【5】
逆光に顔を黒く塗り潰された男の視線が、自分の上を往復するのを、じっと見守る。
と、を抱えるポルナレフは、変わらずソファの上にいた。
この部屋に足を踏み入れた時自分で確かめたように、室内の間取りや家具は玄関から一望できる。
のいるソファもその例外ではなく、普通なら男が部屋を覗いた瞬間には見つかってしまう所なのだが。
男の視線は何度も通り過ぎるだけで、注がれることはない。
まるで目の前にいるに気付いてもいないように。
「私のスタンドは音、姿、気配を消す。今の私達は誰の目にも映らない」
まだ男がそこにいることも気にせず口を開き、目を上げる。
見上げるにつれ視界は紗がかかったようになり、やがて鳥の羽へと変わる。
頭上にあるのは女性の胴体で、鳥の羽はその体の腕に当たる部分から伸びていた。
見下ろしてくる顔の左半面には縦に割った能面を被り、露わになった右側に収まる虹彩の大きい鳥のような目が、笑うように細められる。
「これが」
私のスタンド能力、そう言いかけたのを遮り、
「……『
「……え?」
背後から、ポルナレフの呟く声がして、は目を丸くする。
腕に代わる翼の中に押し包むことで外から見えなくする能力、名を『
まさにポルナレフが口にしたそのままの名だった。
路地で彼の姿を見つけた時もこの能力を使い近付いた。
だが、能力の名前までは口にしていない。
『』の名前と同様、教える前の情報を、ポルナレフは知っていた。
そのことに驚き、振り返ろうとした動きを、腰に回された腕が阻む。
強く抱き締められ、肩口に何かが乗る感触がした。
横目に、器用に立てられた彼の銀髪が見えたので、抱き締められ、密着し、額が乗せられたのだと分かった。
「記憶を失ってても、やっぱりはだ」
絞り出した声が至近距離で耳を打つ。
やや震えているように感じるのは、気のせいだろうか。
顔の見えないポルナレフの何やらただならぬ様子に、何か言わなければならない気がして、は戸惑いつつ言葉を選ぶ。
「……私は、記憶を失くしてなんて……」
「覚えていないならそれでいい。それでも、おれ達、二年前に会ってるんだぜ」
「二年前……?」
反芻するの声は、どうやら聞こえていないらしい。
「本当に、いたんだな……イタリアに」
何かを堪えるように吐き出された、肩にかかる息が熱い。
背中に当たる胸が、回された腕が、熱い。
何のことを言っているのか分からず、未だの胸には戸惑いが渦巻くが、それ以上声をかけるのも躊躇われた。
しばし迷った挙句、は言葉の代わりに、腹部を回り込む腕へそっと触れる。
宥めるように撫でると、微かに嗚咽が聞こえた。
室内を覗いていた男は、中で何が起こっているかも気付かず、疑いを解いて顔を引き抜く。
細長く差し込んだ茜色の光がゆっくりと細くなり、やがてドアが閉まると共に途切れた。
月明かりが煌々と、敷き詰められた石畳を照らす。
ひどく明るい夜だった。
もしこの中を逃げ回ることになっていたら、きっと身を隠すのは難しかっただろう。
細く開けたカーテンの隙間から目だけを覗かせて、外の様子を窺いながらは思う。
夜は深く喧騒も遠く、時折風に乗って聞こえてくるのは酔っ払いの大声とどこかで犬の吠える声。
この辺りは住宅街らしく、多くの者は日が上るまでの間休息を得る。
そこを活動的に行き交う者がいたとしたら、『組織』の息のかかった人間と見てほぼ間違いはないだろう。
幸いにも、この辺りにはまだ捜索の手が及んでいないらしく、家の前をうろつくその手の輩もおらず、は束の間安堵する。
先程のように足音が聞こえない限りは、そこまで気を張らずとも良さそうだ。
細く差し込む月の青い光を、カーテンをぴったりと閉じて遮断し、は暗い室内を振り返った。
闇に大分目が慣れて来ていたが、そもそもの光源自体が少なすぎる為ほぼ何も見えない。
その中で唯一、ぼんやりと白く浮くものがある。
出来るだけ物音を立てないように、手探りでそこまで歩く。
白いシーツを敷いたシングルベッドだった。
そこにはポルナレフが身を横たえ、先に眠っている。
ベッドの縁に腰を下ろすと、僅かに身が沈む感覚と共にスプリングがぎしりと軋み、は思わず息を潜めた。
ポルナレフを起こしはしなかったかと耳をそばだてて、聞こえる寝息の規則正しさにほっと気を緩める。
能力を使い、人の目をやり過ごした後。
どうにもポルナレフの情緒が不安定だったので、落ち着くまで好きなようにさせておくと、いつの間にか彼は眠りに落ちていた。
これまでどういう生活を送ってきたものか、その眠りは深く、が声をかけても揺り動かしても、目覚める気配は今の所ない。
「気持ちよさそうに寝ちゃって」
吐息に声を溶かし、ポルナレフへ手を伸ばす。
彼は髪も肌の色も白いので、闇の中でも位置が分かった。
柔らかな銀髪へ触れ、その感触を楽しむように弄ぶ。
「……私はまだ、もやもやしてるんだけど?」
はポルナレフとは初対面だった。
なのに彼は、自分とは二年前に会ったという。
認識の相違。
そのせいでが得た混乱は、未だ解決していない。
納得できようができまいが、これを晴らすにはポルナレフに話を聞くしかないのだが、
その為に作った時間を全て眠りに奪われてしまった形になる。
しかし、無理矢理起こす気には何故かなれなかった。
まだ夕日の名残が部屋を照らしていた頃。
寝顔の安らかさを目にしてしまった時に、そんな思いは霧消してしまった。
は彼に銃を向けた。
敵意を向けた。
怒りを向けた。
その上で見せた、眠りという無警戒に、毒気を抜かれたような心地がした。
元々は『知り過ぎた者』として、生死不問で追われていた男。
『任務』の名のもとに諾々と指示に従い動いていたが、そもそも彼は何故『組織』について知ろうとしたのか。
髪を弄っていた手を止め、ポルナレフから離れる。
「……起きたら話、ちゃんと聞かせてよ」
聞こえている筈のないポルナレフに念を押して、は再び物音を立てないように移動する。
ベッドのヘッドボードに背中を預けて座り、聴覚に意識を集中するべく目を閉じる。
一日に満たない時間を共に行動しただけで、絆されつつあるのが分かる。
少なからぬ興味を抱き、してやる義理もない周囲への警戒を、こうして進んで行っているのが良い証拠だ。
全てが解決した時、自分はこんな状態で、彼を『組織』へ引き渡せるのだろうか。
自問に対して即答できる答えは、現時点での中にはなかった。
This Silence Is Mine.2へ続く。