佐和山の狐










 救いたいのに救えない。
己ではどうにも出来ない事態に、ついには顔を覆った。
抑えているつもりだろうが、漏れる嗚咽が三成の耳を打ち続ける。
泣いた所で状況が変わるものではなく、ただただ感じる煩わしさに眉を顰めた。

項を晒し咽ぶを見ていた眼差しを、白狐へと向ける。
この獣はどのような指示をに与え、三成をここへ連れてきたのか。

人でありながら「狐」と称される己に、勝手な親近感を覚えたか。

どこで耳にしたものか知らないが、過度の期待を抱くにも程がある。
内政や、戦であげる首級の数ならばともかく、獣を救う手立てなど知りうる筈がないではないか。
そこまで考えた時、不意に三成の脳裏を、ある推測が過ぎった。

「…貴様…」

荒く浅く呼吸を繰り返す白狐を凝視する。
何も出来ないと思っていた己が、白狐にしてやれる事が一つだけあると気付いたのだ。
三成を名指しして呼び寄せたのは、この場でそれしかしてやれない事を見越していたのではないか。
そうであれば、白狐はそれこそを望んでいるという事になる。

だが、それで良いのか。
過ぎった推測が正しいのか。
白狐の意志を見定めるように、なおも注視する。

虚ろに開かれていた琥珀色の双眸が、三成をひたと捉えた。
傷を探られる苦痛にも失われる事のない理知が、言葉もないまま語りかけてくるように思えて。

この時に三成は、幾つかの事柄を理解した。
音にならぬ思いを託された気がして、気付けば獣の意志というものに懐疑的だった事も忘れ、白狐に向かって小さく頷いていた。

「…佐和山様?」

涙に濡れた顔が上がる。
の怪訝な眼差しを受けたまま、三成は己が刀を抜き出していた。

「これもある意味、救いの形というのだろう」

わざわざ口にしたのは、恐らく何も知らないであろうへの告知だ。
さして遠くもない白狐との距離を詰めると、不穏な気配を察知したが白狐の前へ身を乗り出した。

「何をなさるおつもりですか」
「弾を除く手段がない。このまま長らく苦しんで死ぬよりは、今ここで絶つのも救いだ」
「…母を…殺すのですか?」

その問いに答えない事が、何よりも雄弁な肯定となる。

三成の出した答えが、己の意に染まぬものだと理解したは、瞠目した後、大きく手を広げて進路を阻んできた。
それを退けようと、膝立ちになるの肩へ手を掛け押しやろうとする。

「佐和山様は母を救って下さるのでしょう!?何故斬ろうとなさるのですか!」
「それがこの獣の意志だからだ」
「嘘です!母上はそんな事言っていない!そんな救いがあっていい訳がない!!」

どこからそんな力が出るものか、三成の渾身の力にもは頑として動かない。
込められる力が強くなるのに比例して、互いの語気も荒くなる。

「鉛を身の内に抱えたまま長らえる事こそが獣にとって地獄だと分からないのか!そこを退け!!」
「嫌です!!」

悲鳴のような拒絶の言葉が上がった刹那、白狐が不意に吠えた。
空気が抜けるだけの力のないものであったが、確かに鳴いた。
それに反応したが背にした白狐を振り返り、抵抗する力が一瞬弱まる。
その機を逃さず瞬発的に力を込めると、それまでの拮抗が嘘のように、の体が横薙ぎに倒れ込んだ。

開いた道を進み、白狐の前に立つ。
相も変わらず、琥珀色の瞳が三成を見つめていた。

「貴様の意志、確かに承った」

首筋にひたりと刀を当てる。
身動ぎ一つしない所からも、三成の理解に間違いがない事を確信した。

「…後の事は任せろ」

それは、はなむけの言葉となり得ただろうか。
白狐の目が一度細められ、ふいと外される。
最後に双眸が映しているのは、己の娘の姿か。
今から駆け寄せても到底間に合わない位置で、が叫ぶ。

耳を打つその声にも動じず、三成は刀を振り抜いた。





 階を下りきった先、本殿から一番離れた鳥居の下に立っていた。
山に足を踏み入れた時には既に、日は高く昇っていた。
今見上げる空は、未だに青さを失っていない。
体感時間としては、とうに暮れかかっていてもおかしくないと思っていたのだが。
山道が感覚を狂わせたが、それとも異質であるこの場の時の流れ自体が歪んでいるのか。
山の向こうにでもいるのか、太陽の位置を確認できない現状、その疑問に答えは出せない。

空の明るさに細めた目を、三成は背後の階へと向けた。
その奥、本殿には、が一人残っている。

三成の刀一振りで、首と胴に分かたれた白狐の体。
逃げも暴れもせず、一声も鳴かず、白狐は首を刎ねられた。

広がる血溜まり、そうなるまでの一部始終を間近で見たは、凝然と身を強張らせ、忘我していた。

我を取り戻した時、はどう行動を起こすのか。
から『母』を『救った』張本人である三成は、その全てを受け入れるつもりでいた。
骸に取り縋り泣きもするだろう。
三成に憎悪を向け掴みかかってきたとしても、それは母を奪われたの権利だ。

血脂を払い、刀を納める間も向けていた視線の先で、ふとの体の強張りが解ける。
視線を白狐に釘付けたままのが次に発するものを、三成は待った。

『…少しの間…一人にさせていただけますか』

思いの外、静かな声音であった。
予想の内になかった静かな反応に、三成は僅かに眉を上げる。
言葉の意味を量りかねていると、緩慢な動作ながらが動き出す。

腰が抜けでもしたか、這うように移動し、飛ばされた白狐の首を拾い上げる。
白い毛並みを赤く汚した首を抱え、そっと頬を寄せて、

『少し…母と話がしたいのです』

表情も乏しく呟いた様子に、物狂いとなったと思った。

白狐の死を受け入れたくないが故に、己を閉ざす。
無惨に死に別れる事の多い昨今、さして珍しくはない変化だ。

しとどに濡れる袖や肌を意に介する様子もなく、白狐の首を撫で続ける
その姿を、目を閉じる事で視界から追い出した。

『外にいる。しばらくしたら戻る』

言い置いて本殿を出てから、どの位時が経ったか。
戻る時を計る為にも、今の時刻を知っておきたかったのだが。

三成はもう一度空を仰ぐ。
「母を救う」という依頼を達成した今、だらだらとここに残っているのは本意ではない。
ここに来る前に綺麗に片付けておいた仕事も、こうしている内に着々と溜まっていくのだ。
一刻も早く佐和山へ戻り仕事を斬滅してやりたい。
ぎりぎりとした思いを抱えてながらも、それでもここを離れる訳には行かなかった。

依頼を終えた事によって、今度は別の案件が生じてしまったのだ。
今や物狂いとなったに関係するものであり、それを済ませるまでは、三成はここに足止めされる。

流石にもう良かろう。
忍耐に忍耐を重ねた時を越え、三成は自身に許可を出した。
何をするにしても、十分な時は与えた筈だ。
の為に待ってやったのだから、今度はこちらの為に時を使わせて貰おう。

そう結論づけて階を振り返ったのと、妙な音が耳に届いたのは同じくらいだっただろうか。

ぱちり、ぱちりと、乾いた木を割るような音。
何の音かと不審に思い顔を上げた先で、一筋の黒煙が上がっていた。
最初は細かった煙の筋が、見ている間にどんどんと太く多くなっていく。

それが火の手によるものだと認識出来た刹那、三成は階を飛ぶように駆け上がっていた。

「早まった真似を…!」

思い至るのが遅すぎた。
時を置いて冷静になった時、は何を考えるだろう。
あれ程大事に思っていた白狐を失い、思い余って自死を選んだとしたら。

そうなってしまったのなら、一人にしてしまった三成の落ち度だった。
あれには生きていてもらわねばならないのに。
生きていてくれなければ、三成の用は果たせない。

先程までの、佐和山の城を思っての焦燥とは別種のものに急き立てられ、全速力で石段を蹴り上がる。












2013.12.9
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