ほぼ赤道直下に位置する国、シンガポール。
一年を通じて気温が高く、それは今日とて例外ではない。
高くなった太陽にじりじりと焼かれる路面を、は路肩に止められた車の後部座席、窓越しに眺めていた。
戻ったジョースターに促され、急かされるように乗り込んだスピードワゴン財団の車だ。
停められているのは、ポルナレフの連行された警察署の程近く。
財団の人間が一人、署内でポルナレフの釈放手続きに赴いている。
15分は経っているだろうか。
はふと、彼が今どの辺りに留置されているのか気になり、外に向けていた視線を滑らせた。
「……さん、少し休憩しましょうか」
疲れたでしょう、と気遣う声がする。
助手席から、男性が顔を覗かせていた。
手元には紙を挟んだクリップボード。
遠巻きに見える何事か印刷されていた紙面は、更なる書き込みで大分黒ずんで見える。
スピードワゴン財団の一員である彼の視線を受けて、は小さくかぶりを振る。
「いえ、大丈夫です。少しぼーっとしちゃって……すみません、続けて下さい」
「そうですか?なら、続けますが……脳にダメージを負ってるかも知れないんですから、無理は禁物ですからね」
気を散らしていたことを詫びて、続きを促す。
男性は少し訝しげな顔を見せたが、すぐに気を取り直して、手元のクリップボードに目を落とした。
「では、次の質問を……」
そうして男性が投げかけてくるのは、ごくごく簡単な質問。
学力を測るものや記憶力を試すもの、雑学の知識に、或いは自身に関することなど、その内容は多岐に渡る。
これは記憶障害の程度を測る為のものだと、質問を始める前に説明をされた。
本来であれば、きちんと設備の整った場所でより精密な検査をするべき所なのだが、
ジョースターの旅についていくと決めたは、一旦でも彼らと離れることを拒んだ。
そして、ジョースター達はそんなを受け入れている。
の検査を待っていられる程の時間的余裕もなく、故にポルナレフの釈放手続きを行う時間を使って、
簡略な手法での検査を余儀なくされたのだった。
記憶を失った以外に目立った障害が見受けられなかったのも、それが許された理由の一だったのかも知れない。
投げかけられ、答える。
さらりと答えが出るものもあれば、その逆もあった。
答えられない質問の多くは、自身についてのものだ。
訊かれ、反射的に答えようと口が動くのに、そこから答えが紡がれることはなく、空しくもそのまま噤む。
その繰り返し。
結局、多くの質問を経て分かったのは、自身に関する事柄以外の記憶、経験については問題なさそうだということと、
自身については名前と出身以外、何も覚えていない、分からないままだということだった。
「こんなに時間をかけていただいたのに……」
すみません、と肩を落として詫びる。
男性の手で束ねられる書類。
その厚みは、彼がかけた労力の証であり、また無駄に終わった結果でもある。
得られたのは「何も分からない」というただ一事のみ。
結果が出せなかった自分の不甲斐なさが申し訳なく、つい視線も落としてしまう。
膝の上で握り合わせた手が白くなっている。
「最初から良い結果は出ないのが普通なんですよ、こういうのって。
貴女が今するべきなのは、この結果にがっかりするんじゃなく、早く記憶を取り戻すことです。
その為には、気を楽にして、リラックスしておくのも大事なことなんですよ」
どうか気にしないでください。
男性の気遣いに満ちた言葉に顔を上げる。
助手席から振り返り、向けられる優しい笑みに、沈んだ気持ちがほんの少し浮上した。
「……ありがとうございます」
礼を述べるの耳に、コンコンと数回、ノックの音が届く。
男性と見合わせていた目を丸くして、音が聞こえた方を振り向くと。
車外、窓の向こう。
こちらを覗き込む、男が一人。
視線が合うや、許可は得たとばかりに車のドアが開かれる。
よく熱された外気と湿気が開扉と共に車内へ吹き込んだ。
は反射的にその名を呼ぶ。
「ポルナレフさん!」
「よ!待たせて悪かったな。ようやく解放されたぜ」
釈放手続きを終えたポルナレフが、にっと笑ってそこに立っていた。