龍如得雲 ―雷花 右手と左手―
はぺたりと座り込んでいた。
気が付いたら既にその体勢でいたので、いつからこうしていたのかは分からない。
ここが何処なのかも。
周囲のどこに視線をやっても、映るのは黒一色に染め上げられた光景ばかり。
真っ暗闇なのかとも思ったが、少し違和感を覚えて自分の手を見ると、
輪郭はおろか肌の色まではっきりと確認できた。
姿が見えるという事は、ここは『闇』ではなく『黒』なのだろう。
光源はあるらしいのに自分以外の何かがまるで見当たらないというのは気味が悪い。
何となくじっとしているのが怖くなって、はひとまず行動を起こしてみる事にした。
黒一色の空間は立体感がなく、奥行きがどこまであるのか目視では確認できないが、
適当に歩けばいずれは「端」に着くだろう。
そこから端に沿って移動すれば、外にも出られる筈。
とりあえず今向いている方にまっすぐ進んでみる為に、腰を浮かす。
チリリ、と。
金属の硬い音が、やけに響いて耳に届いた。
半端に腰を浮かせた姿勢で止まり、音のした方…背後を振り返る。
長い鎖が落ちていた。
その端がの片足に巻き付き、動きに連動してチリチリと音を立てている。
何でこんなものが、と目を丸くし、無意識に鎖のもう一方の端が繋がる先を辿る。
あった。
さほど離れていない所に、鎖の先が結ばれていた。
そして、見開いた目が動かせなくなる。
鎖の先が結んでいるのは、と…あの剣だった。
「アラストル…」
意識せず、その名を口にする。
音として耳に届いた所で、この認識は間違っていなかったと改めて思った。
魔剣アラストル。
「戦国BASARA」における政宗の武器の一つであり、雷電を剣身に纏う剣である。
政宗の武器であり、剣としての初出はBASARAと同じ会社の別タイトルのゲームあった筈。
剣の正体に気付いたあの瞬間、例えようのない焦燥がの身を焼いたのを思い出す。
剣の存在、何者かの声を聞く、政宗の呟き。
それら情報のピースを得たは、咄嗟に政宗の前へと立ち塞がり、そして。
「……あ」
やや朧気となった記憶を手繰っている内に、はぽかんとした。
まだ新しく鮮烈な、体験した記憶。
ほんの一瞬だったし体の不調もなかった為、その時は胸に覚えた感触も剣の姿も錯覚かと思っていた。
だが今、この覚えのない部屋にいる事と、剣と繋がれた自分を見て、は一つの可能性に行き当たる。
「私…死んだ?」
口にする事で、現実感に乏しかった実感がにわかにはっきりとした輪郭を帯びてくる。
政宗の前へと飛び出したあの時。
あのタイトルの主人公と同じように、ひとりでに跳ね上がったアラストルに、胸を貫かれたのである。
自分と剣とを繋ぐ鎖を見下ろして、はしばし呆然とした。
乱暴な足音を立てて出城の廊下を行き、中庭に面したある一室の前で立ち止まる。
勢いよく障子を開けると乾いた大きな音が立つ。
部屋に先にいた小十郎が振り返り、「お静かに」と眉間に皺を深く刻んだ顔を向けた。
それには答えず、荒い足取りで部屋に入ると、小十郎の隣にどっかと腰を下ろした。
「の様子はどうだ」
「変わりはありません」
「...Shit! 何だってんだ」
毒づくように吐き捨てる。
その実、言葉に込められているのは声音とは異なり、混乱や焦燥といった感情であった。
小十郎と並んで座す正面、政宗が向ける視線の先。
一組の布団が調えられ、そこにが横たえられていた。
閉じられた目蓋、規則正しく上下する胸元に、深い眠りの底にある事を窺わせる。
小十郎は、の胸元に剣が今も刺さったままだといった。
不思議な事に、政宗には小十郎のいう剣の影すらも目に映らない。
とはいえ、その当時、ひとりでに跳ね上がり、
飛び出してきたの胸を貫いた剣…その直後には剣の姿は影もなくなっていたが…を実際にこの目で見ている。
それのみを取っても充分普通でない事を感じ取れる上、政宗はこの直前、「永遠の服従を誓え」と、
自分にしか聞こえていなかったと思われる奇妙な声を聞いている。
これら政宗の身に起きた事が全て夢幻でなく事実であるとしたら、
を貫いた剣は恐らく妖刀…妖剣、魔剣と呼んで然るべきものなのではないか。
現のものでない。
だとしたら、常人の目に映らないとしても仕方がない。
また、剣が見えている小十郎の生家は神職の家系である。
政宗には見えない物をを小十郎が捉えているのも、それを考えれば説明はついた。
説明がつく事と、ついた所で納得出来るかどうかは別問題ではあったが。
「新は目を覚ますか?」
「…詳しくは小十郎にも判りかねます。ただ…」
「何だ?」
「この剣が新の状態の原因であるなら、これが抜ければ、恐らく目覚めるのでは…っ!?」
考えながら語り、の胸元少し上の空に伸ばされた小十郎の手へ、激しい音と共に青白い稲光が爆ぜた。
「小十郎!!」
反射的に手を引いた小十郎の顔が苦痛に歪んでいる。
幻などではない、稲光の走った手が、その軌跡に合わせて黒く焦げている。
「今のは何だ、何をしようとした!?」
「…剣です。剣に触れようとしたら、稲妻が…」
剣。
痛みを押さえながら告げられたものに、政宗は自然、視線を動かす。
小十郎が手を伸ばそうとした先、の胸の上、政宗にとっては何もない空間。
そこへ、政宗はおもむろに手を伸ばした。
政宗様、と小十郎の鋭い制止の声が飛んだが、構わず更に伸ばし。
小十郎が稲妻に撃たれた辺りで、その手は空を切った。
「…見えてないと触れもしない、って事か」
今のままの己では出来る事が何もない。
それを知った自分の声は意外な程冷静であった。
空振り、無事である己の手をまじまじと見、そしてへ視線を移す。
相変わらずの固く閉じられた目蓋。
一見穏やかなその眠る顔に、沸々と静かな思いが生じてくる。
「アンタの役目はこういう事じゃねぇだろ…」
奥州の地にてに与えられた役割は、政宗を守る「盾」となる事。
しかしそれは政宗が命に届く怪我を負ってしまった場合に、の持つ「癒しの力」で救えという意味であって、
こんな風に有事の際身を挺して政宗を庇えという意味ではなかった筈だ。
は戦に連れ出されると、嫌だ嫌だと口にしつつ外面は平気そうに見える裏で、
実は怯えを必死に隠していたのを政宗は知っている。
それが役目だと、自身も覚悟を決めた上で戦に連れ出される事を受け入れたので、
敢えて指摘はしなかったが。
先の世から来たという特殊な存在であるも、一個人は戦…命のやり取りを怖がる普通の娘なのである。
そんなが、ひとりでに跳ね上がった剣の前に出た理由が、政宗には理解できなかった。
問いたい。
何を思って、何故、こんな真似をしたのか。
それをに問い質すまでは。
「このまま起きないってのは、許さねぇぞ…」
眠るには届かない言葉を、ひたと見留める眼差しに乗せる。
それとて届く筈もなかったが、謂わばこれは政宗にとってのある種の決意表明といってもいい。
どう手順を踏めばいいのかなどまるで見当もつかないが。
ただ、死なせるものか、と。
感情を抑えた声の裏で、その意志は固い。
規則正しい寝息の合間に、が一つ、大きく息を吐いた。