ルームキーを差し込み、軽い抵抗と開錠の音とを確認してドアを開く。
短い通路の向こう、対面には広く取られた窓があり、そこからはシンガポールの晴れた空が一望できる。
景観が売りであると入室一歩目で分かる、良い作りの部屋だった。
ジャンと名乗る男――仲間からはポルナレフと呼ばれていた――に手を引かれやって来たホテル。
広く整然としたロビーで、はジョースターにルームキーを一つ手渡された。
『怪我もして疲れただろう。しばらく部屋で休んでいるといい』
ホテルの代金の持ち合わせなどない、と慌てて突き返そうとしたが、
『なあに、金の事など気にするんじゃあない。厚意は素直に受け取っておくもんじゃぞ!』
笑いながら、さっさと自分たちの部屋へと引き上げて行ってしまった。
厚意、と言われてしまうと、わざわざ追いかけてまで突き返すのも失礼に当たる気がする。
行く当てがないことに変わりはないので、致し方なく、ひとまずは部屋まで来てみたのだが。
「……良いのかな」
早々にグレードの高さを窺わせる間取りに、瞬く間に気後れが先に立った。
一歩踏み込んだはいいものの、それ以上進むことを足が躊躇ってしまう。
呆然としてつい立ち尽くす、の背が軽く突かれた。
「ちょっと、後が
続いた声に、反射的に脇へ避けて出来たスペースを、小柄な姿が小走りに抜けていく。
部屋の入り口で戸惑っていたをよそに、小柄な――少女は、そのままどんどんと突き進み、やがて窓側のベッドへ飛び込んだ。
「んー、ふかふかー!」
足をばたつかせながら一頻りベッドの柔らかさを楽しんでから、少女の顔がを向く。
「アンタが一人気にしてたって何も変わりゃあしないわよ。
おじいちゃん本人が良いって言ってんだから、人の厚意はありがたーく受け取っとけばいいのよ!」
だからアンタも早くこっち来なさい、と気安げに手招くのは、アンと名乗った少女だ。
路地を出てしばらく行くと、いつの間にか後をついて来ていた。
ジョースター達の顔見知りであったようで、同様手持ちの金がないらしい彼女もまたジョースターの厚意に甘えることになり、
女子は女子同士、ということで同じ部屋を割り当てられていた。
「それもそうなんだろうけど……貰うだけで何もしないっていうのも、何だか座りが悪くて」
フランクに接してくるアンに少しだけ気が緩み、ようやく部屋へ踏み入る。
二人分のシングルベッドにテーブル、テレビ、冷蔵庫の上にはグラスホルダー。
ホテルのグレードとしては相応な家具が部屋に備え付けられている。
自分がどこで何をしていたのか分からないが、この状況を「相応」だと判断できる基準がある。
恐らく自分の記憶は「失われた」のではなく、何らかの形で「思い出せなくなっている」のだ。
思い出せないだけなら、多少時間がかかろうといずれ記憶は取り戻される。
それが分かっただけで僅かな光明が差した気がして、は少しだけ気が楽になった。
「あの人達だって見返りなんて求めてないって!ってば気にしすぎ!」
「そうかな……」
「そーよ!」
そこまで力いっぱい断言されると、そうなのかも知れない、と思えてきてしまう。
ふと視線を落とした先に、なみなみと満たされた水差しがあった。
「アンちゃん、水飲む?」
「あ、飲む」
応じてベッドから身を起こすアンに了解の意を示し、水差しを手に取る。
傍にあったコップに手を伸ばすの耳に、思案気な声が届く。
「そんなに何か返したいならー……んー、お金もない訳でしょ……」
否定しながらも返礼の方法を考えてくれているらしい。
言葉遣いは時々乱暴だが、根は良い子なのだろう。
「あ、あの人達も男だし、ストリップの一つでも披露すれば喜ぶんじゃない?」
そしてさも妙案が浮かんだといった風情で、導き出された答えを声高に言うアンに。
は思わず手を滑らせ、水差しを取り落していた。