「……さよなら、って……」
守ると言ったその口が、まさか別れの言葉を告げるとは。
反論も疑問を投げかけることも出来ずただ戸惑うへ、ポルナレフは穏やかな声で続ける。
「君が無事でいることが分かった、それだけで十分だ。ここから先はおれひとりで行く」
「そんな、勝手に……!」
決めないでくれ、と続ける口に指が触れ、遮られる。
抑えられ、咄嗟に口を噤んだを見て、ポルナレフはまた笑った。
「そうだな、勝手だな。最後まで君のそばで守れってやれないおれを許してくれ」
柔らかな唇を一度撫でて、指が離れていく。
その手はそのまま腰のポーチへ伸ばされ、中から何かを引き出した。
「ほとぼりが冷めた頃に……から承太郎に連絡してくれないか。が知りたい色んなことを、おれの代わりに教えてくれるだろう」
指の間に挟んだものを手の中に押し付けられ、反射的に受け取ってしまってから、それが小さなメモであることを知る。
ハイフンで繋がれた数字の羅列が書かれた小さなメモ。
恐らくは電話番号だ。
それも話の流れから汲み取れば、承太郎という人物に繋がる。
今このタイミングで渡してきた、その意味を考えて。
恐怖とは異なる、嫌な予感がした。
「君と会えてよかった」
重ねられた手が、にわかにの手を掴んだ。
その力は強く、痛みに悲鳴を上げるのに構わず、ポルナレフは掴んだ手ごとの体を突き飛ばす。
膝立ちの不安定な体勢だったせいで咄嗟にバランスが取れず、は地面へ倒れ込んだ。
「!」
すぐに駆け寄ってきたドゥイリオに助け起こされながら、はポルナレフの姿を探す。
腹の傷を庇いながら立ち上がり、石柱の陰を出ようとこちらに背を向けたところだった。
「待って!」
ドゥイリオの腕の中、思わず身を乗り出して叫ぶ。
守ると言って離れていく、彼の考えが分からなかった。
先程から――元を正せば昨日ポルナレフと会った時から。
訳の分からないことばかり起きて頭がパンクしそうだ。
追い詰められた精神状態にあって、誰かに当たらずにはいられなかったのも、つい攻撃的な口調になってしまった原因だろう。
「そんな怪我をして何故行こうとするの!?」
の言葉を背中で受け止め、ポルナレフは足を止める。
俯き、空を仰ぎ、それから振り向き。
「君達の未来を、恐怖から守る為だ」
慈しむ様な眼差しで、どこか寂しげに笑い、そう答えた。
が息を呑む。
その間に、ポルナレフは石柱の向こうへと消えた。
姿が見えなくなった途端、は異様なまでの不安と焦燥に襲われた。
ボスが待ち構えている先へ、ポルナレフは傷ついた身を晒しにいった。
彼の言葉を借りて言うならば、の未来を守るために、自ら囮になったことになる。
咄嗟に立ち上がった体を、ドゥイリオの手が引き止める。
「馬鹿、お前が行って何になるッ!」
焦った声で肩を掴まれ振り向かされ、切羽詰まった表情のドゥイリオが額を突き合わせる距離でひたと目を合わせてくる。
「お前は生きたいんだろ!?あいつはそれが分かっていたからひとりで出て行ったんだ、それなのにのこのこついていくやつがあるかッ!」
生きたい。
根底にある部分を、ドゥイリオは的確に突いてきて、は体を震わせる。
生きるために、パッショーネに身を置くことを受け入れた。
生きるために戦い方を覚えた。
生きるためにパッショーネにとっての大罪人と手を組み。
かつて殺した『』の生を、再びこの手に戻されたのだ。
「別にあいつに頼まれたからという訳じゃあないが、お前のことはおれが守る。
組織を相手にしてそれがどんなに難しいことでも、絶対に守ってみせる。
だからこのまま大人しくしてろ!死にたくなければ……生きたければ!ここを上手くやり過ごすんだ!」
ドゥイリオの眼差しが、の心に沁みる。
自分のためにここまで必死になってくれる人と出会えたことは、パッショーネで『』として生きた五年間の最大の幸福だろう。
「ありがとう、ドゥイリオ」
自然と感謝の言葉がまろび出た。
そっと笑いかけると、心配を色濃く浮かべた目が揺れる。
「そうね。貴方が言うなら、たとえ何があっても、きっと守り切ってくれるんだわ」
肩を掴む手に触れる。
ポルナレフよりもやや骨ばった手は、少し前のと同じように、指先が冷えていた。
冷えていると分かるということは、自分の手が温かいということ。
緊張も不安もない、穏やかな心であるということだ。
「でも……ごめんなさい。私はもう組織には戻らない」
「……!」
「そう。戻って生きていけるのは、『』なの」
ドゥイリオの手を包み、肩から下ろす。
彼の心遣いは本当に嬉しかったが、受け取ることは出来なかった。
彼との五年間を天秤にかけた、自分の心は。
「今の私は、『』として生きたい。与えられるのがほんの少しの時間しかなくても、私は――」
『』として過ごした、ポルナレフとの一日に満たない時間を選んだのだ。
その時、ポルナレフの烈声が聞こえた。
ドゥイリオに向いていた意識がその声に引き寄せられ、――は、素早く声のした方を振り返る。
石柱に視野を半分ほど遮られたところにポルナレフがいる。
自らのスタンド……『銀の戦車』を発現し、石柱に遮られた方向にいる誰かへけしかけるところだった。
チャリオッツが振るう剣は早く、人の身で到底かわせるものとは思えなかったが。
ほんの瞬きの内。
の見ている前で、ポルナレフの背後にひとりの男が現れた。
誰だあれは、と思う間もない。
男は既に発現させていた人型のもの……スタンドを、チャリオッツの背後に回り込ませ。
ポルナレフが振り返るのを待たず、チャリオッツの顔を引き裂いた。
スタンドの負傷にともなって、ポルナレフの顔がひとりでに裂けていく。
男はポルナレフに顔を寄せ、何かを話すような動きをして見せる。
そして無抵抗のポルナレフへスタンドの拳を打ち込み、崖下へ投げ捨てたのだった。
「ッ……!」
ひゅ、と喉が鳴った時には、は既に石柱の陰から躍りだしていた。
ドゥイリオの制止の声を背後に置き去りに、崖下へ落としたポルナレフを見下ろす男めがけ一直線に駆け寄せて。
振り返った顔へ突きこんだ蹴りは、まるで読んでいたかのような動作であっけなくも捕えられてしまう。
宙に固定された一瞬、猛禽のような眼差しに出会う。
これが、この男が、自分達パッショーネの頂点に立つ者。
掴まれた足がみしりと軋んだ。
そのままへし折らんばかりに強く力を加えられ、は顔を歪ませつつ、痛みに耐えて大腿のホルスターから銃を引き抜く。
一息の間に銃口を定める。
不安定な体勢ではあったが、照準の向こうに男の顔がぴたりと見えた瞬間、突如として視界が大きくぶれる。
体が風を切る感覚、回転するような浮遊感。
掴まれていた足の痛みが消える。
引き金を引くより早く、男はの体を崖に向かって放り投げたのだ。
頭上に海が見えた。
天地が逆になった視界の中、それでもなお体を捻り、悪あがきのように引き金を引く。
乾いた破裂音が男を捉えたかどうかは分からなかった。
目視するより早く、男の姿は岸壁の向こうに消えてしまったからだ。
届かなかった歯痒さと、一瞬でもボスに敵意を向けた恐怖。
押し寄せるそれらの感情に叫びだしたくなるのを押さえて、は海面を見据える。
間もなくこの体を襲う衝撃に備えて、体勢を整えるべく落下地点を確認しようとしてのものだったが。
その視界に、見つけてしまった。
岸壁の裾を濡らす波に洗われる、海面より僅かに顔を出した岩礁。
そこに横たわるぼろぼろの体を。
流れ出した血が海と岩肌を赤く染める。
ぴくりとも動かない無残な姿が、衝撃を伴っての脳裏に焼き付き。
「ジャンッ……!」
振り絞り、引き裂くような叫びが喉を突いて出た。
必死に手を伸ばすも、落下地点はポルナレフのいる岩礁から遠く、指先は空を掻くばかり。
体勢を整えることも忘れたへ、見る間に海面が迫り。
叩き付けられる衝撃と、水が体を包み口の中へ入ってくる感覚を最後に、の意識は途絶えた。
「君達の未来を恐怖から守る為」
連載一話目の冒頭、モノローグ。「」の中に幾つかスペース入ってたの覚えてますか。
あれと字数が一緒です。
その前後の表現も全てが一緒という訳にはいきませんでしたが、似たような表現を使っています。
戯
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