龍如得雲  ―宝器 巻き込まれ事件―










 空になったお膳を前に、ぱんっと手を合わせてご挨拶。

「ごちそうさまでした」

答える相手など誰もいない部屋で食事を終わらせてから、はお膳を手に移動する。
この部屋唯一の出入り口、その下の部分。
小さな窓がついていて、そこからお膳をやり取りするシステムだ。

上げた視界に映る扉を少しの間見つめた後、手を掛けて軽く力を入れてみる。
押しても引いても、動く気配は無かった。

「やっぱり駄目かー…」

溜息と共に吐き出すが、さしたる気落ちは無い。
二度目に目覚めた時に部屋を探索して、内側からではこの扉が開かない事は既に確認済だった。
以来時々、偶然にも開かないだろうかと試してみる事にしている。

「監禁…幽閉?…保管かな?」

早々に手を離しながら、最初に目覚めた時以来姿を見せていない松永さんの言葉を思い返す。
印象に残っているのは、殊更『宝』という単語を使っていた事。
部屋から出られない現状を踏まえてその意味する所を考えると、松永さんに癒しの力を見られたのではないか。
そうでなければ、力がなければ至って平凡な自分が、こんな所に閉じこめられて松永さんに労われる理由がつかない。

死に瀕した者を救い上げる力を持った娘。
松永さんにとって私は『人』ではなく、生きている『宝』なのではないか。
生かす為に食事を与え、十分な設備を用意してくれるが、勝手な行動はさせない、許さない。

「宝は無くならないように、鍵のつく所にしまっちゃおうねぇ…みたいな?」

私を物として見ているなら、伊達軍に帰りたいと訴えてみた所できっと聞いてはくれないだろう。
姿を見ていないので言う機会がないし、言ってみる度胸もないけれど。
食事を差し入れてくれる人は女中さんか何かだろうが、話しかけても一言も返してくれない。

弱音も愚痴も、意志も主張も、聞き手がいなければ行き場を失う。
状況を把握し切れていなかった初めの内は途方に暮れて、無駄に時を過ごしたものだ。

扉の前から踵を返し、は対面する壁へ寄る。
そこに設えられた採光用らしい障子窓は、引き開ければ見晴らしの良い眺めが眼前に広がった。

…格子越しに。

「やっぱりこっちも駄目だよなぁ…」

掴んでみても、女一人の力ではびくともしない嵌め殺しに、零れるのは溜息ばかり。
窓から覗き込む地面は思いの外遠く、たとえ嵌め殺しがなかったとしても、ここから逃げ出すのは少しばかり勇気が要るだろう。
外界はすぐそこに見えるのに手が届かないとは、生殺しもいい所だ。

けれど、とは思う。

「逃げ出すならやっぱりここなんだよね」

休んだお陰で倦怠感も軽減し、ご飯も食べてエネルギーチャージもばっちり。
俄然働きの良くなった頭が弾き出した答えがそれだった。

部屋の中を振り返る。
小さな棚の上に置かれた、名残を漂わせる香炉、その横。
探索していて見つけた時は驚いたものだ、そこには政宗の六爪と幸村の鎧が並んで置かれている。

宝は一緒にしまっておけという事なのか、政宗の刀で斬りかかられるとは思わなかったのだろうか。
まさか同じ部屋に置かれるとは思いもしなかった為、松永さんの行動の真意が掴めず疑問符が幾つも浮かんでは消えた。

その先にある事実だけを見るなら、これはまたとないチャンスだという事に気付く。
伊達、真田から松永さんによって奪われた物が、この部屋に一つにまとめられている。
これは上手くすれば、政宗と幸村の『宝』諸共に脱出できるかも知れないのだ。
自分がほんの少し、勇気を出しさえすれば。

何もせず『宝』と共にここで待っていれば、いずれは政宗達が奪還に来てくれるだろう。
それが一番安全で確実な策に思えたが、しかしもし政宗達が動けない状況にあったら?
自分が無理をしたせいで、力及ばず誰一人救えていなかったら?
そこを思うと助けを待って無為に時を過ごすよりも、むしろこっちから政宗達の元へ向かいたくなる。

一刻も早く、四人の無事を確かめて、出来るなら癒しきれなかった傷を癒したい。

その一念が、の後押しをする。

「まずは体調を万全にしないと」

呟き、頷く。
窓辺から離れて、敷かれたままだった布団へ潜り込み、目を閉じた。
本当は今すぐにでも行動に移したいが、焦っては駄目だとどこか冷静に思う自分がいる。

落ちた体力で無理に動いたとて、何せ松永さんのお膝元、脱出に成功する確率は限りなく低いだろうし、
仮に上手く脱出できたとして、政宗達の元に辿り着くまでに力尽きてしまっては意味がない。
一度逃げ出した上で捕まっては、きっと二度と脱走のチャンスは巡って来ないだろう。
そうならない為にも、今はよく眠ってよく食べて、ついでに体も動かして、来るべき時に備えなくてはならない。

そわそわとする体をきつく抱いて落ち着かせる。
今は眠れ、眠れ。
言い聞かせる内に、未だしつこく残る疲労が瞼を重くする。

の意識はゆっくりと沈んでいった。





 何度目かの書き損じに、政宗は舌打ちして筆を置いた。
国元で留守を預かる者達へ手紙でも書こうかと思い立ったのだが、どうにも集中できない。
そもそも養生中の手慰みにするのが目的だったので、書き上げられなくても問題はなかったのだが。

向き合っていた文机から顔を上げれば、書き損じの紙が周囲に何枚も散らばっている。
雑然としたその様を見て、政宗は一気に書く気を失った。

「… Shit, 」

そのまま後ろへ倒れ込み、寝転がる。
松永から受けた傷が癒えるまでは、外へ鍛錬に出るのを小十郎から禁止されていた。
政宗が逃げ出さないよう、部屋の出入り口には小十郎直々の監視がついている。

外に出られないならせめて、と真田に本を借りてはみたものの、気がかりがある状態だからか内容が頭に入って来ない。
かくなる上はと始めたのが書き物だったが、それも早々に手に付かなくなってしまった。

暇を持て余し、ごろりと寝返りを打つ。
動いた視界の先に明かり採りの窓があり、そこから麗らかな日差しが差し込む。
外に出られないこの身を誘っているような陽光さえ、今の政宗には苛立たしい。

「…冷静でいるつもりなんだがな」

些細な事に苛々しているのを自覚して、ぽつりと零す。

の消息が分からなくなってから数日が経っていた。
恐らくは松永に連れ去られたのだろうというの行方は、こちらも同じく奪われた武田の鎧捜索のついでに、真田の忍が追っている。

真田と猿飛の両名は、の癒しの力に触れている。
力の事はあまり外部に漏らしたいものではなかったが、だからといって下手に隠し立てしては余計な腹を探られかねない。
ならばいっそ事情を話し、捜索の協力を仰いでしまえ。
恩を返すと意気込む真田の手前、猿飛も否とは言えず協力せざるを得まい。
それが政宗が眠っている内、小十郎が下した判断だった。

その読みは当たり、今現在真田忍隊が存分に力を発揮してくれているのだが、残念な事にこれまでに有力は情報は得られていない。

が伊達の元へ現れてからの日はそれ程長くない。
その日々の中で、これだけの期間姿を見ない事が今までにあっただろうか。
しかもの身は、六爪と共に松永の手中にあるかも知れないという。

六爪と、それらがいつまでも行方が掴めずにいる。
それがこの苛立ちの原因であり、その根底にあるものは、焦りと不安。

「心配かけさせるんじゃねえよ…」

姿が見えない事に苛立たせられる。
自分の中で、の存在はどれ程の割合を占めているのか。
その答えを知りたくなくて、愚痴という形で心情をすり替える。

ともすれば、奪われた六爪よりも、脳裏を過ぎる頻度が高い。
その事実に背中を向けるように、政宗は無理矢理目を閉じた。

疲れはないと思っていたが、傷を負った体はやはり体力が落ちているらしい。
気を落ち着けるだけのつもりが、目を閉じるとすぐに体が重くなった。

思考が霞む。
そのまま眠りに落ちんとする寸前、一瞬結ばれた像は、

やはり、だった。

「………」

無意識に呟いた事にも気付かず、眠りに落ちる政宗。
その声は、政宗が寝入った事に気付き、掛布をかけに部屋へ立ち入った小十郎だけが聞いていた。















夢主脱出計画始動。




2014.4.3
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