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【6】





 男は崖の際に立ち、下を覗き込む。
静かに寄せる波に洗われる岸壁。
そのそばに顔を出す岩礁には、先に打ち捨てた体がぐったりと横たわっていた。

己の正体に辿り着いた、この世に存在してはならない男。
ジャン=ピエール・ポルナレフ。

顔と腹を裂かれ手足を失った体では、たとえ息があったとしても長くは保つまい。
波に洗われる内に命も流れ出る。
いずれ潮が満ち、亡骸は海へと還っていくだろう。

「女は……先に流されたか」

もうひとり崖下に投げ込んだはずの姿が見えないことに対し、男はそう判断する。

勇敢だが非力な女。
ポルナレフを始末した直後に飛び出してきて蹴りを放ってきたのには驚かされたが、この体に届かせるには絶望的なまでに力が足りなかった。

この高さから落ちたのだ。
助かる見込みは薄い。
しかし死体を確認できない以上、女を捜索する必要はあるだろう。

男の方は始末した。
あとは女の死体、或いは死んだことを裏付ける何かが見つかれば、それで此度の件は片付く。
自分の正体を知る者はいなくなる。

踵を返し、街路へ戻る。
一部始終を見ていた者がもうひとりいたことに、男は気付かなかった。





 ドゥイリオは石柱を背に座り込み、握り合わせた手に額を当て項垂れていた。

絶え間なく続く波の音が、余計な思考を洗い流していく。
波の音に意識を向けていなければ、乱れた思考が溢れ叫び出しそうになるのを堪えられなかった。

ひたすらに目を閉じて俯き、深呼吸を繰り返す内、頬を撫でるような風を感じた。

「……おかえり。ご苦労さん、『トリックスター』」

傍らに佇むものを見上げる。

ヤギの脚を持ち、人の形をしたそれは、ドゥイリオのスタンド。
『トリックスター』、そう呼んでいた。

声に応えるようにスタンドの姿が掻き消える。
それを見届けてから、ドゥイリオは大きく息を吐き、石柱へ頭を預けた。

雲のかかる鈍色の空を仰ぎ、胸の内を占めるのはひとりの女の姿。
この手を振り払い、勝てる見込みもない相手に立ち向かっていった、非力だが勇敢な女。

一瞬で崖下へ投げ捨てられてしまった彼女の体が海に落ち、波に攫われる直前。
ドゥイリオはノヴムに対して自身のスタンドを飛ばし、その能力を行使した。

新は海に落ちた。
だが死んではいない。
しかし何処にいるかも分からない。

能力を行使した対象を、自分があずかり知らない何処かへ消し飛ばす。
『トリックスター』とはそういうスタンドだった。

「俺に出来るのはここまでだ」

ドゥイリオはひとり、力なく笑う。
何とかすると啖呵を切っておいて、結局は彼女を放り出してしまった自分が情けなかった。

「うまくやれよ……ノヴム」

ここから先はドゥイリオには手出しできない領分となる。
それこそ運命や神の意志といったもので表されるものに、ノヴムは立ち向かっていかなければならないのだ。

立ち上がり、遥か水平線を眺める。
ドゥイリオにとってもこれからが正念場となる。

パッショーネ幹部の養女が、ポルナレフと行動を共にし、姿を消した。
始まりは成り行きで巻き込まれただけのものでも、事実のただ一点のみを強調して、
リビトゥムの家を幹部の座から蹴落とそうとする輩は必ず現れる。
今後はそれらとの戦いが待っているのだ。

いなくなった人間を思うのに割く時間はない。
外敵に意識を向けることで、ドゥイリオはノヴムを想う自分の心に蓋をする。

その場を立ち去ろうとして、ふと足を止める。
暗い色をした海上に、雲間から一条の光が差し込んでいた。

「……君を愛していた」

たまたま目に留まって眺める内に、蓋をした心から小さな想いが転がり出る。
その言葉を聞く相手はいない。
もう誰にも告げることのない愛を、たった一言、潮騒響く海へ放つ。

ドゥイリオはその後、二度とその想いを口にすることはなかった。










 そこには何も無かった。
何も無いようであった。

目の筋肉が収縮する感覚で、辛うじて目を開けた事が分かる。
全てを吸い込むような闇がどこまでも広がっていて、開けた筈の目には闇の黒以外何も映らない。

体さえもこの闇に溶け消えてしまうのではないか。
そんな不安に駆られ、僅かに身を捩らせると、右半身に固い感触があった。
石畳の床が何かだろうか。
硬質に反発する感覚に、自分がどこかに横たわっている事を知る。

平衡感覚が取り戻されると、今度は何かがぴったりと体に張り付く感触に気付いた。
着ていた服がたっぷりと水気を含み、体に重たく張り付いている。
頭から足の先まで、何故かずぶ濡れで横たわっていたらしかった。

全身を覆う不快感に、闇に溶けるように朧になっていた体の輪郭が、人の形に収束される。
ようやく一人の人として形を成した気分だった。

投げ出していた腕に力を込めて起き上がると、酷い倦怠感に襲われる。
頭を上げ、その場に座り込むだけで、体力を使い果たしてしまったように体が重い。
ふらふらと揺れる頭を押さえ、不快感を逃がそうと深く息を吐いた時。


かつん、と靴音が鳴った。


呼気にかぶるようにして生じたその音は、僅かに残響して闇へと溶けていく。
否、正確には、既にそこは闇ではなかった。
僅かな音さえも響く、この場所はどれ程広いのだろうかと見上げた目に、天井の高さが捉えられている。

天井がある。
壁がある。
少なくとも屋内である事は間違いなさそうだった。
それ以上、ここが何処であるのかは分からないが。

再び鳴った靴音に、のろのろと首を傾ける。

一隅に、上階へと続く階段があった。
そこを、か細い燭台の灯を手にした人影がゆったりとした足取りで降りてくる。
燭台はその人物の横顔を照らすも、距離がある為か人相までは明らかにしてくれない。
ただ、薄明かりに浮かぶ体躯から、男であろう事は見当がついた。

橙色の灯明を受け、男の髪はなお鮮やかな黄金色に輝いている。

「これはこれは……雨にでも降られたようにびしょ濡れじゃあないか」

変わらぬ足取りのまま驚いたように発された声は、それでも柔らかく耳を打つ。
鼓膜を震わすそれの、なんと甘やかで優雅な響きを持つ事か。
男の発したただ一言が、意識の全てを攫っていき、搦め取られたようにその姿から目を離せなくなる。

やがて男が正面に立ち足を止めた。

「客を招いた覚えはないが……何か事情があるようだ。良ければわたしに聞かせてはくれないか。力になれることがあるかも知れない」

少し手を伸ばせば触れられる程の近さに立ち、初めて明らかとなった蠱惑的な双眸に惹きつけられる。

不躾なまでの視線をどう感じているものか、男は微笑を浮かべ、誘いざなうように燭台を持っていない方の手を差し伸べた。

声と、目と、或いは存在自体に。
搦め取られて動けなかった筈の体が、男の導くままに手を伸ばす。

目覚めてからこの方、声の出し方を忘れていた声帯が、男の求めに応じて震える。

「……助けて」

幽かな、言葉。
それは自分の聴覚を僅かに揺らし、忽ちの内に空間を支配する静寂に溶けて消えた。




















「トリックスター」
神や自然界の秩序を破り、物語を引っ掻き回すいたずら者。(wiki先生より)
ヴァニラや億泰と同様、ドゥイリオ自身は消した相手がどこへ行ったのか把握してない。
話を連載冒頭に持って行けたのでこれ以降ドゥイリオが登場することはもうありませんが、
対象を過去(年代はランダム)へ飛ばし、D4Cのように過去の自分と鉢合わせ消滅するか
その時代で最も「邪悪」なものの所で命を落とさせる、みたいなことを考えていました。
結果的にいい方向に転がったよねっていう。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。



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