そこに書かれた1つの言葉が、男を動かす。


「……黒科学ブラックテック……」


視線を上げるや、今まで見ていた紙を握り潰す。
赤い鉢金の下から鋭い赤茶の目を覗かせ、男は歩む。

その足の向かう遙か先には、1つの森がある。

黒科学を有する者が潜む、森が。





















 適当な木を選んでその下に腰掛け、水筒に入れてきた熱い紅茶を注ぎ、口に含む。
抜けるような青空の下でのティータイム。
水筒のコップという事で少し格好はつかないものの、それなりに洒落た感じがする。


「テスタメント、紅茶入れるのもうまいなぁ……」


水筒の紅茶はテスタメントが淹れてくれたものだ。
テスタメント自身はあまり食べないのに作ってくれる料理もまた、非常に美味しい。
尊敬の念を抱かない事もない。

幸せに浸りながら、再び一口。
ほう、と息を吐いて、少し冷たい風に冷えた指先をコップ越しの温もりに当てる。




さく、と。
草の踏まれる音がすると同時、顔に吹き付ける風の温度が、高くなったような気がした。

リラックスしていた頭を呼び起こして、音のした方を顧みる。
一人の男が立っていた。
赤いジャケットに赤い鉢金。
そういう外見の要素だけではなく、何故か「赤」を連想させる雰囲気がある、逞しい体つきの、目つきの鋭い男。

少し怖くて、警戒から眉間に皺が寄る。


「テスタメント……奴の知り合いか?」


先程の独り言が聞こえていたのだろう、男の何故か驚いたような問い掛け。
それを聞いた途端、眉間の皺が解消されるのを自覚した。


「ひょっとしてテスタメントとお知り合いの方ですかっ?」


図らずも勢い込んで問い返してしまったのに、男が渋い顔をする。
警戒の色も露わだった相手が、掌を返すように満面の笑顔と明るい声で話しかけてくれば、戸惑いもするというものだろう。
訊いてしまってから、自分のテンションの明らかな変わりように驚いたけれど。
ここばかりは自重できない。

渋い顔ながらも、の問い掛けに男は「そんな所だ」と答えてくれた。
期待通りの答えに、嬉しさで笑みが深くなる。
以前一緒に暮らしていたという子がここを去って以来、ずっと一人でいたと思っていたが。
こうして訪ねてきてくれる人もいるじゃないかと、そう思ったら嬉しくなった。

コップを置いて慌ただしく立ち上がり、ぺこりとお辞儀する。


「私、テスタメントにお世話になってるって言います」
「………ああ」
「あの、お名前伺ってもいいですか?」
「………ソル」
「ソルさん、ですね。よろしくお願いします」
「………ああ」


一応返事はしてくれるものの、随分と答えの歯切れが悪い。
元々無口な人で、こっちが話しかけるのに頑張って合わせてくれているのだろうか。
だとしたら申し訳ないな、と思い、質問攻めだった口を閉じた。

そこを見計らったようなタイミングで、突然強い風が吹いた。
目の前を舞い上がる草の切れ端を反射的に目で追う。

途中で、ソルの姿が視界を通り過ぎた。

視野が広い。
その中で、ソルの赤茶の目がこちらを見ているのが解った。

ざっと音がする勢いで、顔から血の気が失せる。
視野が広くなったのは、右目を隠していた前髪が風に吹き上げられたからだ。
考える余裕もなく素早い動作で右目を覆い、俯く。

ソルと目が合った。
確実に、ギア細胞が体内で生きている証である赤い右目を、ソルに見られた。
意識すればするほど、心臓が耳にあるかのように、脈拍が大きく聞こえてくる。

たとえ、テスタメントの知り合いだったとしても。
ギア細胞を埋め込まれている事と知られるのは、怖い。
嫌だ。
研究所を離れてから知り合った人達の、身の上を知った後の反応が刻み込まれているから。

目を隠した手が震える。
ソルの反応を見るのが怖くて、きつく目を瞑る。


「……間違いないようだな」
「…………え?」


耳へ届いたのは、思いもしなかった言葉。
怖いと思っていたのも忘れて、つい目を開き顔を上げる。

微動だにせず真っ直ぐ見てくるソルの手に、大きな金属の物体があるのに気付いた。
四角く肉厚のそれで、とんとん、と肩を叩いてみせる。


「……ソルさん?」


ソルの名を呼ぶ声に反応するように。
吹く風の温度がまた、じわりと上がった気がした。















 何故1人で出歩かせたのか。
事が起こった今になってはどうしようもない事を悔やみながら、テスタメントは森を疾走した。

簡潔に述べるならば、油断していたのだ。
の法力と、それを弾に変える銃があれば、大抵の難事は退けられると。

この人物、、、、の到来など、全く予期していなかったから。


「何故貴様が……!!」


思いがけず感じた気配に、血の気が引くという感覚を久し振りに覚えた。
隠す努力など微塵もしない、灼熱のように烈しい気配。
この気配の主と関わるとろくな事がない。

は、風が冷たいからと持たせた紅茶と共に、日課の散歩に出ている。
もしあれ、、と出くわしてしまったら。

悪い予感ばかりが頭を過ぎり、杞憂であってくれと願いながら駆けて、行き着いた先の光景。

別個に見慣れた姿が二つ、対峙していた。


「ソル!!!」


殺意さえ込めて大喝を放つ。
鋭い目がこちらを射抜くのに構わず、走りながら武器を現し構える。
両者の間には戸惑った顔のが。


「テ、テスタメント……どうしたの?」


ただ事ではない様子で駆け寄せてくる相手に、悠長にもそんな問いかけをしてくる。
戸惑いはあるものの、に警戒の色はない。 まだ何も起きていないようだ。
けれど。


      遅い


急にその言葉が脳裏に閃いた。
考える間もなく、体が動くに任せ、至近距離に迫ったの腕を勢いのままに引き、立ち位置を入れ替えた。
腕を引かれ慌てた声をあげ、体勢を崩すを気遣う余裕も得ぬ間に。

刹那の差で生じたのは、膨大な法力。
ソルが放った、法力の炎であった。

真っ直ぐ向かってくる炎に、すぐさま大鎌の柄と腕とで壁を作る。
大鎌と腕とに当たった炎が肉を焼く、その熱と臭いに、食い縛った歯の間から呻き声が漏れる。
壁に阻まれて炎は四散したが、その勢いはテスタメントの体を押し、靴が地面を削った二本の跡を残す程だった。

熱気が辺りに立ちこめる。
背後で、身を起こしたが息を呑むかすかな音が聞こえた。


「テスタメント!!」
「来るなっ!!」


腕を炎に焼かせたテスタメントに気付き駆け寄ろうとするのを一喝する。
竦んだように立ち止まった事を背で確認して、焼けた腕を下ろし、正面のソルを睨め付けた。


「手出しはさせない。去れ!」
「…ギアは、斬る」


短い言葉、明確な意思表示。
「封炎剣」を無造作に構えるソルに退く気がない事を知る。
すぐに立ち去るぐらいなら最初からここには来ないだろうと分かってはいたが、苛立ちは拭えない。
やはりこの男は嫌いだ。

背にしたの気配が変わったのを感じ、肩越しにその姿を一瞥する。

は、髪の下に隠されている右目に手をやっていた。
その手は微かに震え、露わになっている左目は大きく見開かれている。

ソルは何かを目的として……何を目的として来たのかなど知りたくもないが……と会った。
そして何かの切っ掛けで、の右目を見たのだろう。
それだけの事が分かれば十分だ。

ギアの抹殺に異様な執着を見せるソルは、に剣を向けようとしている。
自分がもっと早くこの場に駆け付けていたら、この事態は避けられたのか。


      


起こってしまった今となっては、そんな事考えた所で無駄でしかない。
後悔を腹の底へと飲み込み、ソルと対峙した。


、ここを離れろ。出来るだけ遠くへ」


背のへ逃げろと促す。
今や彼女を狩るべき対象と見なしたソルから守るには、本人に離れてもらうのが一番良い。
安全な所へ逃げるまでの時間稼ぎをするのが、自分の役割だろう。


「行け!!」


戸惑ってばかりで動こうとしないへ、鋭い命令口調で飛ばし、地を蹴りソルとの距離を詰める。
一瞬で近付いたソルの顔との間に、大鎌と剣とが火花を散らし鬩ぎ合う。

弾けるように互いに距離を取った時振り返ってみると、小さくなるの背が映った。
これでソルが直ぐに手を掛ける事は出来なくなった。
少しだけ安心する。

そもそもリスクランクSのギアのそれに、彼女にこれからの戦いを見せたくはない。
形見だ、と言いながら、大事そうに銃を胸に抱えた時に垣間見せた表情。
人の目を避ける生活を続けながらも、心の支えとなる物を失ってはいない、顔。
そんな顔が出来るなら、血腥い情景など見ない方がいい。

はっとして、体の前で構えた大鎌を握る手に力を込める。
刹那、重い衝撃が走り、踵が地面を抉った。

ソルの鋭い目が近くある。


「お前が護りきれるのか?」


落とされた言葉は絶対の自信。


「護ってみせるさ」


答える声は、退く事など考えもしない決意。

互いが弾かれた瞬間吸い寄せられるようにまた距離が縮まり、一際高らかなとよみと火花が大気を切り裂いた。















 剣戟の音を背にして、聞こえなくなる所まで走り続けて。
動力の切れた玩具のように、は走るのを止めた。
ここまで来た所で急激に押し寄せてきた様々な思考が、前にも後ろにも進めなくさせていた。

最初に胸に過ぎるのは母との約束。
『生きろ』と、呪縛となった言葉と形見の銃をに託し別れた、母の最期の願い。
自分が今こうして生きている最大の理由であり、存在意義でもある。

だからこそ、テスタメントが言ったように、この森から早く離れなければいけないと頭では分かっているのに。
いざ足を動かそうとすると、心のどこかで待ったがかけられる。

足を止めてしまう理由は分かっていた。
『母との約束』にすら匹敵し、抗うように己の奥底からこみ上げてくる強い感情があるからだ。
両親と暮らした時間や長い逃避生活に比べたら、格段に短い関わり合いの中で生まれた、感情が。


      戻れ


それが、母の言葉など忘れ思うままに行動しろと囁いてくる。


「私…どうすればいいの……」


母の言葉と、テスタメントの存在。
二者の狭間で揺さぶられ、気付けばは震えていた。

自分はどちらを選ぶべきなのか。
どちらを選びたいのか。

それを決める切っ掛けが掴めないまま、時は刻々と過ぎていく。




背後の方で痛烈な気配を感じた。




全身に鳥肌が立つ。

二つの大きな法力がぶつかり合った余波が、遠く離れたここまで届いてきた。
テスタメントが自分を逃がす為に戦ってくれているのを改めて知る。
そう考えると同時に、ソルが放った炎を思い出した。

全てを焼き払い焦土へと変える紅蓮の炎。

怖くて恐くて、視界が白く霞んでくる。
そのまま倒れてしまいそうで、踏み留まろうと身を掻き抱いていると。




ある一瞬で、二つの気配の内片方が、ふっと掻き消えた。




どちらの気配が消えたのかまではには分からない。
ただ、胸を締め付けるようなこの不安は。


「テスタメント!?」


咄嗟にその名が口を突いて出るのと同時、動かせずにいたのが嘘のように、足が今来た道を辿り出していた。
直前まで棒のように固まっていたのが、一体何故。
走る足は止めずに、しかし戸惑い、疑問に対する答えを自分の中に探して。


      そうか 私は


すぐにその答えへと行き着いた。


      母の言葉よりも テスタメントを選んだんだ


ゆらゆらと揺れていた心が、あるべき場所に収まったような安心感があった。

母との約束を反故にしたい訳ではない。
けれど、テスタメントの所へ行きたいと、の心が叫んでいる。

今来たばかりの道を見据える。
その眼差しは、まっすぐと前を向いていた。




















テスたん以外の公式キャラ初登場。最初で最後です(笑)
あと両親大好きッ子には変わりないですが、ヒロイン親離れの回。
「どこの馬の骨とも知れん奴にうちの娘はやらん!!」とか思ってれば良いと思いますヒロインのパパ。
どこの馬の骨って、元聖騎士団団長クリフさんの息子さんですが。

糖度が著しく低いのが基本スタイル!!



2005.3.10
2008.11. 加筆修正
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