あまつかぞえうた ふたつ




 の戦線離脱に伴い炎の壁は消失したが、入れ替わるように到着した援軍により戦局は白夜優勢へと傾いた。
防壁に沿って間断なく配備された白夜の兵は暗夜軍を圧倒。しばらく続いていた攻勢の気配も、やがて勝ち鬨に塗り替えられていく。

暗夜軍撤退の報せが砦を巡るのを聞いたのは、それから間もなくのことだった。





ツバキと別れたのち、追いかけてきた侍大将の案内で、ある一室へと連れて来られた。
恐らくは砦へ到着した当初通されるはずだった、のために用意された部屋だ。

様のご尽力もあり、此度の戦いで無事砦を守り切ることができました。戦後処理は我々に任せ、御帰城されるまでの間ゆるりとお休みください」

引き戸を開けてくれようとするのを大丈夫だと制して、仕事に戻るようにと促す。
侍大将は少しだけ驚いた素振りを見せたが、すぐに表情を改め、一礼して足早に去って行った。

背中を見送りながら、休みが必要なのは彼らの方だとは思う。
自分は敵兵のひとりだって斬ってはいないし、さして疲れた訳でもない。尽力したのは彼の方であり、砦に詰める兵達の方だ。

とはいえ、暗夜の侵攻を妨げる「壁」の役目は自分にしか担えなかったように、彼らには彼らの務めがある、やり方がある。「彼らのために」と自分勝手な理由で、普段関わらない者がへたに手を出してしまっては迷惑になりかねない。
助力を請われない限りは、その領分へは踏み入らない方がいいだろう。

せめて彼らが早く休めるよう、滞りなくことが進むようにと祈り、は目の前の戸へ手をかける。
頑丈でやや重さを感じる戸を、腕に力を込め引き開けて、


従姉ねえ様!」


踏み出した足が部屋の床につくより早く、弾けるような声に迎えられた。
目を瞬かせている間に声の主が小走りに寄ってくる。

立ち止まった声の主の、薄紅色の髪が揺れた。

「サクラ」

落ち着いてみれば見知った顔であることに気付き、来ていたの、と尋ねると、穏やかな眼差しに僅かな不安を滲ませて、声の主――サクラは小さく頷いた。

今の白夜には正統な王がいない。
敵国の陰謀に呑まれ白夜王が亡くなってからは、嫡子が成長するまでは残された妃が玉座を守っている。
その白夜王には男と女ふたりずつ、合わせて4人の子があった。
サクラはその末子――白夜王国第二王女であり、先だってを前線から引き離したツバキの主でもある。
また、白夜王の弟はの父であり、サクラは親戚関係にある自分を「従姉様」と呼んで慕ってくれる可愛い従妹だった。

ツバキがいるならサクラも来ているのだろうと予想はしていた。
内気で心根の優しいサクラはおよそ戦地には不似合いだが、優しいからこそ戦地に赴く。己の得意とする治癒の巫術で傷ついた兵を治療するため、役割を理解し恐怖を押し止める芯の強さで戦地に立つ。
そのサクラに危険が及ばないよう付き従い守るのがツバキらの役割だからだ。

「ツバキさんに聞きました、暗夜軍に向かって壁の上から飛び降りたって」

手にしたもの――祓串に縋るようにして、サクラが上目遣いにこちらを見上げる。
少しの間その眼差しと見つめ合い、

「……ああ、うん」

曖昧な返事をもって視線を逸らす。負傷した兵の治療目的で砦に来たのなら、戦が終わった今が一番忙しいだろうに、まるでこちらの到着を待ち構えていたようにこの場に現れた理由を察したからだ。

と別れたあとのツバキが、前線での出来事をサクラへ報告したのだ。
が取った行動を含めて。
報告を受けたサクラが飛び上がってのもとへ向かうだろうことも織り込み済みで。
過不足なく完璧に。

「びっくりして心臓が止まるかと思いました……。ひとつ間違ったら怪我じゃすまなかったかも知れないんですよ?ねえさまは時々思いがけないことをするけれど……今日みたいな危ないこと、もう絶対にしないでください」

こちらの身を案じての言葉に、ちくりと胸が痛む。
今日の自分の行動は、誰かが傷つくのを厭うサクラを不安にさせるものだった。我が身を振り返り実感として分かるからこそ、心優しい従妹の思いを受け止める。

「ごめんなさい、サクラ。心配をかけてしまったわね」
「ね、ねえさまが謝る必要なんて!危ないことはしないでもらえれば、私はそれでいいんです」
「……うん、努力はする、、、、、

危ないことはしない努力はするが、その願いに応えられるかは、今のには分からない。何せあれ、、は体が勝手に反応してしまったことだからだ。
同じような状況に直面した時、果たして自分はサクラの言葉を思い出して踏み止まれるのだろうか。

そんな考えも、安心したように微笑むサクラを前にしてしまっては、口にすることは憚られた。
喉まで出かかった言葉を呑み込んで、は話題を変える。

「ねえ、そろそろ部屋に入れてもらってもいいかしら?着替えたいのだけど」
「!ご、ごめんなさいっ」

ここまで片足しか部屋に入れていないことを主張してみせると、微笑みから動揺へ表情を変えて、サクラは跳ねるように横へと移動した。
指摘されるまでの前に立ちはだかっていることに思い至らなかったのだろう。
道を開けてからも狼狽えているサクラへ、気にしないでと伝えてその横を通る。

板張りの簡素な部屋だった。
元々防衛拠点としてのみ機能する施設のため、辛うじて畳一枚と脇息が調度品として置いてある程度で、華美な装飾などはない。

壁沿いに視線を巡らせると、隅の方に小さな行李が置いてあるのを見つけた。
歩を進めてその前で膝をつき、編み上げられた蓋を開けると、かすかに焚き染めた香が鼻を掠める。

中には衣が収められていた。

風吹きすさぶ前線に立ったことで、城を出てきた時から着ている戦装束は、今や叩けば土埃が落ちる程度には汚れている。
湯浴みのひとつでもしたいところだが、戦が終わったばかりの砦ではそれもままならない。
ならば衣だけでも変えたいと、先駆けとして城を出立する際に、後続の荷駄に頼んでおいた自分の着替えだ。

びた刀を置いて帯を解き、襟の留め具を外す。
袖を引き抜いたところで背後に気配を感じ、振り返るとサクラが立っていた。
が脱いだばかりの衣を受け止めて、

「手伝います」

動揺の余韻の残る顔で控えめに申し出るのを断る理由もない。素直に手を借りることにし、サクラの前に肌をさらす。
小袖を羽織らせてもらい、あわせを整えようとした、その時。

、入るぞ」

にわかに声がしたかと思うと、戸が開けられる音がした。

「リョウマ兄様っ!?」

目を向けるよりも早く悲鳴に近い声が上がったので、誰の訪問があったのかすぐに分かった。

背後にあった気配が訪問者のある戸口へ向かって飛んでいく。
腰紐を結びながら、離れていった気配を目で追うと、

「いま来たらダメですっちょっと待っててください!」
「む、着替え中だったか」

戸口の前で立ち塞がるサクラの頭越しに、訪れた男と目が合った。
少しでも遮ろうとしてか懸命に背伸びをする華奢な体は、いかんせんそもそもの身長が足りていない。
何に阻まれることもなくかち合った男との視線に通じ合うものがあり、互いに苦笑をこぼしてから立ち上がる。

「サクラ、ありがとう。もう平気よ」

近付いて声をかければ、先程の前に立った時よりも狼狽した顔が振り返る。
うっすら頬を紅潮させて目を潤ませる様は見れば愛らしくもあったが、いつまでもそんな状態でいさせるのも可哀想なので、両手を広げて小袖を着たことを示してみせると、サクラの肩から力が抜けていくのが分かった。
安心したのを見届けて、は言葉を続ける。

「こちらの手伝いは大丈夫。サクラは怪我人の手当てに行ってあげて」
「でも……」
「私を心配して、御役目の途中でここに来たのではなくて?サクラの治癒を待っている人がまだいるなら、優先すべきはそちらの方よ」

サクラは思案気に目を泳がせて、背にした男を振り返る。窺うような眼差しを受けた男は意を汲んで、力強くも優しい顔で頷いた。
負傷者を癒す御役目と身内を案じる気持ち。両者の間で身の振り方を決めあぐねる少女へ、心配するなと言い聞かせるように。

その泰然とした姿にサクラの決心もついたようで、

「分かりました。それじゃあ私は、兵士の皆さんの手当てに戻ります。ねえさま、さっきの約束忘れないでくださいね?」
「分かってる。忘れないわ」

くれぐれも無茶はしないで欲しいという念押しに、応じる言葉はどことなく上滑りする。心にもないとはこのことだ。
男の目がちらりとこちらを見たが、サクラは気が付いていないようだった。



* * *



部屋を後にし、ぱたぱたと軽い音を立てて小さな背中が遠ざかる。

「間が悪かったな。着替えていたとは思わなかった」

その姿が角の向こうに消える頃、先に口を開いたのは男――リョウマの方だった。

リョウマは現白夜軍の総大将でありサクラの兄、白夜王国第一王子である。
白夜王を偲ばせる風格と才気を併せ持ち、周囲から向けられる次期白夜王としての期待を一身に受け、期待以上のもので応えつつ、残された「母」ときょうだいを支え立ち振る舞ってきた、頼もしくも優しい男。
幼少の頃より他のきょうだい達に混ざり多くの時間を彼と共に過ごしてきたにとって、彼は嫡流の長子である以前に歳の近い友人のような感覚がある。

頭ひとつ分高い位置にある、赤い面当めんあてをつけた顔を見上げると、短く「すまん」と悪びれた様子もない謝罪を受けた。
もとより彼相手には着替えを見られて気にする仲ではなかったし、彼もそこは理解した上でのこの態度だ。は肩を竦めてその言葉を受け流す。

「話は着替えながらでもいい?」
「ああ、構わん」

念のため確認すれば予想通りの答えだったので、ならば遠慮なく、と踵を返して行李の元へ戻る。
ひとえを手に取った背後で部屋に入る足音と、畳に腰を下ろす気配がした。

「今日はサクラの付き添い?こんなに遠くに来ることなかったものね」
「来させるつもりはなかったんだがな。ねえさまが心配だから行かせてくれと頼みこまれてしまった」
「あら」
「来てみればお前が単身敵に突っ込んだというじゃないか。
サクラの心配は正しかったというわけだ」
「まあ」

単のあわせを整えながら、そうね、と適当に相槌を打つ。
サクラの耳にも入っていたことだ、リョウマが知らないはずはない。

「何があった?」

僅かに声の調子を変えて問うてくるリョウマに、は着替えの手を止める。
友としての雑談はここで終わり。これよりは白夜軍総大将として話す合図を感じ取ったからだ。

まだ他愛のない話をしていたかったが、「総大将」の顔になった相手にわがままも言ってはいられない。
天井を仰いで息をつき、名残惜しむ気持ちを切り替える。

とはいえ、どう説明したものか。敵に向かって飛び降りた当時の状況説明を求めていることは理解できるが、言葉で説明するとなるとなかなか難しい。

背にしたリョウマへゆっくりと向き直りながら、「あの時」の記憶を掘り起こして言葉を紡ぐ。

「……炎の壁を断ち切った騎士がいたの。防壁の上からそれを見た」
「断ち切った?『ホアカリ』の炎をか?」
「ええ。横薙ぎに」

眉を顰めるリョウマへ向かい、差し出した手刀を横へ引く。
今こそ何もないが、の頭の中にはあの時の光景が描き出されている。

「立派な鎧を着た陽の色の髪の男よ。赤い目をしていたから、あれは暗夜の王族かしら。すごく驚いて……気が付いたら防壁から飛び降りてた」

千切れた炎。
焼けた大地。
煙を含む風。

話すうちに明瞭さを増す記憶の風景の中で、なお鮮烈な印象を残していった男。
あの眼差しを反芻する度に、まるであの場にいるかのように胸が高鳴るのだ。

目を閉じて、瞼の裏に映るあの男と対峙する。
届かなかった腕を伸ばし、ああ、とは理解する。

あの首を、陽の色の髪を。
この腕に抱けたら、どんなに幸せなことだろう。

「多分、私は……あの首を手にしたかったんだわ」

瞼に映る姿を掴めるはずもなく、空を掻いた手を握り合わせる。
僅かな失望を胸に目を開けると、リョウマは思案気な顔をしていた。

「断言はできないが……それは恐らくマークス王子だ」

はまじまじと見つめる。

「……知っているの?」
「ああ。暗夜の王子は2人いるが、『ホアカリ』の炎を斬ったなら神剣を持つ兄のマークス王子の方だろう」

白夜王の跡継ぎとしての知識を備えているとはいえ、あの少ない説明で解を導きだすとは。少なからずそういう驚きがあった。
もっとも、それが正しいかどうかは当人に尋ねてみなければ分からないことだが、まーくす、と教えられたばかりの単語を口の中で繰り返すと、すとんと腑に落ちる感覚があった。

「リョウマ」

身を乗り出すようにして、リョウマの名を呼ぶ。

「次に暗夜軍とまみえる時は……マークス王子の相手は、私に譲って頂戴」

先刻は果たせなかった、あの首を両のかいなに抱くため。
一番駆けに名乗りを上げると、リョウマはしばし考えて、

「状況次第だな。俺が先にマークス王子と行き合ったなら、その時は諦めてくれ」
「あら、譲ってはくれないの?」
「首取り合戦は早い者勝ちだ」

ひとつ頷き、提示してきた条件に、は目を丸くする。

陣の後ろで戦局を見るべき総大将であるというのに、リョウマは自らも「首取り合戦」に参加するつもりなのだ。

腕を組んで胸を張り、笑ってみせる姿は自信に満ちて、首が欲しいならやってみろと言わんばかりに挑発的で。
虚を突かれただったが、やがてリョウマに応えるように笑いかける。

「じゃあ、どちらが早く辿り着くか競争ね」
「負ける気はせんな」
「私の台詞よ」

眼差しで牽制し合い、一拍置いて噴き出すように笑う。
「総大将」から「友」に戻った瞬間、知らず張り詰めていた場の空気が緩んだのを感じた。

笑いが収まってから、体を捻って行李へ手を伸ばし、中からうちきを取り出した。
茜色の生地に紅葉の刺繍が散りばめられた豪奢な意匠のそれを羽織りながら、は立ち上がる。

「少し出てきていいかしら。風に当たりたいの」
「ああ、なら俺もそろそろ砦の様子を見に行こう。邪魔をしたな」
「いいえ。楽しかったわ」

裾を整える間に腰を上げたリョウマが、先に出口へと向かう。
も続き、部屋を出たところで軽い挨拶を交わしてリョウマと別れた。

白い陣羽織に総髪の揺れる背中を見送る。
幼少の頃よりもずっと逞しくなったその姿に、民は在りし日の白夜王を重ね合わせるのだろう。
けれど今この時のは、別の人物が頭を去来していた。

「……マークス王子」

覚えたての名を改めて呟く。
年の頃はリョウマと同じくらいか。だとすれば背格好も似たようなものだろう。
あの首を取るにはどう動くべきか。
リョウマの背中をマークスに見立て、いつか来る日にどう動くべきかを考える。

そこではひとつの忘れ物を思い出した。

「あ……『ホアカリ』」

リョウマにつられるように出てきたことで、部屋に『ホアカリ』を置いて来てしまった。
自陣の敷地といえど、手元から離してしまうのはあまりよろしくない。
部屋から出たばかりだが『ホアカリ』を取りに戻るため、は踵を返し、


公女、でございますかな」
「え?」


至近距離に誰かが立っていることに、気付くのが一瞬遅れた。

理解が及ぶ前に鳩尾を鈍い衝撃が襲う。
呼吸が詰まり態勢を崩したところへ、伸ばされた手に首を掴まれた。
抵抗する間もない。まずい、と思った時には既に首筋を押さえられて。


呆気なく、の意識は飛んだ。










二つ ふうらり 立ち出でて

2018.12.30