にわかに女が銃を取り落した。
「ッ!『法皇の緑』!!」
がちゃりと金属質な音を立てて落下したのを花京院は見逃さず、スタンドの触脚を操り、自分の手元へと引き寄せた。
女は阻もうとする動きさえ見せず、その場に立ち尽くしている。
阻もうとしなかったのではなく、出来なかったと表現した方が正しいのかも知れない。
何故ならだらりと下げていた手で女はおもむろに顔を覆い、苦しみだしたからだ。
「お、おい……どうした?」
急な変化に戸惑い、思わず気遣わしげに声を掛けるポルナレフだが、答えはない。
藻掻くように頭を振り、返事の代わりに声にならない呻きを上げている。
尋常な苦しみ方ではなかった。
女の身に何かが起こっている。
一行が異常事態に気付いた時、女の苦悶の原因が、突如として姿を現した。
「ああっ……!!」
一際高く叫んだ拍子に女が仰け反る。
その顔、額の辺りから現れたものがあった。
四方に細長い花弁を開く大輪の花にも似た姿。
大きく『咲き誇る』その正体を、皆は知っている。
「肉の芽に操られていたのか!!」
ジョースターの鋭い声が、一行の頭の中を代弁していた。
人心を操るべく頭部に打ち込まれる、DIOの体細胞が変化した物質。
『肉の芽』と称されるそれと、一行は過去に二度対峙していた。
香港にて、肉の芽を打ち込まれたポルナレフが刺客として承太郎達を襲った件も、未だ記憶に新しい。
「げぇ、あんなのがおれにも生えてたのかよ!グロテスク……」
ポルナレフが顔を歪め、不快を露わにする。
触手の蠢きを見つめる花京院の表情も固い。
二人は共に、あの肉の芽に操られた経験を持つが故に、思う所というのもあるのだろう。
眼前と背後、承太郎はそれぞれを順に一瞥し、それから前の女に目を戻す。
折しも、皆の注目を一心に集める中で、女が力なく膝をつく所だった。
「アヴドゥル、あれをどう思う?」
膝立ちになる女を見据えたまま、承太郎は背後にいるであろうアヴドゥルへ問う。
やや戸惑ったような声が、それに応じて返ってきた。
「あ、ああ……奇妙だ。何故あの肉の芽は暴れている?」
「摘出しようとする奴もいないのに、な」
短いやり取りではあったが、聞こえていたポルナレフらの表情が変わる。
肉の芽は、摘出を試みる者に対し、触手を出して襲い掛かる。
相手の脳へ侵入し、支配下へ置く為だ。
女の額からは今まさにその触手が現れていた。
しかし承太郎達は未だ女とは一定の距離を保っており、肉の芽には一度も触れていない。
発動条件である筈の『摘出を試みる者』が周囲にいないというのに、それでも触手は何かを求めるように蠢き続けている。
気付いてしまえば見過ごせない矛盾。
この意味する所を、花京院が思い至ったように口走る。
「あの女性自身が、肉の芽に抵抗している……?」
その顔には、信じがたいと言いたげな色がありありと窺える。
承太郎はこれに、躊躇う事無く首肯した。
「まだ、間に合うかも知れない」
女へ向かって一歩踏み出す。
膝をついた姿勢で倒れる事もなく、触手の暴走に嬲られゆらゆらと揺れる上半身。
意識の有無は分からない。
薄く開かれた唇から断続的に漏れる呻き声により、生きている事だけは確認できた。
女の指先は、肉の芽が打ち込まれている額の辺りを掻き毟るようにぎこちなく動いている。
いつのまにか両手の甲に突き立てられた触手により動きが制限され、後少しが届いていないようではあったが。
それが分かれば十分だった。
承太郎は、女への肉の芽の洗脳が解けかけていると確信した。
肉の芽が宿主を攻撃している理由などそれぐらいしか思いつかなかった。
何がきっかけとなったのかは分からないままだが、正直な所そんな事はどうでもいい。
ただ、間に合えばいいのだ。
DIOに操られたまま死んでいく、その前に。
蠢いていた触手の幾つかが、近寄った承太郎を感知して襲い掛かる。
「チャリオッツ!」
承太郎に到達するよりも早く、背後から飛び出したポルナレフのスタンドがそれらを斬り飛ばした。
一拍遅れて、ポルナレフ自身が承太郎と並び立つ。
「その子を助けるんだろ承太郎?早いとこ肉の芽を引っこ抜いてやってくれ。女の子が苦しんでるのはあんまりみたくないんでね」
少しトーンを落とした声音に、承太郎がちらりと目を向ける。
女を見つめるポルナレフの横顔はあくまでも真面目である。
少しの間、その顔を眺めた後、
「……ああ」
承太郎は女に視線を戻し、頷いた。