さあさあと、建物の外壁を打つ雨の音を聞く。
雨の勢いは弱まることを知らず、絶えず打ち続ける雨音と自分の呼吸以外に聞こえるものはない。
は1人、ベッドに身を横たえた姿勢で枕に伏せた顔をそっと傾ける。
開けた視界の端で捉えた窓には、庇で除けきれなかった雨滴が幾つかの筋となってガラスを伝い落ちていくのが見えた。
インド、カルカッタで宿泊先に選んだ、とあるホテルの一室。
少し広く感じる部屋で1人、は時を過ごしている。
シンガポールで同室だったアンの姿は、インドへ向かう列車に乗り込む前に見えなくなった。
父親に会うという約束を果たしにいったのだろうとは、電車の中でのアヴドゥルの言葉だ。
故に今日の部屋割りは、の一人部屋。
記憶を失ったことが分かって以来、ジョースター達の気遣いもあってか、自分の傍には常に誰かがいる状態だった。
今初めて過ごす1人の時間に、胸に宿るのは一抹の寂しさ、心細さ。
とはいえ、他の部屋を訪ねれば誰かしらに会えると分かっているので、それらは大した問題ではない。
雨音を聞きながら、の胸を占める心配事は他にあった。
体温を移したベッドから身を起こし、は窓をまっすぐに捉える。
夜であることに加え厚い雲がかかっていて、雨の降り続く空には光一つ見えない。
「ポルナレフさん、ちゃんと雨宿り出来てるかな……」
部屋の明かりを反射する様をぼんやりと眺め、ぽつりと呟く。
の脳裏には、雨空になる前、昼間の記憶が蘇っていた。
インドに着いてすぐ、列車を降りた達は、現地住民からいやという程この国の文化の洗礼を受けた。
歩けない程に群がる人々、タクシーの前でくつろぎ動く気のない牛。
交通事情、衛生状態、あちこちから聞こえるクラクションの音と、足元には牛の落とし物。
カルチャーショックと一言でまとめてしまうにはいささか衝撃が強すぎる歓迎を受ける中、どうにか人ごみを切り抜けてレストランへ入った。
相応の店を選んだというのもあるだろうが、さすがに屋内まではあの騒がしさも及ばない。
僅かな時間で大幅に摩耗した精神の回復に努める。
「要は慣れですよ。慣れればこの国の懐の深さが分かります」
元々インドに好意を持っていたらしいアヴドゥルがにこにこと語る。
空条はアヴドゥルの示すインドの良さというものに賛同を示したが、一方で、納得のいかない顔をしている者もいた。
「くん、君はどうじゃ?」
少し渋い顔をしたジョースターに、話題の水を向けられた。
余程インド文化が肌に合わなかったのだろう、察するまでもなく内心が見て取れる表情だ。
空条がアヴドゥルの側についた今、自分と同じ意見の仲間を見つけたがっているようでもある。
ミネラルウォーターの注がれたコップを口に運びながら、は少し考える。
正直な所、あの人ごみの中では皆とぐれないようにするので手一杯だった。
他の皆はどうあれ、驚きばかりが先に立ち、好悪いずれかの感情を抱く余裕などなかったのだ。
「人の多さと押しの強さがすごいですね……」
とりあえず感じたことを答えた声は、半ば放心したような響きを持っていた。
隣りでそれを聞いていた花京院が噴き出すように笑う。
目を向けると、失礼、と軽く謝られた。
花京院はどちらなのだろうか。
インド文化に馴染めるか、否か。
「うむ、そうじゃな。ありゃあニューヨークの比じゃあないぞ」
訊いてみるよりも先に、ジョースターが相槌を打つ。
カルカッタとニューヨークを比較されたのを皮切りに、話題はそれぞれの出身地についてへと変わっていった。
ニューヨークの摩天楼、高層階から眺める夜景。
エジプトはカイロの街並み、住まう人々の暮らしと乾いた空気。
空条と花京院の日本の話については、自身の出身地でもあるというのに不思議と新鮮な響きがあった。
記憶を失くした弊害だろうか、名前以外で唯一覚えていることにさえこの感覚。
改めて自分の中に残っているものの少なさに内心肩を落としながら、はこの場では聞き役に徹する。
頼んだ料理を待っている間、尽きることなく続く会話。
それが唐突に終わりを迎えたのは、慌ただしい足音がホールへと飛び込んできた時だった。
「『スタンド』!本体はどいつだ!?」
席についてすぐ、用を足しにいっていたポルナレフが戻って来たのだ。
インドの人波に揉まれ少しやつれていた先程までとは違う、切迫した表情で。