ふと見上げた空には、初めに女を見つけた時から僅かに西へ傾いた月がまだ残っていた。
直に西の地平へと没する事だろう。
下弦の夜は月が沈んだ後が長い。
幸村の前へ女を引き出すまでにはまだ時間がある。
「ま、ゆっくり考えましょうか。訊いて素直に答えてくれたら、いいんだけどねぇ…」
目を閉じ佐助に凭れる姿に、起きる様子は見られない。
術を解かない限りは目覚めのきっかけすらも得られず眠り続けるだろう。
目覚めた後、どのような手段を用いて女から話を聞き出すか。
算段を頭の中で調えながら、手当ての為の部屋へ歩を進めた。