龍如得雲  ―雷花 右手と左手―










 叫び声のした所まではさほど離れておらず、すぐに政宗に追い付けた。
馬を降りこちらに背を向ける政宗の傍に、速度を落とし馬を寄せると、肌で感じていた風の流れが止まる。

は、ついて来た事をちょっとだけ後悔した。

流れの滞った空気に充満している血の臭いが、にわかに鼻をついたのである。


「うぅ…息できない…気持ち悪いぃ…」
「承知の上でついて来たんだろうが。辛抱しろ」


鼻で呼吸するとダイレクトに臭いが伝わってくるし、
それが嫌だからと口で息をしようとすると呼気とは違うものが出てきそうだ。

息のやり場をなくして涙目になっているのを見かねてか、
鼻と口を覆ってくれた小十郎の袖口越しに呼吸する事で、はようやく人心地を得た。
小十郎の袖口からは、焚き染めた香の匂いに隠れて、豊かな土の匂いがする。

幾分か呼吸が楽になると周りを見る余裕も出て来たので、は目だけ動かして状況の把握に努める。

政宗をはじめとし、先発隊は皆一様にある方を向いていた。
視線の先には…出来るだけ見たくなどないのだが…叫び声の主だったであろう、
一人の兵がぐったりと地に横たわっている。
血溜まりが大きく広がっており、息が詰まる程の血臭からも、彼が既に事切れているのは確かだった。

正直、直視出来ない。
すぐにでも小十郎にしがみついて、視覚と嗅覚を閉ざしてしまいたい。

しかし、その欲求を達せられずにいる。
逸らしたい筈の視線が、亡骸のある部分に吸い寄せられたまま離せなくなってしまっているからだ。
恐らくは先発隊も、達の後に到着した部隊も、それに目を奪われている。


「刀…か?」


小さな声は政宗のものであっただろうか。
その一言こそが、場にいる大半の者の心中を表したものであった。

仰向けに倒れる骸の胸に刀が突き立てられている。
否、厳密には刀ではなく、刀身から柄までが一塊の金属で出来ており、
骸から突き出た全体で陽の光を妖しく滑らかに照り返すそれは、この時代では珍しい「西洋剣」であった。
反りのある片刃が主である「今」では目にする機会も少なく、政宗が確信を得られなかったのもこの為だ。

ただ、この時代の人間ではないはすぐに理解した。
西洋の剣である事と、

その剣が、言い様のない不安を与えてくるものである事を。


何だろう、この感じは。
不安の正体を見極めようと目を凝らす中、やおら政宗が骸に近付いて行った。

血溜まりのすれすれで止まり、まじまじと剣を見ている。


「犯人の手がかりってトコか。また随分と大きな忘れ物をしたもんだ」
「この早さで現場に辿り着いたのは初めてでありました故、回収する間もなかったのでは…」
「て事はまだ近くにいる、か…。人手は?」
「すぐにでも動けます」
「All right.」


政宗と部下の会話が右から左へ抜ける中、突如としての脳裏に閃くものがあった。


「…あ」


はたと気付き、気の抜けるような吐息が漏れる。
浮かぶ記憶は一枚絵のように、一瞬の内に新の脳裏に焼き付く。

具足を身に纏う政宗の姿。
その手に握られた一振りと、腰に差す計五本の剣。

焼き付いた記憶が、現在目に映る光景に反応して、に何かを訴えかけてくる。


「...Ah?」


怪訝な顔をして、政宗が周囲を見渡した。


「何だ…?」
「どうかなさいましたか?」
「誰かの声が…聞こえてねぇのか?」


皆が一様に首を振る。
誰かの声がすると、しきりに周りを気にしているのは政宗だけで、にも声など聞こえていない。

だが、政宗のその問いかけこそが、の中の漠然とした不安に明確な形をもたらした。


「…駄目」
「うん?」


震えを帯びた声に、怪訝な顔で小十郎が覗き込んでくる。
その目を見返す事も出来ず、ただ心拍だけが、時の経過と共に速く強くなっていく。
手が微かに震えを帯びてくると、さすがに小十郎も心配になってきたらしく、


「気分でも悪くなったか。ひとまずこの場で大事はなさそうだ、一旦離れるといい」


口元に当ててくれていた手を緩め、場を離れるよう促した。


「…永遠の服従?」


小十郎の、言葉の向こうで。
政宗が口にした、呟き。

決して人に聞かせるような声量ではなかったが、政宗を注視していたには、はっきりと聞こえていた。


一気に総毛立ち、考えるよりも先に体が動いたのと、
骸に突き立った剣が、誰も触れていないのに勢いよく宙へ舞い上がったのは、ほぼ同時であったか。


「駄目っ!!」
「あ、おい!?」
「政宗…っ!!」


緩く抱えられていた手を振り解き、政宗までの遠くもない距離を全速力で縮める。

政宗は跳ね上がりくるくると宙で回転する剣にまず瞠目し、尋常でない様子のを見て更に戸惑った。


「な、なんだ…!?」


複数の問いを内包した声に、は答える術を持たない。
答える僅かな時間すら惜しんで、奇異の視線も振り切り、


「アラストル!!」


剣の名を叫び、政宗の前へと飛び出した時、


剣…アラストルの切っ先がひたと狙いを据え、真っ直ぐに狙い目掛け、空を走った。


圧迫感と肺の空気が押し出される息苦しい感覚の後、背中に何かがぶつかった。


っ!!」


それが政宗の胸元であったと知ったのは、頭上から切迫した声が降ってきてから。

政宗が何故そんな声を出すのか、一瞬分からなかった。
けれどすぐに、ああ、これのせいかと、他人事のように納得する。

傍らに横たわる骸と同じように、己の胸を、剣が貫いていた。

不思議な事に息苦しかったのは剣が貫いた最初だけで、
今は金属が胸から生えている視覚の違和感だけで、他は常態と変わらない。

痛くない。
珍しく慌てた様子の政宗を面白いと思う余裕さえある。

根拠など無いが、大丈夫そうだと伝え安心させる為、高い所にある顔を見上げる。


「ま…」


名前を呼ぼうとした所で、不意に視界が黒く塗り潰される。
かと思うと今度は反転するように白く染まり、その眩しさに一瞬思考が止まる。


そこでの意識は途切れた。










 振り仰ぎ、名を呼び掛けたから表情と意識が消えるのを、政宗は間近で見ていた。
胸で受け止めたその体が崩れ落ちようとするのを反射的に支える。


!おい!!しっかりしやがれ!!」


体を揺すり頬を叩き、何度も呼び掛けて意識の回復を図るも、目を覚ます兆しはない。
その内、呼吸が規則正しいものである事に気付く。

我知らず、政宗は安堵した。
急に意識を失うものだから何事かと思ったが、はただ眠っているだけだ。

冷静になり改めての状態を確かめると、胸を貫いたように見えた剣はどこにも見当たらない。
剣は刺さらず、は胸を圧迫された為に意識を飛ばしたのだろう。

恐らくは。

剣がひとりでに跳ね上がった仕掛けや、直前のの必死さの理由には見当がつかないが、生きている。
その一事が確かであれば、それで良かった。


「政宗様!御無事ですか!?」


を抱えたままその場に腰を下ろした所で、一部始終を見ていた小十郎が駆け寄って来た。
珍しく余裕を失っているのを、一足先に冷静さを取り戻していた政宗は、他人事のような心地で眺めていた。


「見ての通り何ともねぇよ。なんか呑気に寝ちまってるしな」
「寝ている?」


大事はない事を伝えると、普段から刻まれている眉間の皺がなお深くなった。

刀が胸を貫いた、ように見えた。
至近距離で見ていた政宗でさえそう錯覚したのだから、
少し離れた所にいた小十郎なら今のような反応もやむを得ないだろう。

さして気にも留めず、それよりもと、周囲に目を巡らす。


「そういやぁ、あの刀ァどこに行った?見当たらねぇんだが…」
「何を仰っているのです、政宗様!?」


声を荒らげた小十郎を、瞬かせた目で凝視した。
険しい表情が、真正面から目を捉えてくる。
その反応を見て初めて、未だ事が終わっていない事を知った。


「刀はに刺さったままではありませんか!!」




















( ゚∀゚)o彡゜アラストル!アラストル!!



2012.1.30
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