相見えし者曰く
戦場に於いて其の者の姿甚だ希有なり
将に非ず 然れども兵にも非ず
国を定めずして戦場に現ること如何な由有りや
曰く
其の者の過ぎし後に骸数多生ず
是人の死せるを求めしか
鴻飛天翔 こうひてんしょう 第一話
鬨の声。
血腥い情景。
敵の来襲を告げる法螺と、攻め入る者と迎え撃つ者との剣戟と激しい爆音。
堅い鎧を貫いてその下の皮膚に刃を潜り込ませ、一度血潮を浴びる毎に、『人を殺す』罪の意識を封じ込めていく兵の顔。
戦場に出るようになって幾年か立つが、その辺りはいつまでも変わらない。
変わるのは日々改良により殺傷能力を高められた武器と戦っている人間の顔だけだ。
戦場に肉薄した林の中で命が次々と失われていく様を眺めやりながら、そんな事を考える。
此処も決して安全ではないのだが、合戦の様子を眺めるその姿は、至極悠然としたものである。
「 」
割と近い所から聞こえた声に反応し、僅かに眉を寄せると、逡巡なく歩き出した。
今見つかってしまうのは思う所ではない。
彼らと刃を交える気分ではなく、億劫だからだ。
必要でない限り彼らには見つかりたくなかった。
だから、声のした方を避け、小さな林の最奥部に向かう。
状況は合戦の真っ只中。
斬らなければ斬られる、或いは戦場の雰囲気に呑まれて、斬る事しか頭にないだろう者達。
斬らなければならない相手が目の前に幾らでもいるのに、好き好んでこんな林の中にまで敵を求め来る者もいまい。
居ても命が惜しくて逃げ出した奴だ
命が惜しければ逃げ出せば良い。
力の限り生に縋り付けば良い。
僅かに開けた場所に出る。
場所により明るさにムラがあるのは、頭上を覆う葉の密度の違いか。
命の奪りあいとはまるで無縁なその風景に一旦目を留め、そこを通り抜けようとして。
足を止めた。
日当たりの良いその場所の、敢えて陰った所に紛れるようにして、幹の下に座り込んだ人がいた。
鴻飛幽冥
出立の前にうっかりそんな話を聞いてしまったから、こんな事になったのだろう、と。
動かない右腕を支え歩きながら猿飛佐助は後悔する。
別の戦場に赴いていた同胞から聞いた話だ。
『鴻飛幽冥』と称される者が、近頃戦場に現れるらしいという噂。
その同胞も今回の任務では出会わなかったそうだが、任地で話を小耳に挟んだらしい。
合戦場にはまるで似つかわしくない軽装、という漠然とした外見。
何処かの国に属してはいないようで、噂の出所は、交戦している国土地を問うていない。
しかしその者、一度刀を抜けばその背後には屍山血河が出来るという。
滅法強い、そういう話だ。
戦場に抱く恐怖が見せた幻か、それとも各地に現れる違う流浪人か何かが同一人物として見なされているのか。
噂らしい漠然とした内容であっただけに、聞いた当初は別段気にも留めていなかったが。
いざ戦場に来てその事を思い出してみると、妙に気になるものである。
一体どんな人間なのか。
鬨の声が、血腥さが、忍の生業ゆえ押し殺されていた感情をほんの僅か高ぶらせる。
驕るつもりはない。
が、それでも確かに腕に覚えがあるからこそ。
風の噂でしかない、正体不明の猛者に、興味を惹かれた。
それが この様だ 。
「まさかこんなことになるとはねぇ……」
此度の任務は他国の戦力状況の偵察であった。
その国の得意とする陣形、兵数の確認などが主な内容である。
佐助程の腕があれば、しくじろう筈もなく完遂できるものだ。
勿論敵に気取られる事もなく、敵方の情報は無事集め終えた。
後はその情報を、命を下した己が主君とその上司の所に持ち帰るだけ……だったのだが。
我知らず、目が余計な物を探していた。
近頃戦場で噂される、『鴻飛幽冥』の姿を。
双方何千何万という兵力のぶつかり合いが合戦というものである。
その中から、見た事もない、実在するかどうかも知れない、たった一人の人間を見つけ出す。
理解はしていたのだ。
そんな、砂浜でたった一粒の砂を見つけるような行為が上手く行く筈ない事を。
けれど、目は理性とは裏腹に、人の波濤の中に『それ』らしき姿を求めていた。
任務が滞りなく済み、妙な余裕が生まれてしまった為であったのか。
戦場の方にばかり意識を向けていたせいで、周囲に対する警戒が甘くなっていた。
そのせいで、交戦国の戦忍が近づいている事に気付くのが遅れ。
刃が迫っている事に気付いた時には遅く、佐助は暗器で右肩を穿たれたのだった。
身を隠す為に小さな林に入り歩き続けて暫く、少しばかり開けた場所に出た。
そこだけ木の生え方が疎らで、地面まで届く光量が多い。
佐助はその日当たりの良い場所の、わざわざ陰った箇所を探して、半ば崩れるように幹に背を預け腰を降ろした。
此処なら近づいてくる者に気付きやすく、且つこちらの姿は見つかりにくい。
背面、右腕の付け根当たりに手を伸ばし、鎧の上からゆるりと撫でると、指先が滑った。
目の前に指を持ってくれば、そこに確認されたのは鮮血。
傷を受けた場所が場所だけに、自分では止血が出来なかったので放置していた為、傷口が塞がっていない。
その割には痛みはそれ程なかったのが不思議で、少し右腕を動かそうと試みたが、
動かない
触った感じではさして酷い傷とは思えなかったが、どうにも動かす事が出来なかった。
暗器に体を麻痺させる何らかの薬か毒か塗ってあった事は間違いないだろう。
ふう、と息を吐く。
座り込んだら張り詰めていた気が切れてしまったのか、立ち上がれなくなっていた。
薬が徐々に体を巡り始めたのかも知れない。
今敵が現れでもしたら、この思うように体を動かせない状態で迎え撃つ事になる。
非常に、拙い、と。
そう思った時。
不意に足音がしたかと思うと、身を強張らせる間もなく人が現れた。
咄嗟に息を詰めたが、既に現れた相手の目には自分の姿が映し込まれていた。
「……あれ」
相手は佐助と目が合うと、呆気に取られたように口を半開きにした。
そこから漏れた感嘆符が一体何に対してのものだったのかは判断し難い。
人の命を奪い合う戦場の直中に於いて、その存在は妙に浮いていた。
戦場に出てくるような格好ではないのだ。
長い黒髪はきちんと後で一つに束ねているのに、前髪は目にかかる程長いのに何の手も加えられていない。
頭を動かす度に前髪が視界を横切り、非常に鬱陶しそうだ。
交戦している国の足軽とは違うのか、防具は身につけていない。
濃藍の袴を穿き、袖先が長い白地の着物は、先が黒く染め抜かれている。
逃げ遅れた村人かとも疑ったが、その割には纏っている雰囲気が妙だ。
その人物には恐怖心というものがまるきり窺えない。
合戦国の兵でも、村人でも、まして武将や忍でもない。
姿形からは何者であるか判断できない存在。
戦場に於いてこれ程奇妙な『生き物』を、佐助は今まで見た事がなかった。
「戦忍……というのか?怪我をしているな」
「…………」
「動けないか、喋れないのか……毒でも盛られたか」
相手は、気付かなければそのまま通り過ぎようとしていた足を、わざわざこちらに向け直し、近づいてくる。
この人間は佐助が戦忍と知っても尚怯まないのか。
背が低く、少年と呼ぶにはやや大人びた雰囲気をもつ……少年。
そうとしか呼びようがない。
中性的な顔に収まった黒の双眸が、真っ直ぐに佐助を捉えている。
その目は、どこか虚ろであるように感じた。
付け入る隙のない意志を確立している癖に、視界に捉えた者を引きずり込むような奇妙な余白がある。
隙のない隙、とでも表現すればいいのだろうか。
探るように、その目を見返す。
そうして見返してしまうから、囚われそうになるのだろうか。
佐助はいつしかその瞳に囚われかけ、はっと意識を引き戻した。
忍としての己が、音もなく近づく気配を敏感に察したからだ。
「退がれっ!!!」
不意の通行人が、敵であるか味方であるか。
それを頭で考えるより先に、佐助は少年に向かって叫んでいた。
刹那、気配を感じた方向に振り向きざま、まだ自由になる左手に手裏剣を携え、己が眼前に翳す。
顔の前で金属のぶつかり合う甲高い音が弾けた。
僅か間を置いて地面に落ちたのは、一本の苦無。
素早く目を走らせ、先程まで目を向けていた所を確認する。
同じ型の苦無が数本、『奇妙な少年』がいた所に突き立っている。
本来そこに立っていた少年は、着物の裾を揺らしながら少しずれた所に同じような姿勢で立っていた。
無事である。
「仲間がいたのか」
低く呻るような声が頭上から聞こえ、少しだけ頭を上げてそちらを窺う。
木の葉の陰に紛れるように人影があった。
佐助に傷を負わせた忍と同じ装束を纏っている事から、恐らく同じ者に仕えている戦忍だろう。
冷静に判断した佐助は、至っていつもの調子で笑みを浮かべ、頭上の相手に言う。
「仲間なんつったらこちらさんに迷惑だよ。ただの通りすがり。偶然鉢合わせしただけ」
「ふん……その『偶然鉢合わせた』奴に、旗印でも託したか?」
「突飛だねぇ、発想が」
「可能性を想定しているだけだ。考え得る事は疑わねばならぬ。なればこそ」
この場に居合わせた時点で、真実無関係であろうと、死ぬ事は決まっている。
そう告げる忍に、口元に笑みを浮かべた佐助は、しかし内心焦っていた。
口ぶりからして、少年と戦忍は無関係なのだろう。
しかしこの場に居合わせたせいで、少年は殺されようとしている。
逃げろ、という意思を込めて、戦忍に気付かれないよう少年に視線を送った。
戦忍の声に反応して上を向いていた少年が、視線を感じたか、佐助を見る。
何故自分を見ているのか。
状況から見れば、佐助が眼差しにどんな意味を込めているのか分かりそうなものであるのに。
少年は逃げなかった。
かつ、何事もなかったかのように、少年の視線が再び上を向き、戦忍に声をかけていた。
「一つ、訊いて良いか?」
「………」
「この此処でへたり込んでる戦忍が喰らった毒は、あんた達特製なのか?」
「……って君、もっとマシな喩え無いの?」
仮にも真田忍隊の長を務めている佐助である。
その相手に対して、幾ら知らないとはいえ「へたり込んでる」という喩えは、甚だ納得がいかなかった。
だから控えめに抗議をすると、
「事実だろ?」
何を気にしているんだ、と。
戻された目が僅かに見開かれている事から、それが揶揄でも何でもなく本心からの発言だと知る。
佐助はほんの少し肩を転かせた。
それは、一瞬の隙。
「笑止。そのような愚問、冥土の土産にもならぬわ!!」
二人分の注意が逸らされた、その隙を突いて、樹上の忍が幹を一気に駆け下りる。
疾い
すぐに意識を切り替えた佐助が、忍の名に恥じぬその早さに目を見張る。
賞賛と、焦燥を感じて。
普段の佐助であれば十分に追いつける速度であったが、今の毒を受けた状態では決して追いつけない。
辛うじて動く左腕を伸ばすも、その位置からでは届く訳もなく。
戦忍の、得物を掲げる姿がはっきりと目に映る。
そうして動きを捕捉出来るのに手が出せない己が、歯痒い。
「確かにな。」
少年の、賛同する声音に、何をやっているんだと叱咤する。
だが、佐助の言葉が届く前に。
小気味良い、肉を切り裂く音が耳に届いた。
そして、瞠目する。
己の目の前で起きた人死にに。
噴き出し滴る血がその足下に黒い染みを作り、それはどんどん広がっていく。
忍の、足下に。
「な………」
「わざわざ訊かなくても、探せばいい話だった。………大方持ってるだろうし」
脇腹を深く深く切り裂かれ、血が忍装束をしとどに濡らし続けている。
少年は立ち位置を三歩程ずらし、変わらぬ様子で佇んでいた。
ただ一点、手に一振りの刀を握っている事を除いて。
佐助はこの一刹那の間に初めて、少年が刀を差していた事に初めて気が付いていた。
柄の部分に唐紅の長い房が付いている、普通の物より少しばかり短い、刀。
少年はその刀身の血を振り払い、黒塗りの鞘に収めた。
戦忍がぎこちない動きでこちらに顔を向ける。
限界まで見開いた目は、佐助を捉えた後何かを探すように宙を彷徨い、そのまま空を向く。
体勢を保つ筋肉の活動が停止し、血を失い続ける体がぐらりと後に倒れ、地に横たわっていた。
忍は絶息していた。
何かを言おうとしたのか、半端に口を開けたまま。
手には血糊の付着していない、綺麗なままの短刀を持って。
忍としては決して遅くなかった戦忍は、一方的に、かつ一刀の下に斬り捨てられていた。
佐助がその生命を危ぶんでいた、少年によって。
信じられない心地だが、それは視認した己の目を信じれば。
少年の動きは、忍のそれ以上に疾かったのだ。
「……あんた、何者?」
引きつった笑みを作りながら、あの無造作な斬撃で返り血一つ浴びていない少年に向け、問う。
血溜まりと、その脇に佇む少年の着物の白さが異様なものを感じさせた。
少年の目が、佐助を捉えた。
「だよ。。……名前訊かれたのなんて久し振りだ」
珍しいや、と少年……は、無感動に呟いた。
始めてみました佐助連載夢!!
プレイ前は光秀好きだったのに、ゲームプレイしてみて佐助が赤丸急上昇。良いキャラだ。
故に佐助連載夢なんて書いてる次第です。
補足ですが、文中に出てきた「旗印」という単語は敵軍の戦力などのデータの事を言います。
情報源は乱太郎。でも書く際に確認してないので正しいのかは一切不明!!(見れや)
ギャグ要素の一切無い第一話ですが、これからもギャグ出現率は著しく低いと思われます。
ギャグ要素求めて来られた方は回れ右をお勧めします。ええ是が非でも。
偽者オーラがぷんぷん……
戯
2006.2.14
2008.2.24 加筆修正
目録へ×進ム