「知らない、じゃと?」

 の返答に僅かに顔色を変える老人へ、こくりと一つ頷いて応じる。
老人は戸惑うように頭を振り、丸くした目でをまじまじと見下ろした。

「そんな筈はあるまい。君は肉の芽を打ち込まれていたんじゃぞ?必ず何処かで会っている筈だ」
「……打ち込むってどういう事です?その、『にくのめ』っていうのもちょっと分からないんですけど……」

ディオだとか、にくのめだとか。
彼らはの知らない単語を使う。
も知っていて当然とばかりに、ごく当たり前のことのように。

訊ねられた所で、自分が彼らに返せるのは疑問交じりの視線だけだ。

ローブの男と老人が顔を見合わせる。
質問が途絶えた所で、は彼らの向こうに見える、ビルの先の景色に目をやり、

「……ここは何処なんですか?」

胸の内に生じた疑問を口にする。

男達の存在感を前に意識するタイミングを逸していた、見覚えのない景色。
自分がいる現在地が把握できない、その事が不安となって漣のように押し寄せる。

否、景色などより以前から、漠然とした不安は在ったのだ。
「終わった」との声に誘われて開けた目の前に、見ず知らずの青年が立っていた時から。
後から気付いた複数の人影、手の甲の怪我、重ねられる質問に、胸の奥底へ押し遣られていただけで。

それが意識に上ってしまった今、不安は加速度的に膨れ上がる。

「何で私……こんな所にいるの……?」

訊ねながら見渡した幾つかの顔のどれもに、怪訝と戸惑いの色が浮かんでいる。
答える者もなかったが、彼らの表情を見ている内、に一つの答えが下りてきた。

彼らはが知らないことを、知っているという前提で話をする。
そう認識していたこと自体が、そもそも間違いだったとしたら。

彼らはが知っていると知っていた、 、 、 、 、のではないか。

「……まさか、覚えていないのか?」

ローブの男のつぶやきに、さっと血の気が引く。

覚えていない。

それこそが、が自分の中に見出した、咄嗟には受け入れがたい答えであった。

自分がどんな移動手段で、この見知らぬ場所まで来たのか。
それ以前に、自分はここに来るまで、どこで何をしていたのか。
頭の中のあらゆる引き出しを開けてみても、その答えは何処にもない。

この場に至る経緯に関する記憶の一切が、自分の中から消え失せてしまっていたのだ。

咄嗟に身動きが取れず竦んでしまうをよそに、男達だけで話が進み始める。

「記憶障害というやつじゃあないか?承太郎が摘出する前に、肉の芽が暴れたろう。あれのせいで、脳に負荷がかかったのでは?」

遠巻きにしていた日本人の青年が、仮説を述べつつ老人の隣に並ぶ。

原因に関してはからは何も言えないが、結果だけ見れば青年のそれでほぼ間違いない。
『記憶障害』の一語を聞いて、何よりも自分自身が一番納得していた。

老人が顎に手を当てて考える素振りを見せるのを、茫洋と見上げる。

「どこから来て、何をしていたのか分からず、分かるのは名前だけか……このまま放っておく訳にもいかんなあ……」
「財団に保護は頼めませんか、ジョースターさん?DIOの支配から逃れたとはいえ……いや、逃れたからこそ、
今度は彼女自体に追手が向けられるかも知れない。一般の病院に入れるよりは、余程安全ではないかと」
「ふむ……そうだな、それが最善か」

座り込み、子供程度の目線で見る彼らはとても大きい。
その姿から発せられる言い様のない圧迫感と、彼らの中だけで通じる話題が頭上を行き交う疎外感。
それらがの中の不安をどんどん大きくしていく。

彼らに害意のないことは分かる。
けれど今ばかりは、彼らの存在がを不安にさせているのだ。

体の横に投げ出していた手が小刻みに震え出し、頭がふらふらとしてくる。
見上げているのが辛くなり、項垂れて視界を閉ざした時、

「おいおいオメーらよー、デカい図体並べて突っ立ってんじゃあねーよ!怖ぇだろーが!」

俄かに、張りのある声が真横から上がった。













2015.2.11
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