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『ポルナレフさんっ……!』
ラジオのノイズのような雨音に聴覚を閉ざされてなお、アヴドゥルの耳にはあの時の声が残っている。
去っていく背中を必死に呼び止める、悲痛な響きを含んだ新の声が。
シンガポールで承太郎が遭遇した刺客から聞き出した、鏡を使う、「吊られた男」の暗示を持つスタンド使い。
両手とも右手の男、ポルナレフの妹の仇。
近くにいると分かるや、ポルナレフはカルカッタの雑踏へと姿を消した。
こちらの諌止も耳に入らない。
呼びかけてなお振り返ろうとしないポルナレフを、新は焦った様子で追いかけた。
だが、すぐに人波の壁に阻まれ、途方に暮れて立ち尽くす姿に、人々が好奇の目を向けて通り過ぎていく。
小さな背中は言い得ぬもの悲しさを湛え、見かねた承太郎が連れ戻す為に近付いた。
その様を、アヴドゥルは眺めていた。
震える拳をジョースターに押さえられながら、唇を引き結んで眺めていた。
窓際に立つアヴドゥルの眼下には、雨に濡れそぼる街並みが見えている。
乾季にかかるこの時期に珍しい雨量の中、ポルナレフは妹の仇を探して駆けまわっているのだろうか。
目を閉じて視覚を遮断すれば、目蓋の裏に浮かぶ別れ際の姿。
妹を殺された気持ちが分かってたまるかと捨て台詞を吐いて詰め寄った、あの時の眼差しがアヴドゥルを射抜く。
「かってな男だ……」
ふつりと湧くのは、静かでやり場のない憤り。
DIOと遭遇した際の自分の行動を蔑まれたことに対してではない。
頭に血が上った時にこそ必要な、「一度冷静になる」という行動がとれない程に周りが見えなくなった彼に、
そして諌め引き止めることが出来なかった自分に、憤っていた。
自分の生業はなんだったか。
占い師とは人を導く者ではなかったか。
商売道具の一つである言葉を失い、自分はただポルナレフを見送るしかなかった。
ぶつけるべき相手がいなくなってしまった今、抱えていても仕方のない思いだとは理解しているが、
思い返す度にただ歯痒く、悔しい、それはやり場のない感情。
仲間が減ったとしても朝は変わらずやってくるし、旅は続く。
自分が今考えるべきなのは、過ぎてしまった過去よりもこれからの旅の行く末だ。
物思いにふけるのはこのぐらいにしよう。
胸に澱む感情を吐き出す息に乗せるようにして、思考を切り替え目を開ける。
そろそろ明日の用意をしなければと、窓辺から離れ部屋の隅に置いておいた荷物へと向かう。
「……新は大丈夫だろうか」
ふとアヴドゥルの口からそんな呟きが
昼間目にした新の後ろ姿が、ちらりと脳裏を過ったのだ。
女性だからということと兄だった頃の性分か、新が旅に加わって以来誰よりも彼女の世話を焼いていたのはポルナレフだった。
記憶を失った不安に囚われる新にとって、ポルナレフに構われることは良い気晴らしになっていたことだろう。
出会って初めの内は固く強張ってばかりだった表情も、この数日で大分緩むようになってきていたように思う。
そうして心を開きかけていた中での、今日の出来事。
彼女も彼女なりにポルナレフを頼っているように、アヴドゥルには見えていた。
そのポルナレフがいなくなったのは相当のショックがあったはず。
同室で話し相手になっていたアンもいない今、どうしているのか。
「……様子を見に行ってみるか」
既に去った者には何も出来ないが、残された者に対してはまだ出来ることがあろう。
アヴドゥルは荷物に伸ばしかけた手を引き戻し、部屋を出るべくドアへと向かう。
新の部屋は確か、ここから廊下を右に進んで三つ目だったか。
部屋番号を思い返しながらドアノブに手をかけ、引き開けたアヴドゥルの目に、
「……新?」
何故か部屋の前を通り過ぎる新の姿が飛び込んできた。
呼びかけに反応しこちらを振り仰いだ表情が驚愕の色に染まる。
「……あ、アヴドゥルさん……」
「どうしたんだ、こんな時間に。眠れないのか?」
「いえ、そういう訳では……」
ようよう口を開いた新の僅かに泳ぐ眼差しに、見つかったことによる動揺を読み取る。
夜も更けた頃に部屋を抜け出し、人目を忍んで何処かへ行く。
その理由は何かと考えて、一つの答えが浮かび上がった。
直前まで彼女について考えていたので、そこに行き着くまでさほど悩むこともなく。
「……まさか」
目で問えば、居心地が悪そうに逸らされる。
それでもなお答えを待てば、やがて観念したように、
「……ポルナレフさんを、捜しに行こうかと思って」
「……やっぱりか」
もごもごと口の中で答える新へ、アヴドゥルはひとつ息を吐いた。
部屋で1人落ち込んでいるのではないかと思う一方で、こういう行動に出る可能性もうっすら考えていた。
物事に対しどこか消極的というか受け身に見えるところがあるが、それは記憶を失っているせいだ。
本来の彼女には、やると決めたことへの瞬発力と行動力、加えて、こうと決めたら簡単には曲げない意志がある。
旅の始まりがそうだ。
スピードワゴン財団の保護を勧めるジョースターに対し、新は意志の強さを押し通し旅への同行を承諾させた。
「自分が分からない不安」を、「自身を知ろうとする意志」が上回り、行動させた。
今目の前にいるのもきっと、彼女なりの理屈や理論でやるべきことを導き出したのだろう。
と、新がここにいる理由に納得はいったが、それを認められるかどうかは話が別だ。
「短時間でも1人で出歩くのは賛成できないな。
どこに例のヤツがいるか分からないし、いい国だと言っても夜に女性が一人歩きするもんじゃあない」
それに雨も降っている、と嗜めるように言ってみれば、新の視線が沈んだように下を向いた。
ただし、それは反省した顔ではない。
ポルナレフ捜索を反対された不満の中に、ほんの少しの後ろめたさを混ぜた、葛藤の垣間見える顔。
勝手な行動が輪を乱すことを十分承知した上で、敢えて「行動する」選択を取った。
それがよく分かる表情だった。
落ち込んでいなくて良かったが、果たして自分にこれを説き伏せて諦めさせられるのか。
「……あれから、部屋に戻ってからもずっと考えてたんです、ポルナレフさんのこと」
さて、どうするかと内心悩むアヴドゥルを前に、おもむろに新が口を開く。
「妹さんのことはちょっとだけ聞かせてもらってたし、仇が近くにいるって聞いてじっとしてられないのも分かるんです。
……でも、考えなしに突っ込んでいくのは少し違いますよね?」
確認の為見上げてきた目の強さに、アヴドゥルは一瞬息を呑む。
「復讐をするなっていうんじゃない。できればして欲しくないけど、何をしたいかは本人の自由だもの。
でも、やるからには使えるものは全部使って勝ちにいかなくちゃ。そうでしょう?
……それだけ、ポルナレフさんに言いたいの。探して、見つけたら、それだけ伝えてすぐに戻ってきます。だから」
行かせてくれないかと訴える、黒の瞳に見上げられ。
新の中に既に「目的」が出来上がっているのを知る。
既に築き上げられた確固たる意志。
これを曲げさせるのは骨が折れそうだと感覚で察する。
ゆえに、アヴドゥルは早々に諦めた。
「それでもダメだ」
「アヴドゥルさん……」
紡いだ否定の言葉に新の表情が歪む。
下唇を噛む姿を見下ろしながら、アヴドゥルは思う。
知っているのだ。
落胆しているように見えて、その実決意はますます強固なものとなり、次に口を開いた時にこちらの想像の埒外にあるようなことを言い出すと。
出会った当初からそうだった。
新は、一言で言ってしまえば、頑固そのもの。
手を変え品を変え、自分のしたいことを押し通そうとする。
だから、アヴドゥルが口にした否定の言葉は「行動の禁止」ではない。
「夜の街を、1人で出歩くのはな」
にこりと笑いかけ、
「明日、朝食の後。捜しに行くのはその時だ。昼間でも1人では駄目だ、わたしも一緒に行く」
それがポルナレフを捜しに行く上で最大限の譲歩だと、言外に訴える。
逸る気持ちも分からないではない。
けれどこちらが譲歩して出した条件を呑めないのであれば、新の行動を認めることも出来ない。
「ポルナレフには、言ってやりたいことがあるからな」
自分にもポルナレフを探す理由があるのだと含ませて、正面から見つめた新の目は、
きょとんとした表情でもってアヴドゥルを見上げていた。
それがふいと逸らされ、逡巡するように宙を泳ぐ。
ここで引かなければそもそも捜しにさえ行けないだろうことを、アヴドゥルの眼差しから察したのだろう。
しぶしぶと、それでも眼差しは強く、
「……分かりました」
新はこくりと頷いた。