龍如得雲  ―宝器 巻き込まれ事件―










 吹き飛び、倒れ伏した体に力は入らない。
辺りに立ち込める噴煙を透かすように、最早虫の息のその男をじっと見下ろす。

「他の誰でもない…テメェに、だけは…」

何事か曰ったが、全てを言い終わる頃には男への興味も失せていた。
他方へと目を向けると、そこにも地に崩れた者の姿が。

彼は死の間際に、己が主に誇りを捨てろと曰った。
彼の主はここにはいない。
届く筈のない注進には、どれ程の意味があるだろうか。

「氷の悟りに猿の視界…哀れましいことだ」

この世には価値なきモノが多すぎる。
そう独りごちる頃には、既にただの核となり果てた二つの存在は、己の中から消えていた。

ゆるりと上げた視線の先には、開け放たれた門。
淀みのない足取りで、その門扉を潜り抜け、坂道を上る。
戦場は遠く後ろへ過ぎ去った。
今進む先からは、また別の剣戟が聞こえてくる。

本来の目的であるそれを求め、頂上の土を踏んだ。

「ごきげんよう独眼竜、そして若き虎」

剣戟は途絶えている。
代わりに出迎えたのは、射るような二つの眼差し。

「松永…久秀…」

呻るように名を呼ばれる。
弦月の下から覗く目の苛烈さに、松永久秀は笑み返す。
彼の手に握られた六ツの秘刀は、未だ健在であるらしい。
すいと視線を滑らせれば、虎の纏う鎧もある。
重畳。

彼らは何かを、誰かを訊ねてきたが、己の知らぬそれらの言葉は認識が出来なかった。
分からないものには構わず、松永は手の内にあるものを掲げる。

「これを見てくれたまえ」

手の平程度の大きさの破片である。
己が手許に置いて幾久しい品物だった。
年若い彼らは知り得べくもない。

「永らく愛でていたものだが…時の流れは残酷だな。こうしてただの残骸となった…」

清かに風が吹く。
それを機としてか、辛うじて形を保っていた破片は砂塵となり宙に消えた。
風に乗った残滓を目で追い、その旅路を見送る。

茶釜、平蜘蛛。

「案ずるな、平蜘蛛よ…卿の跡継ぎは、今この場に在る」

失われた物を惜しむ思いに見切りを付け、虚空を漂っていた目を若者二人へ向け、

「さ、卿らの宝を戴いていくよ」

布告する。

「小十郎は何処だ、言えッ!」
「佐助は!?我が武田軍の副将はッ!?」

その時初めて、彼らの呼ぶ名が耳まで届いた。
小十郎に、佐助。
それはもしや、先に道行きを阻んだあれらの事か。
なれば尚の事不思議でならない。
それを知った所でどうしようというのだ。

「卿らには炭を眺める嗜みでもあるのかね?」

頽れる虎。ぎりと音を立てて刀を握り締める竜。
折角の宝、あまり汚されると少々具合が悪いのだが。
これ以上の汚れを防ぐには…速やかに手に入れるのが良い。

折良くも、咆哮を上げ竜が駆け寄せる。
なればまずは六の爪から戴くとしよう。


松永は刀を構え、向かい来る竜と対峙した。





 伊達軍本陣に控えていた伝令役の人が、政宗の所までの護衛についてくれた。
救護班のリーダーが、訴えを聞いて掛け合ってくれたのだ。

「アンタの役目を全うする為なら、遠慮無く行ってこい。政宗様をきちんとお守りしろ」

元々、現れた松永久秀と政宗とは因縁浅からぬ間柄だった。
その辺りの察しもあったのだろうが、こちらの事情は深くは追求せずに信用し、送り出してくれた態度。
リーダー格好いい!と軽口の一つでも叩きたかった所だ。

一刻を争う場合なので、口を噤んでその場を離れた。
今はただ前を行く兵の背について、迅速な行動を心がけるのが最優先だ。

「あの門の先だ」

敵の姿がないか何度目かの確認の後、そう示された。
背について歩いていた所から隣に並び、兵が目を向ける方向を見る。

急造の割りに立派な門が口を開けていた。
この位置からでは角度があって、門の中の様子は見る事が出来ない。

門の先は、記憶が確かなら、小十郎と武田軍副将の猿飛佐助が待ち受けている場ではなかったか。
扉が開いているという事は、既に何者かに突破されてしまったのだろう。
今回の場合、その該当者は一人に絞られる。

どうか無事でありますように。
せめて、どうか間に合いますように。

焦りが先に出て走り出しそうになるのを、兵の服の裾を掴んでどうにか耐える。
深呼吸して落ち着く努力をしていると、力強く肩を叩かれた。

「嬢ちゃんだけが頼りなんだ…もしもの時は、筆頭達を頼む」

励ましてくれているのだと思ったけれど違う、兵自身も、本当は早く確かめたくてしょうがないんだ。
それを押し止めているのは、の存在。
伊達の命運すら握りかねない娘を護衛しているという、重責。

この人がこうして冷静にあろうとしているのに、自分勝手な行動は取れない。

「…頑張ります」

兵の期待に応えるように…本当は少し不安だったが、力強く頷いた。
それを合図とし、慎重に移動が開始される。

門まではすぐに辿り着いた。
柱の影で耳を澄ませ、戦いの気配がない事を確認する。

…静かすぎる。
それに、花火をした時に漂ってくる…火薬の燃えた匂い。
戦闘の残り香に、否応なく不安を掻き立てられる。
つい堪えきれずに、門の向こうへ顔を覗かせて…は叫んだ。

「小十郎さん…!?」

最初は、広い場所だな、戦うのには十分そうだな、と思っただけだった。
その上で、誰の姿も見えないのが気に掛かり、直後。
地に横たわる焼けた何かが、人であると気付いた。

「やだっ…嫌だ!小十郎さんッ!!」

焦げた衣類で辛うじて小十郎だと分かるそれへ走り寄る。
転がるように傍で膝を付くと、何のものか分からない嫌な匂いがした。
人の体が焼けた匂いだと気づき、腹の底から込み上げるものを必死に抑え込む。

「しっかり…して…!小十郎さん…!!」

叩き、揺さぶり、呼びかけ、口元へ頬を寄せる。
焼けてしまった痛ましい姿に涙が込み上げるが、それもぐっと飲み込んだ。
自分の嗚咽が、小十郎の息吹を聞く妨げとならないように。
そうして集中していると、微かに頬に呼気が当たった。

「…ぅ……」

続いた呻き声に、は目を見開いて体を起こした。

まだ息がある。酷い姿だけど、まだ生きている!

「小十郎さん!政宗にはまだ小十郎さんが必要なんだよ!!」

息があれば、救える。この私でもどうにか出来る。
吐くのも泣くのもいつでも出来るが、小十郎を救えるのは今この場でしかない。
絶望的な状況でも信じられる、一つの希望。
それに縋り、は叫ぶ。

「戻ってきなさい、片倉小十郎ッ!!」


叫んだ刹那、小十郎の体に触れていた左手が白く光る。
はこの時、力の発動を願い、目を閉じ祈っていた。
故に急激に体を襲う疲労を感じて、力の発動を知る事となったのだ。

一部始終を目撃していたのは、護衛の兵。

「…奇跡か…?こんな、事が…」

耳鳴りの向こうで呆然と呟く兵の声を聞き、目を開ける。
重い頭を必死に擡げると、兵が小十郎の傍に膝を付く所だった。
腕の下の体を見ると、鎧に覆われた胸が、先程までより大きく上下している。

咳き込む声、震える体。

死にかけていた小十郎が、戻ってきた。

「…良かった…」
「嬢ちゃん、アンタ本当に…」
「…えー…信じてなかったんですか…?」
「…正直、この目で見るまでは」

酷いなあと頑張って笑う。
頭は痛いし視界はグラグラするし、許されるならここで意識を手放してしまいたいぐらい気分が悪い。

けれど、だめだ。
やりたい事が、やらなければならない事がまだある。
その為に、そのせいで、小十郎の体は未だに傷だらけなのだ。
強い意志が作用したのか、力の発動後は完治するはずの怪我が、未だ体の至る所に残っている。

「…ごめんね」

火傷の残る頬をそっと撫でて、はゆっくりと振り返った。

少し離れた所に、また別の焼けた体が転がっている事に、ここに駆け込んだ時から気が付いていた。
小十郎と一緒に門を守っていた筈の、佐助だ。

近付く為に立ち上がろうとして、目が眩む。
力が発動した後お決まりの貧血だ。
急に動いたらアウト、そう実感して、やむなく這う形で佐助へと近付く。

目眩と耳鳴りに塞がれそうになる意識を、休憩を挟みつつ繋ぎ止めてゆっくりと進む。
とても長い時間がかかった気もしたが、そうでもなかったかも知れなかった。

やがて指先が佐助の体に触れ、細く息を吐く。

「死んじゃダメだよ…佐助もまだ、必要な人なんだから」

休んでる暇なんてない。
すぐに佐助の安否を確認する。
ゆっくりとしか動けない自分の体をもどかしく重いながら、口元に頬を近づけて安否確認。
息があった。まだ間に合う。
武将であるが故だろうか、この強い生命力に、今は何よりも感謝したい気分だ。

胸元に左手を押し付け、顔を埋める。
頭を起こしているのが辛かったのもあるが、この祈りが少しでも伝わるように。

「幸村を置いて死んだら…許さないよ、猿飛佐助…!!」

生じた、二度目の光。
連続して二人を癒す、初めての試み。
それが成功した事に、は目を開けるまで気付かなかった。















宴松永さんストーリーはどの展開も衝撃的でした…



2014.2.14
戻ル×目録へ×進ム