龍如得雲  ―宝器 巻き込まれ事件―










 ふ、とは目を開ける。
眠りから覚めて意識が浮上する、この独特の感覚は結構好きなのだが。

「…だっる……」

同時に自覚した全身を襲う倦怠感に、今回ばかりはついつい口悪く吐き捨てていた。

ちょっとでも体を動かそうとすると鉛のように重い。
一眠りしてなお、抜けきらない疲労感。
こんなのは初めてじゃないだろうか。

「やっぱり無茶しすぎたかなぁ…」

疲労の原因を思い返してちょっとだけ反省する。

消えかけた命の灯火を蘇らせる力。
今まで人一人助けたらもう倒れる有様だったのに、完治は諦めたとはいえ連続して四人に力を使った。
限界を超えるというレベルじゃない。
その力の酷使の反動が、この体の怠さなのだ。

自業自得だが、後悔はしていない。
死なせたくない人がいて、その人の為にこの力を使えたのだから。

「うん……ていうか、皆大丈夫かな」

佐助を助けた辺りから、どうも記憶が曖昧だ。
段階的にどんどん体が重くなっていったので、力を使った事は確かなのだろうが。
皆が一命を取り留めたかどうかの記憶が、頭の中に微塵も残っていなかった。

誰かに確認しなくちゃ、と思い立ち、重い体に鞭を打って上半身を起こす。
途端に襲い来る目眩を、呻りながらやり過ごした。
どうにか落ち着いた事を確かめながら、今いる場所に目を向ける。

「どこだろ、ここ」

広い畳敷きの部屋、そこに敷かれた布団の上に寝かされていた。
見慣れない調度品が幾つか置かれているが、ここが伊達の城なら私の部屋に寝かされている筈だ。
自分の部屋じゃないと言う事は、対戦していた武田方の城?

それにしては、と一つ深く息を吸う。

いつからか、どこからか漂ってきている、この花のような甘い匂い。
お香っぽい良い匂いは、武田っぽくない気もする。
武田や真田はもっとこう…漢道場の汗と涙で出来ているような…あ、ごめん佐助。
イメージに該当しない佐助には悪かったと思って、心の中で謝罪する。

では、伊達でも武田でもないとすると、一体ここは何処なんだ?

「お目覚めかね」

疑問符を重ねた所で声が聞こえた。
反射的に振り返り、そこに立つ人の姿を見て、は固まる。

血の気が引く感覚と、頭に血が上る感覚とが同時に起こり、一人で勝手に混乱してしまう。
開けた口を何度もぱくぱくさせて、それでも目に映った相手にかける言葉を探しあぐね、

「…っど、ちら様ですか」

何故あなたがいらっしゃるんですかー!?
と叫びたい所をぐっと堪え、ぎこちなくも当たり障りのない問いかけをする。

ゆっくりゆったりした足取りで部屋に踏み入ってくるナイスミドル。
常の甲冑姿ではない、粋な羽織袴の藤原ボイス。

間違えようがない、松永久秀卿が目の前に現れていた。

「松永弾正少弼久秀…まあ、好きに覚えると良い」

名乗りながらも近付いてくる歩みは止まらない。
どこまで来る気なのか、どんどん距離は縮まって…

てかちょっと…近すぎない…?

事態について行けず、固まりながらも案外冷静なツッコミを入れている内に、松永さんの足は布団の際まで迫り、

「具合はどうかね…熱は、ないようだが」

間近で屈むと、するりと頬を撫でた。
ぎゃー!!

「だだっだっ大丈夫ですむっちゃ元気ですぅぐぇぇ……!」

プチパニックを起こし後ろに飛び退ったら、例の目眩に襲われてその場に崩れ落ちた。
張り上げた声と急な運動がいけなかったらしい。

無様に倒れ込みうんうん呻る自分の姿を松永さんに晒すなんて。
ああ想像しただけで恥ずかしい。
体の自由が聞かない事と羞恥心のせいで身動きが取れずにいると、不意に感じる浮遊感。

「えっわっ!?」
「空元気は無事とは言い難いな…まだ回復していないのだろう?」

呻っている間に再接近していた松永さんに、軽々抱き上げられていました。
ぎゃー!!(二回目)

「おっおお降ろして下さい私重いですからっ!!」
「こうでもしないと、君は自身の体調を顧みず無理をしてしまいそうだからね…」

そして何故か、布団を前にしてそのまま着座。
私を抱きかかえたままで。
目の前に!布団が!あるのに!降ろしてくれないってどういう事!?
三回目叫ぶぞ!?

一人エマージェンシーに言葉が見つからない。
どうしようどうしようとそわそわしていると、さも面白そうな目の松永さんと目が合った。

「君は私の宝となった…無理をして壊れてしまっては手に入れた意味がない」
「…え?」

穏やかな声。自分だけに向けられたもの。
これが画面越しなら、床にのたうつレベルで悶えている所だったが。

その言葉が、何か重大な意味を含んでいる気がして、パニックを起こしていた頭が急速に冷えていく。
ただ、咄嗟にはその意味に気付けず、じっと松永さんを見返していると、

「落ち着いたようだな」

一人納得して、抱えていた腕を解放した。
暴れるのを止めた体を今度は布団に横たえ、寝かしつけるように掛布の上からぽんぽんと叩かれる。

「もう少し眠ると良い。起きたら食事を届けさせよう。しばらくは養生に努めたまえ」

手の平でそっと視界を塞がれた。
見下ろしていた松永さんの目が、脳裏にこびりつく。

私はこの人の発言に何を感じた?
自分の中に生じた疑問の答えを捜そうとするが、徐々に思考が鈍り始める。
どの位眠っていたのか分からないが、体がまだ睡眠を欲しているらしい。

抗いがたい瞼の力に、それでも必死に眠気と戦いながら、これだけは、と思う事を口にする。

「伊達軍の…みんなは…政宗、は……?」

無事、なのだろうか。無事でいて欲しいけれど。

松永さんからなにがしかの反応を得る前に、意識が黒く塗りつぶされる。

最後に、甘い花のような匂いをふと感じた。





 手の平の下の気配が静まったのを感じて、松永久秀は覆いを外す。
閉じられた瞼、いとけない寝顔が現れる。
その頬の曲線をなぞるように、そっと手を沿わせた。

「君は、独眼竜の宝だったか…いや、或いは右目かな」

眠りに落ちる直前の言葉を思い出し、推量する。

死の淵に立った者をも救い上げる、稀なる力を持つ娘。
まじないや祈祷といった気休めなどではない、実際に目の前でそれは行われた。
行使するには相応の代償が必要なようだが、己が手にかけたばかりの者を見る間に癒し蘇らせた業は見事だった。
宝と見定め、己がものにと欲する程に。

こうして手許に置いた今となっては、娘が元は誰のものであったかなどどうでも良い。
いずれ再びその力の発現を目にする時をただ待ち侘びるのみ。

己が宝として存分に愛でてやろう。
美しい着物や紅で飾り立て、何か欲しがるなら与えてやろう。
決して手元から無くなる事のないように、甘い鎖で繋ぎ止め、逃げ道を見失わせてしまえば良い。

その為の、初手は既に施したつもりだったのだが。

「記憶を封じるというのは、誤りであったようだ…残念だな」

娘の頬から手を離し、部屋の一角を顧みる。

小さな棚の上で一筋の煙を燻らせる、香炉を一つ置いていた。
それで焚いている香は、人の記憶を封じるという触れ込みを耳にして入手した代物だ。
何時、何処で手に入れた物か、己が物となってはもう覚えていない。
ただ、香を実際に焚くのは今日が初めてなのは確かだ。

宝とした娘の記憶を封じ、まずは戻る場所を、頼る物を見失わせる。
その心積もりで、眠る娘の傍で香を焚いていたのだが。

『伊達軍の…みんなは…政宗、は……?』

あっさりとかつての在処を口にされ、目論見の失敗を突き付けられた。

「…まあ、新たな宝の慰めとなってくれたまえ」

この瞬間、松永の中から「記憶を封じる香」への興味は消え失せた。
そもそもそれ程強く興味があったものでもなかったが、香が持つ宝としての価値は全く失われたのだ。
人は物に頼らずとも忘却する。
立ち上がり、一歩を踏み出す時には、香の記憶すら霞のように掻き消えるだろう。

一度娘の寝顔を確認してから部屋を出る。
娘を寝かせているこの部屋は、外からしか開ける事の出来ないようになっている。
己が去り、出入り口を閉めてしまえば、この場所は「宝物庫」であると同時に「座敷牢」となる。

「…さて、私が愛でるべき宝と成り得るだろうか」

僅かばかりの興味と期待を込めて、囁き。
松永はその場を離れていった。















夢主in松永さんの本拠地編。



2014.3.6
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