「どわっ!?」
慌てたような短い叫び声を耳のすぐ近くで聞く。
背中が地面にぶつかる衝撃と共に、ポルナレフの体が倒れ込んできた。
そうなるように仕向けたので、そのまま男一人の体重を受け止める覚悟も出来ていたが、
戦闘技術に長けているだけあって不意を突く動作にもポルナレフの反応は早い。
即座に手をついて体を支え、寸でのところでを押し潰すのを堪えた。
刹那、ポルナレフの頭上を乾いた破裂音が走り抜ける。
「な……なんだ!?」
不自然に胴を浮かせた姿勢のまま驚愕するポルナレフの下から素早く抜け出す。
体を起こし、未だ体勢の整わないポルナレフを背中に庇うと、睨み付けるようにして鋭く叫んだ。
「ドゥイリオ!」
短く刈り込んだ黒髪に、細身の長身。
見間違えるはずもない。
港で背を向け置いてきたドゥイリオが、今再びの前に姿を現していた。
硝煙立ち上る銃口を向けたまま、ドゥイリオは静かに笑いかける。
「無事で何よりだ、」
肩が跳ねる。
と、その名を他人に呼ばれるのが随分と久し振りに感じた。
彼と別れたのは昨日なので実際には一日足らず呼ばれていないだけなのだが、
その間共にいたポルナレフがずっと「」と呼ぶものだから、心が五年前の自分に戻っていたのかも知れない。
「よく頑張ったな、もう大丈夫だ。後は俺が何とかする。、こっちに来るんだ」
「ドゥイリオ……」
銃を握らない方の手を差し伸べて、ドゥイリオは繰り返し名を呼ぶ。
まるで離れかけた心を見透かしたように、焦る本心を押し隠して自分の方へ引き戻そうとするように。
は困惑の思いで差し出された手を見つめる。
「何とかする」とドゥイリオは言う。
その言葉を信じたいが、いかに彼が有能な人物だとしても、組織はそれを許してくれない。
仮に素知らぬ顔をして、パッショーネ幹部の娘という立場に戻れたとしても、「粛清」の影はつきまとう。
それは事故や災害に巻き込まれるよりも身近にあり続け、の精神を苛むだろう。
込み上げる喜びのまま、差し出された手を取れればどんなにいいか。
喜びの裏には懸念があり、それがに二の足を踏ませる。
それに、まだポルナレフに話を聞けていない。
危険だと分かっていて組織を調べ始めた理由。
二年前に会ったという『』のことや、『』を心配していたという『ジョースター』や『承太郎』なる人物について。
時折に向ける、どこか切なくも感じる表情の意味も。
何も、何も聞けていない。
ドゥイリオの手をここで取るということは、それらを聞く機会を手放すことでもある。
それはある意味、「粛清」の恐怖よりもの心を強く躊躇わせた。
どうすべきか。
迷う心が、背にしたポルナレフを振り返らせる。
「……え?」
そして見たものに、は言葉を失った。
がドゥイリオと対峙している間に体を起こし、体勢を立て直したポルナレフ。
その肩から、腹から。
いつの間にか、血を流していたのだ。
「ぐッ……」
苦悶の呻きを上げ、蹲るように体を折るポルナレフを見ては我に返る。
「どうしたの!?何で!?」
慌てて手を貸し体を支える。
肩に小さな穴が開いていた。
肉を穿つ傷口の様子から、恐らくは銃創。
弾が出て行った痕はない。
状況だけ見るなら、この瞬間この場で唯一銃を構えているドゥイリオがポルナレフを撃ったと考えるのが妥当だが、しかし。
は戸惑いながらドゥイリオを振り返る。
彼がポルナレフを撃った。
そう断じてしまうには、少しだけ奇妙なことがあった。
「ドゥイリオ……貴方、いつ撃ったの?」
ポルナレフを撃った銃声が聞こえなかったのだ。
正確には一発分しか聞いていない。
ポルナレフを庇った時の一度だけで、それ以降はドゥイリオを牽制しつつ対峙していたので、
銃口を向けられはしていたものの引き金は引かれていないはずなのだ。
だというのに、ポルナレフは傷ついた。
二発の弾を受けた。
一体ポルナレフは、いつの間に肩と腹を撃ち抜かれたのか。
「……分からない」
ドゥイリオは呆然として呟いた。
「分からない?」
「確かに撃ったんだ、その感覚は手に残ってる。だがいつ撃ったのかが分からないんだ。
気付いたら『撃った』という実感だけがある。何だ、この感覚は……」
自身の手と銃とを見比べて困惑を浮かべている。
本当に自分がいつ引き金を引いたのか分からないようだ。
ドゥイリオのその反応に、はなおさら混乱してしまう。
自分でも気付かず、他人にも気付かれず、銃声もなく発砲する。
果たしてそんなことが可能なのか。
「これは、どうやら……まずいことになったみたいだな」
乱れる呼吸を堪えるポルナレフの声が届く。
「まずいって?どういうこと?」
いくら考えても解に辿り着かず、呆然とドゥイリオを見るしかなかったに対して、ポルナレフは苦痛に苛まれつつも何かに気付いたらしい。
ぱっと振り返り、つい急き込むように尋ねてしまった。
覗き込んだ顔色が、元々の肌の白さに輪をかけて白くなっている。
額に汗を滲ませながら、ポルナレフは何度か深呼吸をして、
「ボスのお出ましだ」
短く、それだけを口にする。
ボス。
たった二文字の単語。
彼が口にするその言葉が意味するものとは、ただひとつしかあり得ない。
自身の正体を突き止めたポルナレフを追って、ボス自らがここまでやって来たというのか。
理解すると同時、ぞっと総毛立つ。
忍び寄ってきていた「粛清」という死の恐怖が、今まさに背後に立ったことを知った。
ポルナレフに添えていた手が小さく震える。
その感覚に気付いてか、俯いていた顔が持ち上げられた。
覗き込むようにしていたために、至近距離で青の瞳と視線がかち合い、鮮やかな色の中に自分の顔が映るのを見る。
恐怖に見開かれた目、引き結ばれた唇。
ひどい顔だと、頭の中のどこか冷静な部分が、自分の顔をそう評する。
「そんな不安そうな顔をするな……」
青の目が細められると、映り込んだ自分の姿が欠ける。
そこでようやく、内に向かっていたの意識がポルナレフを捉えた。
震える手に手を重ねられる。
「大丈夫だ。守るって言ったろ?」
動くのは辛いだろう。
息をするだけで痛みがはしるはずだ。
それでもポルナレフは、包み込むようにの指先を握り、笑った。
「おい、そこのアンタ。ドゥイリオっつったか」
視線を映して、ポルナレフがドゥイリオを呼ぶ。
自分の手と銃に視線を落としていたドゥイリオは、呼びかけられて顔を上げ、
「何だ」
睨み付けるようにして応じる。
その眼差しに動じた様子もなく、ポルナレフは言葉を続ける。
「後は何とかすると言ったな」
「それがどうした」
「……本当に、何とかしてくれるんだな。を守ってくれるんだな?」
、と反芻するドゥイリオの表情が曇る。
彼にとっては『』の名は馴染みのないものだ。
それが何を指すのかすぐには分からなかったようだが、の家に迎えられる前にその名を名乗っていたことを思い出したようで、
「……ああ。は俺が守る」
僅かの内に合点して決然と返した。
二人の会話を、は黙って見守っていた。
自分のことを話しているが、そこに口を挟むのが憚られるような雰囲気が、彼らの間にあるのを感じた。
ポルナレフはドゥイリオの返事を聞き、小さく頷く。
何事か考えた後、少しして傍らのへ向き直り、
「……、ここでさよならだ」
おもむろに、別れを切り出したのだった。