鴻飛天翔 こうひてんしょう 第二話
「何してんの?」
毒のせいで満足に動く事も出来ない為、その場から少しだけ声を張り上げて問う。
それを聞き留めて、座り込んでいた少年……が肩越しに振り返る。
しかし、声をかけてきた佐助を確認すると、すぐに目を手元に戻した。
「解毒薬探し。忍なら万一の時の為にそういうのって常備してるんだろ?」
「あぁ、まぁね。今回はまるで役に立たなかったけど」
「だったら、尚更こいつが持ってる筈だ。他の解毒薬が効かない毒の解毒薬なら、取引の材料にもなる」
指摘されて、己の懐に入っている解毒薬に意識をやった。
暗器に毒が仕込まれていたと気付いて、直ぐにそれを試してみたが、に返した通り、まるで効果がなかった。
恐らくの指摘通り、彼らの持つ解毒薬でしか解けない毒だったのだろう。
そうして解毒薬を探しているというの手は、戦忍の骸の懐を探っている。
何とも奇妙な光景だ。
足軽や戦忍なら、金目の物を持ち去ろうとしたり、何かしら敵方の情報を得ようとする目的で、合戦場に転がる屍体を探る事もあろうが。
彼の格好は、そういった行動を取るには少々違和感がありすぎる。
職業柄、屍体を探る所など見慣れている佐助ですらそう思うのだから、やはりその様は余程似合わないのだろう。
「あった」
そうこうしている内に、骸の懐から引き抜かれたの手には、竹筒が握られていた。
予想通り解毒剤を持っていたようだ。
骸の傍から立ち上がり、動けない佐助の眼前に来て膝を折り、目線を合わせる。
先程その目の中に垣間見えた虚ろは、今度は確認する事は出来なかった。
「こんな入れ物に入ってるから、多分飲み薬だと思う。その状態見る限り致死性の物じゃなさそうだし、動きを封じるだけのものだろうな」
「拷問にかけたり…ね。要は死にゃしないってこったな。それ飲まなくてもしばらくすりゃ効き目は切れるって訳だ」
「死にはしないだろうけど、動けないってのは忍としちゃ不便だろ。見知らぬ奴だからって疑うのも分かるけど、飲んでおけ。飲めるか?」
「飲めないって言ったら?」
「口移ししてあげようか」
「……有難いが謹んで遠慮させてもらうよ」
相手の出方を窺う為に、試しに拒否してみたのへ、迷わず切り替えされてきた代案に苦笑する。
そして、何とか自由の利く左手で、目の前に差し出された竹筒を受け取った。
「鎧は脱げるか?」
「……一人じゃ無理だね」
右手が動かせないことに加え、立つこともままならないのだ。
この状態で一人で鎧を脱ぐのは難しいだろうと、そう思った。
思ったまま答えると、その返答にもさして困った様子もなくは、
「なら手伝ってやるから脱いで」
と言う。
どうやら傷の手当てをする気らしい。
抗う気すら起きず、促されるまま、解毒薬をひとまず地面に置いて、の手を借りながら防具を脱ぐ。
鎧から右腕を抜くのに少しばかり苦労したが、やがて上半身に纏っていた物が全て取り払われる。
直肌に感じる風は埃っぽかったが、それでも少しはほっとした。
「……痛々しいね」
背後に回って傷を確認したの、苦々しい声がする。
己の目が届かない背面に受けた傷の為、そこがどうなっているのか佐助には分からない。
ただの声から、思ったよりも深い傷なのだろうかと考えを巡らせるばかりである。
痛々しくない怪我とはどのようなものだろうなどと、揚げ足取りのようなことが頭を過ぎったが。
口にしても詮無い事であったし、折角手当てしてくれようという所に水を差すのも何なので黙っておいた。
そうして口を閉ざしている間に、少し首を巡らせて、脇に置いておいた解毒薬を手に取る。
蓋を開けて飲み口から覗き込めば、液体状の中身は至極鈍い色味。
果たして毒なのか薬なのか見た目では判断に苦しむものだ。
飲むべきか否か、一瞬躊躇う。
が、佐助は、一息にそれを飲み干した。
飲んだ後で、不思議に思い自問自答する。
会ったばかりの相手が差し出した、毒とも薬とも知れない物を、何故疑いも無く飲んだのかと。
が真実、竹筒の中身を解毒薬だと理解していたかどうかも疑わしいのに。
答えなど、出なかったが。
竹筒を口から離し、一息つく。
と同時に、佐助は傷口に何かが触れるのを感じた。
柔らかく、熱く、肌に吸い付いてくる感触。
それが何であるのか判断しかねて、振り向く。
至近距離にの頭があった。
肩口に添えられた、ひどく白く滑らかな手の甲が目に付く。
は佐助の傷口に唇を寄せていた。
吸い付いてくるように感じたのは、実際にそこを吸っていたからだ。
辛うじて見える、伏せた目から伸びる長い睫毛。
その姿に、釘付けになる。
やや間を置き、傷口から唇が離され、はおもむろに脇を向く。
傷口から吸い出されたらしい、暗い色の血が吐き捨てられた。
その血を見ていたの目が、ふとこちらを向いた。
血に塗れた口が動く。
「……どうした?」
「…あぁ、いや……」
傷口に口を寄せ、毒の混じった血を吸い出す。
一連の動作を惚けたように眺めていた佐助は、やや詰まりながら言葉を濁し、正面へと顔を戻す。
そして自分に言い聞かせた。
何のことはない、のした、傷口から毒の混じった血を吸い出す行動は、医療行為だ。
傷を受けてから大分時間が経っている為、効果があるのか分からないが。
それでもしないよりはましだと、手当てをしながら判断したのだろう。
佐助自身も、己の口が届く範囲でならやっている、珍しくない行為だ。
ただ今回は、怪我の箇所が自分では届かない場所であった為、が代わりに血を吸い出した。
それだけの事。
その何でもない処置を施しているの姿に、佐助は一瞬、目を奪われてしまった。
不思議に人心を引き寄せる瞳と、血の赤に彩られた白い肌、その口元に。
嫌だねぇ 全く
いかな性別の判断がつきにくい顔立ちとはいえ、相手は男だ。
そう頭では分かっている。
分かっているのに、肩にかかっている白い手を、握り返したい心地に襲われる。
俺様 その気はないっつーの
己の心情を否定し、目を逸らすように、佐助は正面を向いたまま口を開く。
背後のの存在も、強いて何でもない物のように考えるよう努めている。
「見知らぬ、しかも忍だって分かってる奴なんかを相手に、どうしてここまでしてくれるのかな、と思ってね」
「何かおかしい事してるか?」
「やってるこた正しいけど、忍だぜ?ここには人の目も無いし、俺があんたを任務の邪魔だって判断したら、恩を仇で返すかも知れない」
「……私を殺すか」
「ほら、そうやって分かるだけ利口なのに。何で俺に構うんだ?」
手を取ってしまいたくなるのは、此処が戦場だからだ。
合戦の狂気に触れて、神経が昂ぶりきっている所に、小綺麗な顔があったから。
頭が錯覚を起こしているに過ぎない。
そう自身に言い聞かせながら、に向ける言葉には、己が忍である事を強調する。
相手と自分の保身の為だ。
これで彼が身の危険を覚え離れてくれたら、佐助もそれを追う事はあるまい。
そうなれば、この妙な感情も、一時の気の迷い、錯覚だという確証を得たに等しいから。
しばしの沈黙の後、の手が佐助の肌から離れる。
人の熱が遠くなるのへ、佐助はほっとしもしたし、少し名残惜しい気もした。
だが直後、困ったように笑う「音」が聞こえ、
「退がれ、って叫んだろ?」
「え?」
理解を超える回答が返ってきて、思わず振り向く。
そこには、膝立ちになって、座り込んでいる佐助を苦笑しながら見下ろしてくるの姿。
表情は困っているだけで、怯えとか疑惑だとか、そういった佐助への不信感といったものは見られない。
はおもむろに袂から手拭いを取り出し、細く裂き出した。
裂き終えると、それを佐助の傷口にあてがい、脇の下を通してぐるぐると巻き始める。
その手つきにも、躊躇や無理をしている色がなくて、振り返っている佐助はつい唖然とした。
その視線の先で、「こんな所を止血なんてした事無いから上手く出来ないけど、勘弁してくれよ」と、が独り言のように呟いている。
「敢えて構う理由挙げるならそれかな。忍って奴は、殺そうと思ってる相手に危険が迫ってたら注意を促すのか?」
そんなお人好しの忍はいないだろう、とは断言する。
が巻き付ける手拭いが、佐助の脇の下を通る際、傷口に熱を覚えさせた。
毒のせいで痛覚が鈍っているのかだろう。
痛みの代わりに生じた感覚が熱だ。
肩関節の邪魔にならない所で、固くきつく裂いた手拭いの両端を結ぶ。
終わると、佐助の視線の先で、伏せがちになっていた目が上がる。
は佐助と視線がかちあうや、晴れやかに笑った。
内心に含む物の無いような、無垢な顔で。
「一瞬の判断で生じた反応こそ、その人の本質だと思わないか?」
佐助が戦忍に気付いてから得物が飛んで来るまでの時間は、ほんの僅か。
そこを指摘して、の目が佐助を覗き込んでくる。
彼の所作に作った所は見られない。
と、佐助の忍としての部分が判断を下した。
「……そういうモンかね」
「少なくとも私はそう思うよ」
戦場の狂気に染まった訳でも、巻き込まれた恐怖に呑み込まれたのでもない。
あるがままを受け入れながらも、決して引き摺られる事もない。
ただひたすらに、強く自己を保つ存在。
こんな人間が、何故こんな所にいるのか、気になった。
佐助程の忍ならこんなヘボい怪我しないと思うけど、ストーリーの関係上ってやつですね!!
(誰か戯に愛のツッコミを)
佐助がセクハラを受けました。ヒロインから。
ちなみにまだ佐助はヒロインが女だって気付いてません(何か変)
男だと思っている相手に、忍ならではの強い自制心をフル稼働。
自己鍛錬じゃ鍛えい佐助!!わははは!!
戯
2006.2.18
2008.2.24 加筆修正
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