朝食の後、はアヴドゥルに呼び出された。
これから日が高くなり、気温も上がろうかという時間帯。
言われた通り、アヴドゥルの宿泊する部屋を訪ねると、穏やかな笑顔が出迎えた。
「適当に座っていてくれ。コーヒーでも淹れようか」
招き入れて早々に、もてなしの準備に右へ左へ動き回るアヴドゥルを目で追い、
「いえ、お構いなく……」
「ここは人の家じゃあないんだから、遠慮なんてする必要はないんだぞ。砂糖とミルクは?」
「……じゃあ、お願いします」
「分かった」
要らない、という選択肢は柔らかく却下されたので、進められるままに従う。
いつまでも所在なく佇んでいるのもどうかと思い、手近にあったソファに腰を下ろした。
かちゃかちゃと陶器のぶつかる音を聞きながら、は部屋を見回す。
昨日も訪れた場所は、人口密度の違いからか、昨日よりも広く感じられた。
朝食の後、空条と花京院の学生2人は、インドへ向かう交通手段の手配に向かった。
アンも2人についていって、より先に部屋を出て行った。
あと一人は。
「……ジョースターさんは何処へ?」
姿が見えないので、肩越しに湯気を立ち昇らせるアヴドゥルへ問いかける。
「先程、スピードワゴン財団から到着したとの連絡が入って、迎えに出た。すぐに戻ってくると思うが」
振り返ることなく返された答えに、その名を口の中で小さく反芻する。
スピードワゴン財団。
ジョースターがコネクションを持つ、世界でも有数の財団らしい。
本来であれば、記憶をなくしたの養生と、DIOから身を隠すのに手を貸してくれる手筈であったが、
ジョースターの旅に同行すると半ば強引に決めた為、既にとの縁は切れている。
にもかかわらず、財団の人間が当初と変わらずシンガポールまでやって来たのは、別の用があってのことだった。
「ポルナレフさん、無事に釈放してもらえるでしょうか」
独り言ちながら、脳裏に浮かべるのは昨日の出来事。
財団との縁は今、ではなくポルナレフと結ばれている。
昨日、突如訪ねてきたシンガポール警察は、ポルナレフを重要参考人として連行してしようとした。
は驚き説明を求めたが、警察官とそれに付き合っていたホテルスタッフも答えてはくれない。
なお食い下がろうとした所を、ジョースターに止められた。
一番説明が欲しい筈のポルナレフも、粛々として警察官の誘導に従い部屋を出てしまう。
納得がいかなかったは胸に蟠るものを感じていたが、それでも人の口に戸は立てられないもので、
夕食の時間になるとどこからか『男性の惨殺体が見つかったらしい』という噂話が聞こえるようになっていた。
『恐らくはポルナレフが倒したデーボとかいう刺客のことだろう。やれやれ、メンドウなことじゃ』
ぼやくジョースターの態度は、言葉とは裏腹に落ち着いたものであった。
今思えば、警察が訪ねてきた時点で既に事態を予測していたのだろう。
がその態度に疑問を抱くよりも早く、ジョースターは手を打っている。
スピードワゴン財団に再度連絡を取り、ポルナレフの釈放手続きを依頼していたのだ。
元々はの身柄引き受けの為、シンガポールへ赴く準備はある程度進められていた。
それをそのまま転用した形となったので、事の発生から間を置かずに財団の手が回ったのだ。
到着した財団の人間は、このままポルナレフの釈放手続きに向かう手筈になっている。
「なあに、大丈夫さ。彼ならすぐにいつも通りの顔で戻ってくる」
コーヒーを淹れ終えたアヴドゥルが歩み寄る。
両手に持ったカップの片方を差し出され受け取ると、砂糖とミルクの入ったコーヒーの香りがふわりと広がった。
一口含んで、その温かさと味わいにほっと息を吐く。
「まあ、心配するなという方が無理な話だろうが」
テーブルを挟んだ向かいにアヴドゥルも座る。
一口啜ってからテーブルに置いた彼のカップには、黒く澄んだ水面が揺れていた。
とは違い、ミルクは入れない嗜好らしい。
「一つ、気分転換でもしないか。というか、今日君を呼び出した本題でもあるんだが」
「気分転換?」
コーヒーに注がれていた視線を上げる。
アヴドゥルは、ゆったりとしたローブの懐に手を差し入れる。
しばらくごそごそとした後、引き抜いた手に握ったものを、テーブルに置いた。
動きにつられ、はアヴドゥルが取り出したものに目を向ける。
「……カード?」
精緻な装丁が施されたカードの束だった。
トランプ、とは恐らく違う。
トランプには枚数が幾らか足りないようだ。
一体、これは。
「タロットだ。これで、君の運命の暗示を占おうと思う」