町も家も木も人も大きな『怪物』に壊されて倒されてころされて
親だった物から流れ出るまだ温かいあかい液体に濡れてなす術もなく泣いていたのが
自分が覚えている中で一番古い記憶




















 親だったものに覆い被さられ、くぐもった自分の泣き声をどれだけの間聞いていただろう。
このまま死んでしまうのではないかと思っていたその時、急に目の前が明るくなった。
同時に、息が出来ない程の血の匂いも、遠く離れていった。

不思議に思って上を見上げると、知らない人が驚いた顔でこちらを見ていた。

あなたはだあれ?


      こっちに子供がいたぞ! まだ生きてる!


知らない人の大きな声が、一度は薄れた怖さを呼び戻す。


「ふぇ」


鼻がつんとして、涙がこぼれそうになった時。
また別の知らない人が来て、こちらを覗き込んできた。
白くて長くてぼさぼさの髪の、お父さんよりも体の大きな人。

この人は大きな声は出さないで、大きな手で優しく抱き上げてくれた。


      こんな所にジャパニーズの子供か…親はどうした? …そうか
      いや あそこは閉鎖的な所だ 子供でも余所者だと冷たくあたるかも知れない
      コロニーよりはいっそ外で生きた方が… ああ 俺に一つアテがある


白い髪の人と大きな声の人との話を、意味が分からないながらもじっと聞く。


「お前は戦場に出すにもガキすぎるからな…。安心しろ、お前が安全に暮らせる場所に連れてってやるからな」


…お父さんとお母さんはどこへ行ったのだろう。
きょろきょろと目を配って二人の姿を探すと、白い髪の人は困ったような哀しいような顔をした。

その時は自分が幼すぎて、その人がどうしてそんな顔をしたのか分からなかったけれど。
表情の理由が漠然と理解できたのは。
壊れた町を離れて、白い髪の人に連れて行かれた家に住み、色々な事が分かるまでに成長してからだった。


      ジャパニーズの子なんだって? 安心してくれ 私の口の堅さは知ってるだろう
      妻も子供が持てると喜んでいたんだ 妻の喜びを失うような事 するものか


白い髪の人と話す、白い服を着た人は、にこにこと笑いかけてくれた。


「こんにちは。今日から私が君のパパだよ。お名前言えるかな」


幼かった自分は聞かれている意味が分からなくて、答えられずにいると。
うーん、と困ったような顔を見せたあと、またすぐに笑って、


「…じゃあ、私達の子供になるのだから、私から君に名前をあげよう。君の名前は   


自分の名前も満足に言えない小さな子に、何度もその名前を繰り返し教えた。

与えられた名は
その人の姓は


それが、という名を持った『私』の誕生であり。
今では曖昧に「あった」としか記憶に残っていない、本当の親から貰った名前を失った瞬間だった。















 まだ物心もついていない小さな頃、が引き取られたのは、夫婦二人が経営する小さな研究所だった。
研究員も僅かしかいないそこで、は育てられ、成長した。
残念ながら、研究所を家としながらもその研究にはあまり興味を持てなかったが。
父と母が取り組んでいる物だから、応援する気持ちは人一倍強かった。

研究員達は皆優しくしてくれるし、夫婦とも実の親子と変わらない生活をしている。
血は繋がっていなくとも、自分は彼らの子供だと胸を張って言える。
郊外にある研究所から少し歩いて町へと出れば友達もいた。

には不自由な事など何一つ無かった。

ある時期から、父親が何事か考え込むようになるまでは。




いつからかは覚えていないが、気が付くと父はいつも悩んでいるようになった。
外から帰ってきても研究所にいても、話しかけて返ってくる言葉は少なく、目が合う事も稀で。
どうしたのかと問えば、何でもないと笑い返してくれたが、それが寧ろ心配だった。

母は普段通りに振る舞っているようだったけど、父に話を聞いていたらしい。
一人きりになると、表情を曇らせて溜息を吐いているのを、は幾度か見かけた事があった。

研究が行き詰まって落ち込んでいるのではない。
そういうんはよくある事で、父はいつも明るく笑い飛ばしていたのだから。

仲睦まじく、自分を慈しんでくれる父と母が大好きだった。
その二人が暗い顔をしているのが、には我慢出来なかった。
自分に出来る事があるならしてあげたい。
そして父の悩みを取り除いてあげられれば、という想いは日に日に強くなり。

ある時は決心して、父の元へと赴いた。

どんな事だって、私に出来る事があるなら力になるから。
何があったって笑い飛ばせる、だって私は父さんの子だから。

だから話を聞かせて欲しいと、父を元気づけるように、顔一杯に笑って手を握ると。
最初は戸惑ったように揺れていた父の目が、躊躇いがちに見返してきて。

やがて、驚かないで聞いてくれと前置いて、力強く手を握り返される。
の決心に父が応じた証であり、はゆっくりと頷いた。


      今研究所では ギア細胞の研究をしている事は知ってるね ?
      それが実用段階まで来ているんだが…


父達が行っている研究は、がまだ幼い頃から進められていたものだった。
最終的な目的としては、ギアの本能とも言える殺戮衝動を極限まで抑えたギア細胞を人体に投与し。
ギア化を抑制し、元の人格を残したまま、ギアの驚異的な身体能力を手に入れられないか、という事だ。

その研究に着手するに至った発端には、今日まで続く人類とギアとの戦争、「聖戦」があり。
その聖戦に巻き込まれ、生みの親を失ったの存在があった。

自分達の許に引き取られたのように、親を失った子がこれ以上増えて欲しくない。
その為の力を、人類も手に入れる事が出来れば、それが人類の希望になる。
きらきらとした顔で語る父達の思想は、これまで何度も聞かされていた。
きらきらとした顔で父が語るのを聞くのが、楽しみだった。


      それが 人体への投与実験に至って行き詰まってしまった


老若男女、遺伝子レベルで分けられる様々な人種を集めては、人体へ投与していった。
しかし投与したギア細胞は、奇妙な事に人体へ根付くことなく死滅してしまうのだという。
目覚めた人間は、投与前と変わらない「普通の人間」だった。
或いは、少数ながら目覚めることなく、強い拒絶反応により死に至った。

理論上、研究していたギア細胞は完成していた。
なのに何故、上手くいかないのか。
これが成功しなければ、自分の子や未来の子供達、その親の希望が、全て水泡に帰してしまう。

父は実験結果を振り返り、何か見落としがないか必死に探した。
そして、ある一つの「穴」に気付いた時、愕然としたという。


      ジャパニーズなんだ……


正しくは、ジャパニーズに多く見られる遺伝子を持った人種には、まだ実験の手が及んでいない。
そう言って見上げてきた父のあの苦しげな顔を、は忘れない。

コロニーで保護されていて、会うのも難しい人種。
日常生活とはまるで関わりのない相手で、実験対象として考えてもいなかったけれど。
その父の目の前には、自分がいたのだ。
コロニーの保護の手を逃れ「外」で暮らしていた為に、ギアの襲撃で親を失った、ジャパニーズである、が。


      許してくれ 


我が子として育ててきた、しかもギアに親を奪われた子に、ギア細胞を投与するなど。
少しでもその考えが過ぎった自分が恐ろしい、と。
父は手を握り締め、神に懺悔するように呟いた。

こうしている今も、父は悩み続けているのだろう。
人類の希望となり得る研究の成否が、目の前の我が子が握っているようなものなのだから。

父をじっと見つめる。

自分の研究が、人類の希望になると、きらきらとした顔で語る父。
その父の話を聞くのが、好きだった自分。

聖騎士団に救われた自分を預かり、我が子のように育ててくれた父と母。
本当の両親の顔を覚えていない自分にとって、今の両親こそが本当の親だった。

この人達の為に働けるのなら。
死の危険があるものに挑む事さえ、誇りだと思った。


      私 実験受けるよ 父さん
      大丈夫 私は父さんの子だもの
      私は死なないし ギア細胞だって死なせない


躊躇う父が決意出来るように、満面の笑顔でその背中を押す。
父の手に込められる力が強くなったのは、惑っていた心が定まった証。




麻酔をかけられ、視界がぼやける。
すぐに訪れるだろう暗転を待つ間、記憶に焼き付けるように見つめ続けた。
泣きそうな顔で見下ろしてくる、父の顔を。




目覚めた自分に、実験は成功だと、父は言った。
そしてもう二度とこの実験を行う事はないだろう、とも言った。

この細胞は、使う人を選ぶから、と。
それ故、望んでいないのに投与を受けさせられる人が出てしまうかも知れないから、と。




初めの頃は、右目がギアのような赤色になっているのを鏡で見るぐらいしか、変化を自覚する術はなかった。
その自覚が明確になったのは、ふとした拍子に切った指の傷が瞬く間に塞がっていくのを見た時。
ギアの驚異的な自己治癒力の片鱗が、自分にも宿っていると知った。

そして後になって、自分の体が成長を止めた事を知った。
両親や研究員、友人がどんどん歳を重ねる中で、自分だけがいつまでも実験を受けた時のままだった。
いつまでも若いね、と事情を知らない友人達は羨ましがってきたけれど。
折を見て、研究所の外へ出る事は止めた。
実験はもう止めたのに、どんな噂が立つか分からなかったから。

研究所の中だけの生活も、周りの人が優しかったから楽しくやってこれた。

ただ、流れていく時間の中に、自分だけが取り残されている。
それだけが、少し、寂しかった。















 研究所に、人が訪ねてきた。
ドアの陰から覗き見たその人達は、きちんとした身なりで礼儀も正しかったけれど。
慇懃すぎる態度の裏には、何か得体の知れないものを感じられた。

固い表情で応対する父とその人達との会話から、ちらりと『終戦管理局』という単語が聞き取れた。

何だろう、ともっと話を聞こうと身を乗り出した所で、ぐい、と母に引っ張られた。
そのまま強引に研究所の裏口へと連れてこられ、肩を掴まれる。
母の顔もまた、玄関で応対している父と同じく、固い。


      ここから逃げなさい 


手に、細かな装飾が施された金属の塊と、僅かな荷物を渡される。
事は一刻を争うという事だけは理解できたが、いきなりここから逃げろと言われても素直には従いかねる。
背中をぐいぐい押して裏口から追い出そうとする母の手に踏ん張って抵抗する。
何故逃げなければならないのかと、悲鳴に近い声で訊いた。

雰囲気に呑まれてしまっていたから、だけなのだろうか。
果たしてそれだけが理由だったのかは、今はもう、知る事は出来ない。

母の手の力が弱まった。
少しの間を置いて、ぽつりと落とされた母の声。


      あなたを…いえ あなたの実験記録を欲しがっているの 彼らは
      もう終えたあの研究を 彼らが何を目的として欲しがっているのか分からないけど
      多分 きっと 良い事ではない 私達にとって


母の手が、子供の体を抱く。


      あなたを 私達の子を 終戦管理局の「道具」にさせられる訳がない


気付いてみれば、最初の一言が耳に触れた時から、体の自由が利かなくなっていた。
怖かった。
母の声音に潜められている、覚悟が。

母は、何をするつもりなのか?


       お母さんと約束 して頂戴
      終戦管理局の手から 何が何でも逃げて 生き延びるって


生き延びる。

緩やかに腕を離していた母が、その言葉を口にし終えたと同時、思い切り背中を突き飛ばしてきた。
裏口は開け放たれている。
突き飛ばされた勢いのついた体はそのまま外へ出て、勢いを殺しきれず転んでしまった。


      行きなさい !!!


起き上がろうとした背に、母の強い口調が突き刺さった。
刹那。




強い法力が、放出される気配がして。
次いで轟音が巻き起こり、同時に吹き付けた暴風に押され、起きあがりかけたが更に吹き飛ばされた。




顔を上げるよりも前に分かっていた事態。
その光景を目にした自分は、きっとみっともない顔をしていただろう。

研究所は一瞬の内に、火柱に飲み込まれていた。
母と父を道連れに。

母の覚悟はこれだったのだろう。
父も恐らく分かっていた事。
研究の記録が終戦管理局の手に渡ってしまう前に、研究者ごと、、、、、消し去ってしまえと。

自分だけが知らされていなかったのは、それが二人の意志だったから。

不老の体、改良を加えたギア細胞の保有者、生きた実験記録。
それらが残ってしまう危険を知りながらも、自分を裏口から逃がした理由。

二人の、子供だから。




呆然としていた体が、よろよろと立ち上がる。
何も考えられなくなっていた頭が、直前の母の言葉に従い、動き出そうとしていた。
「私は、生き延びなければならない」。




研究所を出る時に渡された金属の塊が「銃」というもので、法力を発射するよう改良を加えられた物で。
法力の扱いが下手な自分が、膨大な法力を護身用として転換できるようにと、用意されたものだった。
これがあったという事は、父も母も、いずれ研究が狙われると分かっていたのだろう。

逃げる内に心は定まっていった。
父と母が自分に望んだ、「終戦管理局の手を逃れ生き延びる事」。
親に言われたから、ではなく、きちんと自分の意志として行動していこうと、決めた。




そうしては、テスタメントに会うその日まで。
先の見えない逃亡生活を送っていたのだ。




















日本人は新旧モンゴロイドが混じった人種だと、いつぞややっていたテレビで聞いたもので。
それをここで使ってみました。

ヒロインがどこかで呟いてた「生きる」とか「走り続ける」とかの種明かし編。
前回冒頭の会話は『終戦管理局』の面々でした。
あれが長年ヒロインを追い続けている輩で、ギルドに賞金首として申請した奴らです。
ヒロインはお父さんお母さん大好きッ子。
そんなヒロインをここのお家に預けたのはクリフさんという密かな設定。



2006.3.3
2008.11.1 加筆修正
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