「見ただと?」

 思わず急き込むように、繰り返し問う。

「両手とも右手の男をたしかに見たのか?」

愛しき妹の仇、鏡を使うスタンド使い。
見ざる姿を求めカルカッタの街へ飛び出し、当てもなく彷徨って一夜。
首を横へ振るばかりの答えが続いていた所へ唯一異なる反応を返したのが、目の前で壁に凭れ座る薄汚れた男だった。

胡乱な表情ではあるが、問い掛けにも確かに頷く。

ポルナレフは、成果が上がらず曇りかけていた心に一条の光が差すような心地がした。
折しも昨夜から降り続いていた雨が上がり、空にも晴れ間が覗き始めた頃である。

「どこでだッ?」

男の視線がのろのろと動き、街道の先をすっと指差す。
逸る気持ちのまま示された方向へ目を向けるも、そこには多くの人が行き交うばかり。
どれもこれもが同じように怪しく見える。

「どいつだッ!?どの野郎だッ!?」

人の顔を見る目が上滑りするのに焦れ、やや声を荒らげながらまた問うと、

「あれぇ?」

ポルナレフとは反対に焦りのない、間延びした声が上がった。

「おかしいな……ひ……ひとり見失っただ。今、そこにいたのに……」

なにッ、とポルナレフは瞠目した。
両手とも右手の男は複数人で行動している可能性にここへきて初めて思い至ったと同時に、相手が別個に動く場合の危険性を認識したからだ。

緊張、集中、高揚、闘志。
それらが混然一体となって己の内に収束し、ちり、とこめかみを刺激する。

改めて男の示す方向を見やる。

自分の中でスイッチが入ったような感覚があった。
男が誰を指しているのか、今度は分かる。

数多いる通行人の中、明らかに異なる気配を放つ者が一人、こちらへ向かって歩みを進めてきていた。
煙草を片手にテンガロンハットをかぶり、つば越しにまっすぐこちらを見据える、どこぞの西部劇にでも出てきそうな服装の男。

距離を詰める男へ、ポルナレフは真っ向から対峙する。

口元にうっすらと浮かべた笑みを僅かに深めながら、男は一定の距離を置いた所で歩みを止めた。





 雨が上がり日の差し始めたカルカッタ市街。
出足遅く朝の賑わいを見せ始めた道を、は人波を縫うように進んでいく。

「すいません、こういう髪型の男の人を見かけませんでしたか?じゃなかったら、こういう耳飾りをつけた男の人!見てませんかっ?」

立ち並ぶ出店の主、或いはその店の客、果ては目についた通行人にまで、手当たり次第に尋ねて回る。

捜すのは昨日より行方の知れないポルナレフと、もう1人。

「アヴドゥルのやつ、ひとりで探しに出るとは!」

すぐそばで別の人間に尋ねていたジョースターが、険しい顔で独り言ちている。
昨夜アヴドゥルに諭されたように、1人で行動するのはよくないと皆の意見が一致した為、はジョースターと連れ立ち2人の捜索に出ていた。

は周囲へ目をやりながらその呟きを聞き、ぎりと奥歯を噛み締める。


「諭された」は、今となっては「丸め込まれた」のだと受け取っている。

女の一人歩きは男のそれよりも危険が伴う。
そんな正論を振りかざし、アヴドゥルはの行動を制限した。
ポルナレフの単独行動を諌めたその口で約束まで交わした。
その上で約束など忘れたように、ひとりポルナレフを捜しに出て行ってしまったのだ。

嘘も方便という。
占い師はその弁舌で人を納得させるもの。
だからといって、それが約束を破っていい理由にはならないはずだ。
は今その一点に関してのみ、言いようのない感情を持て余していた。

悔しさ、失望、悲嘆、怒り。
それらが胸の内でわだかまり、じりじりとを苛んでいく。

喉を通って出て来てしまいそうな感情をぐっと堪え、は何度目か手近な人間に声をかけた。

「あの、すみません……」

人を捜している、と続けかけた口を噤む。
雨上がりの蒸れた街の空気が、にわかに変わったのを感じ取った。

人々が放つ喧騒が、どこか戸惑いを帯びてざわついている。
それが水面に広がる波紋のように伝わり、カルカッタの人々の表情を変えていく。

「何……?」

辺りを見渡すのそばへ、ジョースターが並び立つ。

「んん?どうしたんじゃ、いったい」
「ジョースターさん」

見上げた顔は怪訝な表情を浮かべて、同じように周囲へ目を配っている。

「分かりません。けど……」

何かあったことは確かだと、は視覚に加えて聴覚も使い、喧騒からささめきへと変わった街の人の声を聞く。

耳に入る言葉の多くは自分たちと同じ、何があったのか分からず辺りを窺うような内容。
その中から欲しい情報を得る為に更にそばだてた耳に、不意に乾いた破裂音が飛び込んだ。

青を覗かせる空に響く音。
記憶は失っていても、の耳はその音を覚えていた。

はっとして、隣のジョースターを振り仰ぐ。
下りてきた視線とかち合い、意を得たりとでもいうようにひとつ頷かれる。

「発砲音じゃ」

行ってみよう、短く言い放ち歩き始めるジョースターのあとをついていく。

不思議なことに、あれだけ目立つ音がしたというのにささめく人々の様子は何故か一切変わらなかった。
不安そうに、何が起こっているのかを知りたがる好奇の目がさまようばかりで、彼らは音の方向に気付いていないようだ。

「ジョースターさん、みんなあの音が聞こえてなかったんでしょうか」
「聞こえてなかったんじゃろうな」
「あんなにハッキリした音なのに?」
「あれがスタンド攻撃なら、普通の人間には聞こえん」

成程、スタンドから発される音はどんなに大きくとも、聞こえるのは同じくスタンドを扱える者のみということか。 言い指されて腑に落ちる。
同時に、ひとつの可能性に考えが行き当たり、は少し速足で前をいくジョースターを見上げる。

「それじゃあ、『両手とも右手の男』には仲間がいるってことですか」

ポルナレフの仇は鏡を使うスタンド能力を有している。
先の発砲音がスタンド能力に由来するものだとして、今このタイミングで現れる以上、全く無関係の人間だとは考えにくい。

とすれば、相手は敵か味方か。

ジョースターは歩みを止めずにちらりと振り返る。
その眼差しが、何よりも明確な答えであるようにには思えた。

「おい、向こうの通りで妙な喧嘩してる奴がいるらしいぞ」

ジョースターの言葉を聞くよりも先に、すれ違った人の会話が耳に飛び込んで来る。
は足を止め、その声の方向を振り返った。

達が今来た道を辿るように歩いていく男性が2人。

見るや、考えるよりも早く体が動き、

「妙な喧嘩って!?」

気付けば相手の服の裾を掴み、自分でも驚くほど切迫した声でもって問うていた。

「な、なんだいアンタ?」
「向こうの通りってどこ!?」

勢い込むの様子に、振り返った男が戸惑いの色を浮かべている。
連れと世間話をしていたら突然見ず知らずの女が話に割り込んで来て、何だ何処だと根掘り葉掘り尋ねてくる。
自身同じような状況に置かれたら、きっと同じような反応を返しているだろう。
しかし、今は相手の戸惑いに配慮している場合ではない。

「お願い、教えて!その人、私の知り合いかもしれない……!」

考えるべきことは、早くポルナレフを見つけること。
発砲音の主とポルナレフが遭遇していようといまいと。
それより先に、アヴドゥルがポルナレフを見つけていようといまいと。

全てが手遅れになる前に、自分が出来る、やるべきことを。

「待て待て、くん少し落ち着かんか!」

背後から肩を叩かれ我に返る。
振り返った先に、ジョースターが困ったように笑いながら立っていた。

もう一度肩を叩かれる。
ワシに任せておけ、と言われているようで、は口を噤み、前へ進み出るその背へ主導権を譲った。

「実はワシらの旅の仲間がはぐれてしまっての。何かトラブルでも起こしていやしないかと心配しとったんじゃ。
すまんがその妙な喧嘩というの、どこで誰がやっているか教えてくれんか」

進み出てきたジョースターの上背の高さに、男は一瞬怯んでいたが、物腰と口調に警戒を解いた様子で親切に答えてくれた。

「あ、ああ。あれアンタらの知り合いかい?外国人の男2人が、向こうの通りで険悪な雰囲気で向き合っててよお。
今に殺し合いでもするんじゃあないかって顔してたから、早く行ってやった方がいいと思うぜ」
「向こうの通りじゃな。分かった、ありがとう。大事にならん内に行ってみるよ」

礼を述べ、ジョースターが相手へ背を向ける。

「どうやら急いだ方が良さそうじゃ……くん!?」

は、ジョースターの声を聞くことなく、慌てたような制止を背に駆け出していた。
男が教えてくれた、妙な喧嘩をしているというその現場へ向けて、ジョースターを置き去りに。
そこに誰がいようとも、ただ早く辿り着くという一念のみを胸に。

人波を縫うように、は駆けた。












2016.5.11
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